第2話 狙われた語彙大富豪

 不安を煽る緊急車両のサイレンが夜の街に木霊こだまし、行き交う車の照明ライトまぶしく視界を染める。一台また一台と自分を抜き去ってゆく車の風圧に身体を煽られながら、黒崎くろさき言悟げんごは愛用の自転車マウンテンバイクで夜闇を疾走はしっていた。

 息は上がり、太腿ふとももの筋肉は今にも悲鳴を上げそうだが、ペダルをぐ足を止める訳にはいかない。言悟の脳裏では、先程聴いたばかりの仲間の声が今も絶えずリフレインしている。


言悟げんご、早く来て! 白馬はくばさんが大変なの!』


 戦友の百地ももちコトハが電話越しに叫んだのは、10分ばかり前。

 白馬の野郎のことなど好きでも何でもないが、さりとて、黙って聞き逃すことはできない。コトハの言葉が事実なら――白馬が今対峙している敵は、言悟の父を死に追いやった「」と同じ存在であるかもしれないのだ。


の使い手……! 遂に奴らの尻尾を掴めるかもしれない!)


 はやる気持ちを運動エネルギーに変え、言悟はマウンテンバイクの速度をさらに上げる。彼の視線の彼方、炎を上げる商業ビルの周囲には、既に多くの消防車が集まって消火活動を始めており、無数の野次馬が現場を取り囲んではスマホで写真を撮っている。


「! コトハ!」


 野次馬の輪の外にコトハの姿を認め、言悟は彼女の手前にざっとマウンテンバイクを止めた。


「言悟!」


 相変わらず童貞を殺すひらひらの服を着たコトハが、ツインテールを揺らして言悟に駆け寄ってくる。


「白馬さんが……白馬さんが……!」


 彼女の悲愴ひそうな表情が、言悟に最悪の可能性を思い抱かせる。まさか、あのイケメン野郎は既に、の手に落ちて――!?

 その時、コトハの肩越しに言悟は見た。警官が野次馬を押しのけて道を作る中、赤色灯を回して停車する救急車の方へ、救急隊員達が白いジャケットの男を寝かせた担架ストレッチャーを引いてくるのを。


「白馬ッ!」


 言悟は反射的にコトハの手を引き、現場に向かって駆け出していた。制止しようとする警官達に「そいつの知り合いだ」と告げ、言悟はコトハと共に担架の傍へ駆け寄る。

 果たして、そこに横たわっていたのは、「語彙大富豪の王子プリンス」こと白馬に違いなかった。白馬は言悟の姿を見るや、血の滲む唇を開いた。


「や、やぁ……言悟君か。恥ずかしいところを見せてしまったね……」


 端正な顔を苦痛に歪めながら、彼は続いてコトハに呼びかける。


「コトハちゃん……あの子供は無事に逃がしてくれたかい」

「ええ……。でも、白馬さん……!」


 コトハの泣き出しそうな顔を横目に見れば、言悟にも事のあらましは察せられた。このキザ野郎がコトハと一緒に居たのは何だか気に食わないが、とにかく彼は敵の前から彼女を逃がし、単身で敵に立ち向かったのだろう。


「君達、彼の知り合いなら、一緒に病院に」


 救急隊員が言悟らを急かすように言い立ててきた。是非もなく、言悟とコトハは担架の上の白馬と一緒に救急車に乗り込んだ。サイレンが鳴り、車が動き始める。


「白馬、何があったんだ!?」


 白馬の応急処置を進める隊員達にも構わず、言悟は尋ねた。彼が病院で治療を終えるのを大人しく待ってなどいられない。そしてそれは白馬の方も同じようだった。


「ドラゴンだ……。あのビルの火は、敵の呼び出したドラゴンが……!」

「そんなバカな。まさか、語彙が実体化したっていうのか!?」

「そのさ……。真っ黒なローブを着た男女の二人組が、突然、ボクとコトハちゃんに戦いを挑んできたんだ……。驚いたよ……。ボクが出した『イケメン』のカードから、本当にイケメン王子がその場に現れたんだからね……」


 白馬は手当を受けながらも言悟らに顔を向けて語った。キザったい余裕に満ちたいつもの彼の表情は、今はどこにもない。時折苦痛にうめきながら、それでも真剣に言悟達を見据えてくる彼の目は、とても絵空事を語っているようには思えなかった。


「本当よ。王子が出てくるところまでは、あたしも見たわ……」


 コトハが言うと、白馬は微かに頷いて、再び言葉を続ける。


「だが、本当に驚いたのはそれからだった……。ボクがコトハちゃんを逃がした後、敵は、何か小説のタイトルのようなものを口にしたかと思うと……をその場に呼び出したんだ。『王国』『空飛ぶ』『とても強い』『竜』と、いくつもの語彙のカードを同時に並べてね……」

