第2話 狙われた語彙大富豪
不安を煽る緊急車両のサイレンが夜の街に
息は上がり、
『
戦友の
白馬の野郎のことなど好きでも何でもないが、さりとて、黙って聞き逃すことはできない。コトハの言葉が事実なら――白馬が今対峙している敵は、言悟の父を死に追いやった「奴ら」と同じ存在であるかもしれないのだ。
(闇の語彙大富豪の使い手……! 遂に奴らの尻尾を掴めるかもしれない!)
「! コトハ!」
野次馬の輪の外にコトハの姿を認め、言悟は彼女の手前にざっとマウンテンバイクを止めた。
「言悟!」
相変わらず童貞を殺すひらひらの服を着たコトハが、ツインテールを揺らして言悟に駆け寄ってくる。
「白馬さんが……白馬さんが……!」
彼女の
その時、コトハの肩越しに言悟は見た。警官が野次馬を押しのけて道を作る中、赤色灯を回して停車する救急車の方へ、救急隊員達が白いジャケットの男を寝かせた
「白馬ッ!」
言悟は反射的にコトハの手を引き、現場に向かって駆け出していた。制止しようとする警官達に「そいつの知り合いだ」と告げ、言悟はコトハと共に担架の傍へ駆け寄る。
果たして、そこに横たわっていたのは、「語彙大富豪の
「や、やぁ……言悟君か。恥ずかしいところを見せてしまったね……」
端正な顔を苦痛に歪めながら、彼は続いてコトハに呼びかける。
「コトハちゃん……あの子供は無事に逃がしてくれたかい」
「ええ……。でも、白馬さん……!」
コトハの泣き出しそうな顔を横目に見れば、言悟にも事のあらましは察せられた。このキザ野郎がコトハと一緒に居たのは何だか気に食わないが、とにかく彼は敵の前から彼女を逃がし、単身で敵に立ち向かったのだろう。
「君達、彼の知り合いなら、一緒に病院に」
救急隊員が言悟らを急かすように言い立ててきた。是非もなく、言悟とコトハは担架の上の白馬と一緒に救急車に乗り込んだ。サイレンが鳴り、車が動き始める。
「白馬、何があったんだ!?」
白馬の応急処置を進める隊員達にも構わず、言悟は尋ねた。彼が病院で治療を終えるのを大人しく待ってなどいられない。そしてそれは白馬の方も同じようだった。
「ドラゴンだ……。あのビルの火は、敵の呼び出したドラゴンが……!」
「そんなバカな。まさか、語彙が実体化したっていうのか!?」
「そのまさかさ……。真っ黒なローブを着た男女の二人組が、突然、ボクとコトハちゃんに戦いを挑んできたんだ……。驚いたよ……。ボクが出した『イケメン』のカードから、本当にイケメン王子がその場に現れたんだからね……」
白馬は手当を受けながらも言悟らに顔を向けて語った。キザったい余裕に満ちたいつもの彼の表情は、今はどこにもない。時折苦痛に
「本当よ。王子が出てくるところまでは、あたしも見たわ……」
コトハが言うと、白馬は微かに頷いて、再び言葉を続ける。
「だが、本当に驚いたのはそれからだった……。ボクがコトハちゃんを逃がした後、敵は、何か小説のタイトルのようなものを口にしたかと思うと……ドラゴンに乗った男をその場に呼び出したんだ。『王国』『空飛ぶ』『とても強い』『竜』と、いくつもの語彙のカードを同時に並べてね……」
「いくつもの語彙を同時に、だって……?」
「ああ……。そして、敵の詠唱で、ボクのイケメン王子は王国の法に背いた逆賊ということにされ……。竜の背に乗る男は、王子の違法な蓄財を命で償わせると言って……実力行使を……」
白馬の苦しげな言葉に、隣でコトハが小さく
奥歯を噛み締めながら言悟は思う。複数の語彙を同時に操るという異常さもさることながら、その敵とやらめ、随分とストーリー性の高い詠唱を繰り出してきたものだ。
だが、しかし……。
「どういうことだよ。あんたの実力なら、そんなの幾らでも逆詠唱で覆せる筈だろ!?」
「フフ……君がボクのことをそんなに買ってくれてたなんてね……」
白馬は自嘲ぎみにふっと笑った。
「勿論、ボクだって逆転を試みたさ……。だが、ボクの詠唱はことごとく敵に遮られ……最後は火炎弾の直撃を受けて、このざまだ……」
そこでイケメンは苦しそうに咳き込み、口元から
隣のコトハがふと言悟の袖を引いてきた。彼女は血の気の引いた顔で彼を見上げ、ぽつりと口を開いた。
「言悟……。敵の正体って……」
「……ああ」
コトハが言わんとすることは言悟にも分かった。カードの語彙が実体化するという超常現象、そして語彙大富豪プレイヤーの命を狙った襲撃……。そんなことをしてくる連中の心当たりは一つしかない。
「奴らだ……奴らに間違いない……!」
初代語彙大富豪として名を馳せた、言悟の父、黒崎
コトハの姉、百地イロハを昏睡状態に陥れた、謎の組織。
「残念だが……それはないと思うよ」
白馬の苦しそうな声が、怒りに燃える言悟の思考を遮った。
