5th stage:不屈の光

 わたしたちの頭上に広がるのは、絶望の暗雲。

 真っ赤なステージ衣装がしわくちゃになっている。丁寧にトリートメントしてきた黒髪も、今は汗とすすまみれてしまっている。

 輝かしい門出かどでになるはずだった、わたしの今日は、無惨にも打ち砕かれ――

 光の巨人が石像に変わって倒れ伏し、巨大な怪獣が炎を吐きながら悠々と歩を進める灰色の街で、わたしは、逃げ惑う人たちの群れの中を、エレキギターを持った銀色の髪の女の子を追って逆走していた。


「皆さん、落ち着いて避難してください! 落ち着いて――」


 グレーの戦闘スーツを纏った一般レンジャーが、声を張り上げて避難を誘導している。炎に飲まれた街では、みんなの英雄ヒーロー――シャインレッドやシャインイエローらが駆る次世代ヘリコプターが、怪獣を街から引き離そうと、必死の空中戦を繰り広げている。

 シャインレンジャーの人たちはプロの戦士だから、戦いで死んでも悔いはないのかもしれない。だけど、は違う。

 アイと名乗ったこの銀髪の少女は、きっと、戦うためにここにいる人じゃない。それなのに彼女は言うのだ。自分たちが乗ってきた宇宙船を飛ばして、怪獣との戦いに加わるんだって。


「待って。待ってよ!」


 逃げる人たちの群れに押し戻されそうになりながらも、わたしはやっと彼女に追いついて、日に焼けたその手を掴んだ。


「危ないよ。あんな怪獣と戦いに行くなんて!」


 わたしの必死の呼び止めに、彼女がきらきらと光る髪を揺らして振り向く。迷いの一つもない不思議な色の瞳で、わたしをまっすぐ見つめて。


「危なくっても、行くんです。にだけ戦わせてられない。わたしも、彼と一緒に戦います!」

「彼って、あの巨人のこと!?」

「ううん。巨人の中に融合してる、わたしの大切な仲間――」


 気付けば彼女とわたしは宇宙船のそばまで来ていた。彼女が船体にすっと手を触れると、扉が横滑りして開いた。


「あなたもやられちゃうだけだよ! だって、あの巨人だって敵わなかったのに……!」

「やってみなきゃ分からないですよっ。案外、飛び出してみれば何とかなるかもっ」

「そんなのムチャだよ!」


 わたしの引き留めようとする手をそっと振りほどいて、彼女はギターを抱えて宇宙船に乗り込んでいく。わたしを見下ろすその目は、まだ自分に出来ることがあると本気で信じている目だった。


「カナさんも、希望を捨てちゃダメです。どんな絶望の淵からでも、人は立ち上がれるんですよっ」

「あ……ちょっと!」


 彼女は最後まで笑顔でハッチを閉め、わたし一人を地上に置き去りにして、本当に宇宙船で空へと舞い上がっていってしまった。

 そんな。敵うわけない。シャインレンジャーの人たちだって、命がけで怪獣を引きつけるのがやっとなのに。あんな可憐な女の子に、一体何ができるっていうんだろう――。


「……絶望の淵からでも……」


 わたしは、巨大怪獣を迷わず目指す彼女の宇宙船を見上げて、呟いていた。


「人は……立ち上がれるの……?」


――


 突然、誰かの声が背後からわたしに浴びせかけられた。わたしがハッと振り向いた先には、首から下を青色の戦闘スーツで覆った、長身の男の人が立っていた。


「レンジャー……?」

「元レンジャー、といったところかな」


 その人が口元に浮かべた笑みは、普通ならハンサムな男性の爽やかな笑みに見えるはずなのに、なぜか、どこか不気味な空気を纏ってわたしの意識に届いた。


「可哀想に。君のお友達は、なぜ光の巨人があの怪獣に敗れたのかを理解していないらしい」 


 シャインレンジャーのヘリと一緒になって怪獣にビームを浴びせかける、あの女の子の宇宙船を見て、男性はくっくっと笑った。


「君は分かるかい。なぜあの巨人が、すべもなく敗れたのか」

「……」


 わたしはふるふると首を横に振った。――この人、なんだか怖い。


「デストピア星人は、しっかりリサーチしていたのさ。一年前の光の巨人と巨大怪獣の戦いを。この星では、希望を信じる人々の光が大きな力になることを。……そして、その希望が奪われたとき、それは恐ろしい闇の力にも変わりうることを」

