私の半生

春秋 頼

第1話 実話

この話は実話である。私の半生に近い現在までの実話であるが、どこから話せばよいのか非常に難しい。


 私は近年2021年11月1日から数えて約七年ほどの出来事である。だがこの七年だけを理解してくれるように話すには私の産まれた時まで話はさかのぼることになる。


 私は今も尚……ではなく私は五年ほど前に自殺を図った。当然今ここに書いているということは失敗に終わったのだが、実質的に自殺の計画をしたのは四度。

 一度目は薬の量が足りず自室で三日目に目が覚めた。起きようとしたがフラフラ状態であった。


 二度目は、海外から輸入した薬品を気体化させた物を睡眠薬を多量の飲んだ上で吸入器を顏から外れないようにテープで張り付けて予定通り一月一日にバルブをひねりそのまま横になった。


 私は気が付いたら頬を何度もぶたれていた。生きてることを実感して一言目に私が言った言葉は「なんてことをしてくれたんだ…………」と言った。


 私についた吸入器を外してぶって意識を取り戻させたのは幼馴染の人だった。彼は「何があったの!?」と何度も聞いた。この私に起きた事実は誰にも解決は出来ない問題だった。私は自他共に認められているほど頭の回転率も高く非情に賢い、昔から俺はメンタルでやられることはないと旧友によく言われていた。私自身もそう思っていた。


 しかし、世の中に絶対はない。私は私に起きたこと何とか自分自身に無理矢理にでも認めさせるために元々歴史には強かったため哲学者や事実かどうかもわからない話や果ては神々の神話やアダムやカインなど毎日毎日私に起きたような事がこれまでの歴史で起きたかを調べ尽くした。


 私は……この真相に気づいた時、その幼馴染の実家に行っていた。自分が狂っているのかを本当に幼い頃から知っている”おばさん”にその時点まで起きた出来事の2、3点ほどの話をした。私の話を聞くと必ず言われる言葉がある。映画やドラマの世界だと誰もが云う。私はそのおばさんの家の二階でその日は寝た。


 変な夢を見た。最初は金縛りかと思った。声は出せないが目を開くと一人の男の”影”が見えた。男だと感じたのは何故だか今は不明だが、その時はそう感じた。私は気力を振り絞り体を無理矢理動かした。私が立ち上がろうとすると”影”は階段を逃げるように下りて行った。私は追いかけて行った。一階に行ったら四人に分裂していた。


 広間に差す長い廊下を照らす月明りでその”影”の顏が見えた。

 自分だった。

 私はその中の一人の顔面を殴りつけた。粘土のようにへこみ泥のように崩れ去った。


 私はそこで目が覚めた。目が覚めてからそれが夢だと気が付いた。

 

 そしてある事実を同時に理解した。その前日にあった自分が納得できてなかったことの真相に気が付いた。これは現実だが私は当時三十代半ばで白髪などほとんど無かった。


 だが真実に気づいた次の日、歯磨きをしようと鏡をみたら白髪だらけになっていた。


 私に起きたこの七年間は異常すぎた。自分自身でありとあらゆる事も実行し、調べるだけではなく何とか自分を取り戻すためにお金も使い果たした。


 架空と現実の違いは非情に大きいものがあることは知っていたからだ。これをすればどうなるか? などは予測ならいくらでも可能だ。だが現実それが起きた場合はそれ以外の答えが見える。


 それ故にリアルを体験するために実行し、それはそれで分かった事も多数あった。

昔、旧友がメンタルでやられてもう世の中どうでもいいと言っていたことを思い出した。そいつ自身は対して賢くないのに何故か私の賢さを見抜いていた。通常ではありえないことだが何故か知っていた。そいつが「この前、男に絡まれて殴られてぼこぼこにずっと蹴られ続けてもどうでもいいから殴りたいだけ殴らせたけど、弱いくせに止めないから逆に半殺しにしたと」言っていたことがあった。


 当時は私には理解できなかったが、私も体験した。身長差もあり相手のほうが遥かに有利にも関わらず当分の横たわった私を蹴り続けたが、実に弱すぎて面倒になって足を取ってすぐにひねって転がして私は言った。「お前じゃ勝てないからやめとけ」相手がまだグダグダいうので警察呼ぶぞ? と言ったら「ああ! 呼んでみろ」と言うから呼んでやった。警察は私の傷の写真や殴ったかどうかなど基本的な事だけ聞いたが、相手は婦警さんがあの人イヤです「同じことしか言わないし、話がかみ合いません」と私に質問してた人に報告していた。