「ボクも最初は思ったさ……。この敵の正体は、君達が言っていた『闇の語彙大富豪』の使い手だと……」
救急隊員が止めようとするのも聞かず、白馬は喋り続ける。
「だが……。今にして思えば、彼らは、明らかに語彙大富豪とは違うゲームをプレイしていた……。彼らは、ボクの語彙に……詠唱に、割り込んでくるんだ。『インターセプト』と言ってカードを投げて……」
「インターセプト……?」
「妨害、って意味よ」
語彙大富豪では聞いたことのないルールだ。言悟が一瞬考え込んだ直後、白馬は大きく咳き込んで再び血を吐いた。
「白馬!」
「白馬さんっ!」
言悟とコトハの叫びが、狭い車内に重なって響く。
「言悟君……。中学生の君に、こんなことを押し付けたくはないが……。黒崎さんが生きていたら、きっと……」
それだけ言って、白馬はがくりと顔を横たえた。
救急隊員が二人を安心させるように「気を失っただけだ」と言ってくる。確かに彼の心電図はまだ動いていたが、しかし、正体不明の敵が彼を命の危機に陥れたことには変わりがない。
その時、ちょうど救急車が病院に到着した。慌ただしく
「許せねえ……」
まだ見ぬ敵への激しい戦意が、言悟の心を震わせる。
白馬は自分に「危険だから関わるな」とは言わなかった。そう、彼が最後に言わんとした通り、父が――黒崎言四郎が生きていたら、きっと戦ったに違いないのだ。
「あたしも戦うわ。まさか止めないわよね、言悟」
隣に立つコトハの瞳が言悟を見据えてきた。その
「敵が奴らそのものじゃなくても……奴らと繋がりのある何者か、ってことは考えられるわ」
「ああ。どんな小さな手掛かりでも掴んでやる……!」
言悟は上着の内側のポケットから取り出したカードを見た。
そこに書かれた「勇気」の語彙が、戦え、と自分に告げているような気がした。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
一夜が明け、街は
Twitterには「ドラゴンを見た」という声とそれを否定する
言悟はコトハと街で落ち合い、警官達に見咎められないように気をつけながら、非常線の周りを歩き回っていた。
コトハはこんな時にまで童貞殺しのワンピースを着ていたが、目の下の
(何とか、敵の痕跡を掴まないと……)
言悟は非常線の向こうで動き回る警官達の姿を遠目に眺めた。警察や消防も、事態の解明には全力を尽くすだろうが、人智を超えたこの現象が捜査機関の手に負えるとも思えない。父が死んだあの時だって、警察は何も出来なかったのだから――。
「言悟、気をつけて」
ふいにコトハが言悟に近寄り、耳元で囁いてきた。どうしたのかと問うと、彼女は緊張に張り詰めた声で言う。
「誰かが……あたし達のこと、見てる。遠くから」
「何……?」
言悟は咄嗟に周囲を見回した。ダメ、とコトハが彼の腕を引っ張ってくる。その瞬間――
「ッ!?」
ぞくり、と鋭い悪寒が言悟の全身を硬直させた。
確かに何者かの視線を感じる。いや、ただの視線ではない。凄まじいまでの敵意が自分とコトハに向けられている――!
「誰だ……どこだ!?」
ポケットに仕舞っていた
「!!」
遠くの歩道橋の上から言悟らを見下ろす、謎の二人組の姿が視界に飛び込んできた。
「言悟……!」
身を寄せてくるコトハを庇うように、無意識に前に出ながら、言悟は敵の姿を睨み返す。
あちらも視線を逸らすことなく言悟を見ている。白馬が言っていた黒いフード姿ではなかった。二人とも自分達と同じくらい若い。活動的な服装をした色黒の少女と、黒縁眼鏡の少年の二人組だ。
「コトハ、あいつらか?
「いいえ……。フードを被ってはいたけど、あんな若い二人じゃなかったはず……」
言悟はカードを握り、いつでも応戦できる体勢を保ちながら、さらに一歩、敵に向かって歩を進めた。
「お前ら――」
言悟が彼らに向かって声を上げようとした、その刹那。
眼鏡の少年の方が何かを唱えたかと思うと、その手元に、透明な本のようなものが出現したのだ。
(何だ、あれは――!?)
言悟が目を見張った瞬間、ふいに周囲に黒い
「こ、これ、同じよ……! お姉ちゃんが奴らに襲われた時と……!」
「何っ!?」
恐れ
真っ暗な空間の中、高所に立つ敵二人の姿だけが言悟の目に映る。びりびりと身を刺す殺気の渦が、ここが
今や一刻の躊躇も許されない。戦うしかない!
「
言悟の
「ギャオオオォォォッ!!」
天地を震わす
言悟が選択したその
「実体化した……!」
闇の中で
龍の咆哮が空間を揺らし、言悟の心に無限の勇気を注ぎ込む。
「来い!」
透明な本を構えた敵に向かい、言悟は宣言した。
「どんな語彙を出してこようと、このオレが打ち砕いてやる!」
(続く)
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