「いくつもの語彙を同時に、だって……?」

「ああ……。そして、敵の詠唱で、ボクのイケメン王子は王国の法に背いた逆賊ということにされ……。竜の背に乗る男は、王子の違法な蓄財を命で償わせると言って……実力行使を……」


 白馬の苦しげな言葉に、隣でコトハが小さく嗚咽おえつを漏らすのが聴こえた。

 奥歯を噛み締めながら言悟は思う。複数の語彙を同時に操るという異常さもさることながら、その敵とやらめ、随分とストーリー性の高い詠唱を繰り出してきたものだ。

 だが、しかし……。


「どういうことだよ。あんたの実力なら、そんなの幾らでも逆詠唱で覆せる筈だろ!?」

「フフ……君がボクのことをそんなに買ってくれてたなんてね……」


 白馬は自嘲ぎみにふっと笑った。


「勿論、ボクだって逆転を試みたさ……。だが、ボクの詠唱はことごとく敵に遮られ……最後は火炎弾の直撃を受けて、このざまだ……」


 そこでイケメンは苦しそうに咳き込み、口元から血飛沫ちしぶきを散らした。救急隊員が彼を楽にさせながら、言悟達を「そのくらいにしておけ」と言わんばかりの視線で睨み付けてくる。

 隣のコトハがふと言悟の袖を引いてきた。彼女は血の気の引いた顔で彼を見上げ、ぽつりと口を開いた。


「言悟……。敵の正体って……」

「……ああ」


 コトハが言わんとすることは言悟にも分かった。カードの語彙が実体化するという超常現象、そして語彙大富豪プレイヤーの命を狙った襲撃……。そんなことをしてくる連中の心当たりは一つしかない。


だ……に間違いない……!」


 初代語彙大富豪として名を馳せた、言悟の父、黒崎言四郎げんしろうの命を奪い――

 コトハの姉、百地イロハを昏睡状態に陥れた、謎の組織。


「残念だが……それはないと思うよ」


 白馬の苦しそうな声が、怒りに燃える言悟の思考を遮った。


「ボクも最初は思ったさ……。この敵の正体は、君達が言っていた『闇の語彙大富豪』の使い手だと……」


 救急隊員が止めようとするのも聞かず、白馬は喋り続ける。


「だが……。今にして思えば、彼らは、明らかに語彙大富豪とは違うゲームをプレイしていた……。彼らは、ボクの語彙に……詠唱に、割り込んでくるんだ。『インターセプト』と言ってカードを投げて……」

「インターセプト……?」

「妨害、って意味よ」


 語彙大富豪では聞いたことのないルールだ。言悟が一瞬考え込んだ直後、白馬は大きく咳き込んで再び血を吐いた。


「白馬!」

「白馬さんっ!」


 言悟とコトハの叫びが、狭い車内に重なって響く。


「言悟君……。中学生の君に、こんなことを押し付けたくはないが……。黒崎さんが生きていたら、きっと……」


 それだけ言って、白馬はがくりと顔を横たえた。

 救急隊員が二人を安心させるように「気を失っただけだ」と言ってくる。確かに彼の心電図はまだ動いていたが、しかし、正体不明の敵が彼を命の危機に陥れたことには変わりがない。

 その時、ちょうど救急車が病院に到着した。慌ただしく担架ストレッチャーが運び出されていくのを見送りながら、言悟は固く拳を握り締めていた。


「許せねえ……」


 まだ見ぬ敵への激しい戦意が、言悟の心を震わせる。

 白馬は自分に「危険だから関わるな」とは言わなかった。そう、彼が最後に言わんとした通り、父が――黒崎言四郎が生きていたら、きっと戦ったに違いないのだ。

 王子プリンスを名乗る白馬が倒れた今、この敵に立ち向かえるのは、初代語彙大富豪のただ一人の息子である自分だけ――!


「あたしも戦うわ。まさか止めないわよね、言悟」


 隣に立つコトハの瞳が言悟を見据えてきた。その双眸そうぼうに映るのが自分の怒りの炎か、彼女自身の怒りの炎か、言悟にはもう判別がつかない。


「敵がそのものじゃなくても……奴らと繋がりのある何者か、ってことは考えられるわ」

「ああ。どんな小さな手掛かりでも掴んでやる……!」


 言悟は上着の内側のポケットから取り出したカードを見た。つね日頃から持ち歩いている、父の形見とも言うべき一枚のカードを。

 そこに書かれた「勇気」の語彙が、戦え、と自分に告げているような気がした。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 一夜が明け、街は戒厳令かいげんれいの様相を呈していた。炎に飲まれた商業ビルの周りには未だに非常線が敷かれ、野次馬が近付いては警官に止められている。