 場所は東京で言う歌舞伎町のような場所なので噂はすぐに広まって私をボスと呼ぶダーツバーの店長は系列店の関係を切ったりしていたが、要するにいくら頭で考えられる全てを予測できたとしても現実で体験するということはそれほどの価値があるということになる。


 私は二年ほど前までは人に相談したことが無かった。自分自身で全てに答えが出せたし相談を受けるのは日常だった。内容も幅広く、恋愛から離婚を有利にするにはどうするべきかや、ストーカーやらと色々相談にはのってきた。


 そんな私が人生で初めて相談した。それが約二年前になる。今は幼馴染の提案で東京で生活保護を私は受けている。半年ほどたちこのままでは何も変わらないと思い立ち、人生で初めて自分のことを話した。人に相談しなかっただけではなく、私を含む複数の人たちは相談が人にできない幼少期を過ごす。その過程で通常では体験しないことを幾つも体験する。

 

 まず「何があったんですか?」絶対にくると分かっていた問いだった。私は「どこから話せばいいのか何とも言えないです」と答えた。それから現在に至るまで毎週二時間話しているが、まだ私の人生の一部でありいつもその人はメモを取って真剣に話を聞いてくれる。今でもだが、私の話は絶対に普通に生きている人には体験できない世界である。


 私は答えを自分自身で見つけてから、相談というか何が起こったから今の私があるのかを話している。あれから長い時間を経た今でもまだ話しきれていない。私は過去の全てを捨て去ってきた。現在、話す相手はその保健士さんと半年前くらいから話すことにしたカウンセリングの人と院長だけである。


 三人ともが同じ意見を言う事は分かっていた。私はすでに考えに考え抜いた答えがあり、それを裏付ける証拠もある。言い訳は無い。そして私ほどの悩みを抱える人もいないと言われている。保健士さんが自伝で書いたらどうですか? と以前から言われているが、あまりに多くの問題が起きることが予測できるため、ここに書いてみることにした。


 神々を題材とした小説を書いてみようと思ったのは、ここから始まったと言える。

私はこの先の人生も見えている。幼少期の頃から並ではない英才教育を受けてきた。成績もよく言われるまま生きていた。当然ではあるが、お稽古、塾、休日も朝から夜まで塾、休みは無かった。


 ある日、周りはサラリーマンばかりで日曜日の夜の電車に私は立っていた。途中で降りるサラリーマンの男性が私に「僕、ここに座りなさい」と私に席を譲ろうとしてくれた。私は「ありがとうございます。お気持ちだけ頂いておきます」とお礼を言った。当時は考えなかったが、今回の事で色々な昔の事を思い出した。これは無数にある中の一つの記憶に強く残っている出来事だった。私が断ったせいで誰もその席に終点まで座る人は居なかった。


 誰かが幼少期に哲学に目覚めることは現実的にあるのかと書いていた人がいた。答えは”あります”です。但し、哲学に気づくと学力は下がります。異常な世界の中で正常を見つけようとするのは非情に苦しいものです。力も何もない幼少が一つしか無いと信じて疑う気持ちさえ生まれない世の中で、それが真実ではないと思うのは幼少にはあまりに厳しい道です。


 続きをまた書くかは需要に任せようと思います。最後に私に起きた事の一つで大きなものを上げます。私は以前までは信じられるのは、”お金と愛”だと思っていました。今再び自分自身を立ち上がらそうとはしてますが、厳しいのが正直なところです。言い訳の利かないもので、どんな言い訳も出来ない厳しいものです。愛は目には見えなくてもお金と同等と言えるほど絶対にあるものです。


 私はもう厳しいでしょうが私の好きな海外ドラマ、最近はAmazonでも追加されたナンバーズ8の愛を数学で例えた台詞です。昔からこの台詞が大好きで笑みが浮かびます。


”人を結ぶものとは?——愛

近くにいても、離れていても愛の力は計り知れない。愛は時を越え、その源も客体も尽きることはなく光よりも速い。光が空間を移動するには時間が必要だ。しかし、愛は瞬時で対象に到達する。愛の旅は永遠であり無限である、そし

て愛は2人の人生を結びつけるのだ”


フラインハート博士より



 今を生きる皆さんに忘れることの出来ない素晴らしい”愛”がありますように。

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