「……あ、あなたは一体、誰なんですか。なんで、そんなコワイこと言うんですか!?」


 勇気を振り絞ってわたしが訊いた言葉に、男性の愉悦ゆえつに満ちた笑い声が重なった。


「はっはっ……誰だろうねえ。そうそう、さっき耳に挟んだけど――この騒ぎに乗じて、悪の魔道に堕ちた元レンジャーが一人、牢獄から脱獄したらしいよ。ああ、怖い、怖い――」


 男性がゆらりと片手を広げて、わたしの前に迫ってくる。逃げようと思っても、わたしの膝はがくがくと笑って、言うことを聞かなかった。


「教えてあげるよ。あの怪獣に闇の力を与えているのは、輝きたくても輝けなかったこの星の偶像たちさ。大きな夢を描けば描くほど、それが叶わなかったときの絶望も深い――。見たところ、君にもその素質があるようだ!」

「いやぁっ!」


 アスファルトの地面にへたり込んだわたしの眼前に、闇に歪んだ男性の顔が迫る――そのとき。


「止まれ、シズヤ!」


 空気を引き裂く青色のビームが、わたしに向かって振り上げられた男性の腕を撃ち抜いていた。

 わたしが目を上げたその先には――青い仮面マスクに顔を隠し、ビームガンを構えた女性の戦士。そう、少し前にニュースで見た、当代のシャインブルーだ。


「あんた、何度も何度も失望させてくれるんじゃないわよ。今度は侵略宇宙人に魂を売ったっての!?」

「また君か……。小娘が、よほど死にたいと見える」

「ほざけ!」


 わたしの目の前で、シャインブルーの放つビームが二度三度と男性の身体を撃ち貫く。しかし、あたしが反射的に目を背けた、次の瞬間には――


「くくく……かつての私と同じと思うな!」


 男性の身体は、

 戦闘スーツを纏った人間の姿ではない。人間の一回りも二回りも大きい機械の身体に、赤いドラゴンのような姿を融合させた、見るもおぞましい怪物の姿に。


「ディスポロイド0号、ドラゴンフュージョン。偉大なるデストピア星人が私に与えてくれた、地上最強の力だ!」

「バカな……!」


 そして、シャインブルーのビームを弾き返しながら一瞬で距離を詰めたその怪人は、瞬く間にブルーを組み伏せ、その手からビームガンを叩き落としてしまった。周囲の人々が悲鳴を上げて逃げ惑い、グレーの一般レンジャーたちがブルーを援護しようと一斉に怪人に向かっていく。そんな周りの全てを圧倒的な力で血祭りに上げて、怪人は、自分の力を誇示するように高笑いを上げていた。

 わたしは震える身体でそれを見ていることしかできない。もう、だめだ。このままじゃ、みんな殺されてしまう。街を焼き尽くす巨大怪獣と、この恐ろしい怪人に。

 光の巨人ももう居ない。レンジャーの力でも敵わない。わたしたちを助けてくれる英雄ヒーローは、もう、どこにも――。


「――待てッ!」


 闇に飲まれそうなわたしの耳に、刹那、力強い声が響いた。

 見れば、逃げ惑う人々の波をかき分けて、悠然とこちらへ歩み出てくる二つの人影がある。膝をついたシャインブルーのそばを通り越し、怪人の行く手を塞ぐように並び立った二つの影は――