 Twitterには「ドラゴンを見た」という声とそれを否定する罵詈ばり雑言ぞうごんが溢れかえっていたが、電子の海を炎上させる有象無象うぞうむぞう達の誰一人として、昨夜の事件の真実を知っているようには見えなかった。


 言悟はコトハと街で落ち合い、警官達に見咎められないように気をつけながら、非常線の周りを歩き回っていた。

 コトハはこんな時にまで童貞殺しのワンピースを着ていたが、目の下のくまがメイクで隠せていないことくらい言悟にも分かる。昨夜、病院に駆けつけた白馬家の執事に彼のことを任せて、言悟らはそれぞれ自宅に戻ったが、言悟はとても寝付くことができなかった。コトハもきっと似たようなものだろう。


(何とか、敵の痕跡を掴まないと……)


 言悟は非常線の向こうで動き回る警官達の姿を遠目に眺めた。警察や消防も、事態の解明には全力を尽くすだろうが、人智を超えたこの現象が捜査機関の手に負えるとも思えない。父が死んだだって、警察は何も出来なかったのだから――。


「言悟、気をつけて」


 ふいにコトハが言悟に近寄り、耳元で囁いてきた。どうしたのかと問うと、彼女は緊張に張り詰めた声で言う。


「誰かが……あたし達のこと、見てる。遠くから」

「何……?」


 言悟は咄嗟に周囲を見回した。ダメ、とコトハが彼の腕を引っ張ってくる。その瞬間――


「ッ!?」


 ぞくり、と鋭い悪寒が言悟の全身を硬直させた。

 確かに何者かの視線を感じる。いや、ただの視線ではない。凄まじいまでのが自分とコトハに向けられている――!


「誰だ……どこだ!?」


 ポケットに仕舞っていた語彙カードの束を握り締めつつ、言悟が殺気の元をと――


「!!」


 遠くの歩道橋の上から言悟らを見下ろす、謎の二人組の姿が視界に飛び込んできた。


「言悟……!」


 身を寄せてくるコトハを庇うように、無意識に前に出ながら、言悟は敵の姿を睨み返す。

 あちらも視線を逸らすことなく言悟を見ている。白馬が言っていた黒いフード姿ではなかった。二人とも自分達と同じくらい若い。活動的な服装をした色黒の少女と、黒縁眼鏡の少年の二人組だ。


「コトハ、あいつらか? 昨夜ゆうべの敵って」

「いいえ……。フードを被ってはいたけど、あんな若い二人じゃなかったはず……」


 言悟はカードを握り、いつでも応戦できる体勢を保ちながら、さらに一歩、敵に向かって歩を進めた。


「お前ら――」


 言悟が彼らに向かって声を上げようとした、その刹那。

 眼鏡の少年の方が何かを唱えたかと思うと、その手元に、透明な本のようなものが出現したのだ。


(何だ、あれは――!?)


 言悟が目を見張った瞬間、ふいに周囲に黒いもやが立ち込め、四方の景色全てが漆黒の闇に覆われていく。


「こ、これ、よ……! お姉ちゃんがに襲われた時と……!」

「何っ!?」


 恐れおののくコトハの声が、周囲一帯を覆う深い闇の中、言悟の鼓膜を震わせた。

 真っ暗な空間の中、高所に立つ敵二人の姿だけが言悟の目に映る。びりびりと身を刺す殺気の渦が、ここが最早もはや尋常なる場ではないことを告げている。

 今や一刻の躊躇も許されない。戦うしかない!


でよ! 『青眼の白龍ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン』!」


 言悟のかざしたカードが青白い閃光を放ったかと思うと、真白ましろき光が闇を塗り潰し――


「ギャオオオォォォッ!!」


 天地を震わす咆哮ほうこうを轟かせ、顕現けんげんした。

 言悟が選択したその語彙カードは、遊戯王ゆうぎおう文脈で最大級の攻撃力と汎用性を誇る白き巨龍ドラゴン。その威光は万物を砕き、その翼は宇宙をも駆け、あらゆる嫁属性に革命を取り、時に神をも生贄いけにえとする!


「実体化した……!」


 闇の中でまばゆい光を放つ巨龍の体躯に、言悟は目を見張る。刹那の内に彼の胸中を侵掠しんりゃくするのは、この信じられない光景への驚愕と衝撃、そして未知の戦いへと己をいざなう灼熱の闘志。

 龍の咆哮が空間を揺らし、言悟の心に無限の勇気を注ぎ込む。


「来い!」


 透明な本を構えた敵に向かい、言悟は宣言した。


「どんな語彙を出してこようと、このオレが打ち砕いてやる!」



(続く)

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