第4話 永遠の歌姫【part: PRESENT】
熱狂の舞台から一夜が明け、いまやイギリス中のメディアというメディアは、昨夜のイベントの話題で持ちきりだった。
架橋エメルに代わり、ロイヤル・ホールのステージに突如現れた謎の歌姫。
あの歌姫が誰だったのかはデブオタにも
それに、誰かの仮装という程度では説明がつかない。あの歌姫が持つ現実離れしたオーラ。現世の住人ではないかのような、儚くも凛々しいあの存在感は――。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「……これは、昨夜のあの曲じゃないか」
快晴のハイドパークのベンチに並んで腰掛け、デブオタが一枚の紙を手渡すと、ホロックス氏はその内容に目を丸くした。
無理もない。デブオタがその紙に書きつけていたのは、彼自身の作詞などではなく、昨夜現れた「謎の歌姫」が観客の前で披露したあの曲の歌詞だったのだから。
「エメルに歌わせるなら、オレ様なんかが作る歌詞より、この曲の方が相応しいだろ」
デブオタがにやりと笑ってみせると、ホロックスは彼の顔と紙の内容を交互に見て、苦笑ぎみに「ああ」と頷いた。
あの歌姫が誰だったのか。誰も答えを持たない中、彼女が歌った一曲はその場にいた者達の心に深い感動を残している。
――あなたが教えてくれた。一途な頑張りが実を結ぶことを。さあ、前のめりに夢を抱こう。――
デブオタは確信していた。あの歌姫に代わってこの歌を紡ぐのに相応しいのは、地上でただ一人、エメルしか居ないと。
「ミスター・デイブ。あの歌姫も、君が見出した少女と同じだったのかもしれないな」
「同じ? エメルとあの歌姫が?」
「そう。どんな絶望の中にも希望はある――それを僕達に伝えたくて、彼女は現世に現れてくれたのかもしれない。エメルが世界中の人々に希望を伝えんとしているように」
ホロックスの言葉に頷きながら、デブオタは少し離れたベンチで笑い合うエメルとリアンゼルの姿を見やった。
昨夜、謎の歌姫が皆の前から姿を消した後、エメルはそれと入れ替わるようにステージに登場し、リアンゼルと共に予定通りのセットリストを歌い上げて観客の拍手喝采を浴びた。だが、デブオタが聞いたところによれば、皆を驚嘆させたあの歌姫の姿を、エメルだけが見ていないという。その時何をしていたのかと尋ねても、覚えていないの、とエメルは言うばかりだったのだ。
そのエメルは今、リアンゼルとヴィヴィアンにベンチの両側を囲まれ、楽しそうに微笑んでいる。
「ねえ、デイブ!」
デブオタがのんびり彼女達の様子を眺めていたところで、エメルはふいに立ち上がり、ぱたぱたとこちらへ駆け寄ってきた。
「私ね、昨日の歌姫が歌ったっていう曲を歌ってみたいの。みんな名曲だって言うんだもん」
ターコイズグリーンの瞳をきらきらと輝かせ、エメルはねだるように彼の巨体を見上げてくる。デブオタは隣のホロックスと顔を見合わせ、互いにふっと笑った。
「聴いてみたい、じゃなくて、歌ってみたい、っていうのがお前らしいよ」
「喜びたまえ、エメル。ミスター・デイブがちょうど、君のためのお膳立てを整えてくれたところさ」
「いや、別にオレ様は何も――」
デブオタが言うのを遮って、ホロックスは先ほど彼が渡した歌詞の紙をエメルに差し出していた。それを受け取り、中に目を通した瞬間、エメルの顔がぱあっと輝く。
「これ! これが昨日の曲なのね?」
「ああ。不思議とお前に合ってるだろ」
デブオタの一言に、エメルは「うん」と嬉しそうに頷いた。
そして、その可憐な唇が、歌に込められた意味を確かめるように、書きつけられた文面の一言一言を口ずさむ。
「Shall we begin to run once again... toward the place that burns our heart」
(再び走り出そうじゃないか。心をたぎらせるあの場所を目指して)
その歌詞は象徴していた。世相の暗雲を吹き飛ばし、人々に希望をもたらさんという歌姫の矜持を。
エメルは歌詞の紙を大事そうに握りしめると、デブオタに、ホロックスに、そしてリアンゼルとヴィヴィアンに……皆に聞かせるように、明るく弾んだ声で宣言した。
「私、この歌を歌うわ。歌い続けていれば――いつか、その歌姫とも会えるかもしれないもの」
最後はデブオタ一人に向き合い、蕩けるような笑顔で。
「あなたが教えてくれた歌が、あなたと私を再び出会わせてくれたみたいに」
そして、エメルはハイドパークを見下ろす青空に向かって歌い始めるのだった。
この一ヶ月後、リバティーヴェル・レコードから全世界に配信され、世界中の人々を感動の渦に包むことになるその歌を。
遥か未来にまで届くような、澄んだ声を響かせて――。
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