 たくましい身体付きをした若い黒髪の男性と、昔の西洋の鎧みたいなものを纏った壮年の男性だった。


「闇堕ちしたヒーローか。芸が無いっていうか、今さら驚きもしないねぇ。おじさん、そういうの沢山見てきたからなあ」


 壮年の男性がどこか軽い口調でそんなことを言う隣で、若い男性が鋭い目でぎらりと怪人を睨みつける。


「みっともねぇ。闇にとされた程度で人の心を失った奴は、全員俺の敵だ」


「貴様ら……誰だか知らないが、私の邪魔をするなァ!」


 激昂する怪人が腕の銃を乱射しながら二人に突っ込んでいく、その瞬間。


「効かねえな!」


 若い男性が目にも止まらぬ速さで片腕を動かし、その銃弾を一つ残らず受け止め――


「何ッ!?」


 怪人に生じた一瞬の隙を突いて、壮年の男性のキックがその身体を吹き飛ばしていた。

 そして、驚きに目を見張るわたし達の眼前で――

 若い男性が拳を振るって十字を切り、壮年の男性が水晶クリスタルの鍵をベルトのバックルに叩き込む。


閃転せんてんッ!」

「変身!」

Flareフレア-Drakeドレイク!』


 並び立つ二人を包むのは、目もくらむような真紅の閃光。闇に覆われた空の果てまでも照らすように、二つのエネルギーの奔流が、凄まじい熱量でわたしたちの周囲を包み込む。

 目を開けたとき、わたしたちの前には、二人の真紅の戦士が立っていた。


「貴様ら、何者だ!」


 闇に堕ちた怪人の、血に飢えたその声に応えるように――


「鉄人拳帝! ガントレットセブンッ!」


 若者が変身した真紅の鉄人が両腕を振るい、雄々しく見得を切る。


「あ、そういうノリ? じゃあ、おじさんも――クリスタルヒーロー! ドレイク!」


 壮年の男が変身した水晶クリスタルの鎧の戦士が、竜を思わせる構えで怪人を威圧する。


「おのれ、貴様らァァァ!」


 醜悪な声を狂乱に歪ませ、怪人は二人の英雄ヒーローに襲いかかる。その機械の腕がフルオートで銃弾を吐き出し、全身に融合した水晶クリスタルから伸びる竜のようなオーラが二人の戦士に食らいつく。

 だが、その程度の攻撃は二人の装甲に傷一つ付けることはできなかった。二人の繰り出すパンチが、キックが、重たい衝撃を纏って怪人の身体に叩き込まれる。

 怪人と互角に戦いながら、二人はそれぞれわたしに振り向いてきた。


「行きな、嬢ちゃん。コイツは、おじさん達がしっかりぶちのめすからさ!」

「君は闇に飲まれるな。自分の中にある光を信じるんだ!」


 わたしの胸に雄々しくエールを送ってくれる、その二人の言葉を聴いて――

 震えてとても立てなかったはずのわたしの脚は、再び自分の力で地面を踏みしめていた。

 視界の先ではシャインブルーもまた立ち上がっていた。彼女はビームガンを拾い上げ、わたしに仮面マスク越しの視線をちらりと向けて小さく頷いてから、怪人との戦いに身を投じていく。


「わたし……わたしは……!」


 闇に覆われた空を仰げば、巨大怪獣と戦うヘリと宇宙船の姿が目に入った。今にも怪獣の炎や熱戦で撃ち落とされそうになりながら、それでも彼らは戦っている。仲間を助けると叫んだ、あのアイという女の子も。

 わたしは何かに導かれるように、揺れる街を走った。大勢の人たちが逃げ惑う街の、ビルの壁面の大きな街頭テレビには、撮る人のいなくなった報道カメラの、横倒しの画面が映し出されている。

 わたしには怪人と戦う力はない。マシンに乗って怪獣に立ち向かうこともできない。街を覆う火を消すことも、傷付いた人たちを治療することも、その避難を誘導することだってできない。

 だけど、わたしには。いつか花咲くと信じて磨き続けた、この胸の情熱のつぼみがある。そうだ、どんな絶望に飲まれたって、わたしは決して、光を諦めたりはしない!


「みんなに届けるんだ。希望を」


 運命がわたしをその場所に呼んだかのように、は目の前にあった。使い手カメラマン出演者アナウンサーも失った撮影機材。地面に倒れて置き去りにされたそれは、今も愚直に、大きなレンズが捉える地獄の光景を日本中に中継し続けていた。

 わたしが渾身の力を込めてそれを引き起こすと、ビルの壁に映る巨大な画面も、わたしの心と一緒に立ち上がった。

 巨大怪獣が地面を踏み鳴らす地響きと、雨あられのような砲撃音と、いつ絶えるとも知れない緊急車両のサイレンと、我先にと逃げ惑う人々の雑踏。舞台ステージに響くのはそんな音ばかり。闇に閉ざされた街には、ファンの人が振るサイリウムの一つもない。

 それでも、わたしは、巨大な画面の右上に映る「LIVE」の文字を見上げて、ぐっと拳を握り締めた。

 汚れた衣装の裾をひるがえし、乱れた黒髪に風を含ませて、わたしはカメラの前に躍り出る。ここがわたしのハレ舞台だ。


「歌います、聴いてください。『きんいろパンチ』」


(続く)

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