第4話 永遠の歌姫【part: FUTURE】

 熱狂の舞台から一夜が明け、いまや全地球のメディアというメディアは、昨夜のイベントの話題で持ちきりだった。

 金山チクサに代わり、ロイヤル・ホールのステージに突如現れた謎の歌姫。「伝説の一曲」のメロディに即興の歌詞を乗せて観客の度肝を抜くパフォーマンスを披露した彼女は、栄クリスに問いただされた瞬間、満員の観客の目の前で煙のように忽然こつぜんと姿を消した――という。

 ツルマが携帯端末で目にするネットワーク上の会議場フォーラムには、昨夜のステージに直接居合わせたという観客達の「目撃証言」が相次いでいた。だが、何より奇妙なのは、VRを通じて遠隔でイベントを観ていた者の誰一人として、その「謎の歌姫」の姿を見ていないということだ。

 もちろん、ツルマも「歌姫」の姿を目撃していない一人だった。昨夜のリアルタイム配信はもちろんのこと、今朝公開された「オータム」公式チューブのアーカイブ動画にも、そのような人物の姿は映っていない。

 だが、現地の観客やスタッフは、全員が揃って見聞きしたというのだ。ステージに舞い降りた天使の如き歌姫の姿、そして彼女が紡いだ目が醒めるような歌声を。


「兄ちゃん、どう思う?」


 リビングの受像機オムニビジョンがその「謎の歌姫」の話題を取り上げているのを横目に、ツルマがソファでくつろぐ兄に向かって尋ねると、兄は気だるそうに「ん」とノート型端末から視線を上げた。


「ユーレイ。残留思念。キツネに化かされた。そんなとこじゃないのか」

「はぁ?」


 この兄がそんな非科学的なワードを口にするのは、さすがに冗談なのだとツルマにもわかったが……。

 さりとて、昨夜起きたという出来事は、そのくらいでなければ説明がつかないような気もする。

 生体認証バイオメトリクスによる個人識別ディサーメントも効かず、さりとてヒューマノイドや光学オブジェクトの類でもない。カメラに映らず肉眼でのみ見える光学投影というのは、技術的には不可能ではないらしいが、そんなことをするのはサプライズでも意味がわからないし、現にイベントの運営サイドはそうした演出の存在を否定していた。

 だとすれば、大昔からある怪談話のように、その歌姫とやらは本当に、この世のものではない存在が一夜限り顕現けんげんしたものだったのかもしれない。だが、何のために……?



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



『皆さん、こんばんはー。今日もお仕事やお勉強、お疲れ様です。東海ミリオンの栄クリスと』

『金山チクサです。いつも応援ありがとうございます』


 その夜、クリスのチャンネルで始まった公式配信には、いつもの何倍もの視聴者が押し寄せていた。クリスの元々の人気に加え、今や彼女と双璧をなすスターになるまで後一歩と言われるチクサのゲスト出演、そして昨夜のイベントの話題性も相まって、今夜に限っては見逃せないという視聴者が殺到しているのだろう。

 ツルマは数学の復習の手を止め、携帯端末でその視聴者のひとりに加わっていた。トップスターのクリスと対等に並んで画面に映るチクサの姿は、いつもと変わらず可憐で美しかったが、今夜はその頭上にずっとクエスチョンマークが浮かんでいるかのようだった。


『わたし達、今日はイングランドのホテルから配信中です。つまり、まだこちらはお昼間なんですー』


 クリスの弾むような声に合わせて、配信の画面が光学窓ミラーガラスの外へと向けられる。その外にはよく晴れた青空と、遠く時計塔ビッグベンを臨むロンドンの街並みが広がっていた。


『皆さんご存知かなって思うんですけど、昨夜はわたし達、このロンドンで行われた音楽イベントに出演させて頂いてました。ね、チクサちゃん』

『ハイ! クリスさんと一緒に歌えて、夢みたいなひと時でした』


 模範生のようにクリスの振りに応答するチクサだが、その頭の上にまだクエスチョンマークが乗っかっているのをツルマは見逃さなかった。画面に流れる視聴者達のコメントも、「謎の歌姫の正体はチクサちゃん?」などと、昨夜の出来事の説明を求める声で埋め尽くされている。


『うーん、やっぱり皆さんが気にされるのは謎の歌姫のことばかりですよね。もう、ダメですよ、ここにこんな素敵な歌姫が二人もいるのにっ』

『わたし、その歌姫って見てないんです』

『うん、ちょうどチクサちゃんと入れ違いみたいに出てきて消えちゃったもんね。あ、でも皆さん、残念ながら、歌姫の正体はチクサちゃんじゃないですよ。わたしには心でわかります』


 ころころと色々な表情を切り替えながら、クリスは視聴者の反応とチクサとの会話を同時にさばいていた。


『チクサちゃんは、あの時、楽屋で居眠りしてたんだっけ』

『うん、飛行機で疲れちゃって……って違いますよ! ちゃんと起きてます! あの時、わたしは……えっと、何してたんでしたっけ?』

『大丈夫かな、こんな子がわたしのライバルで』

『もう、待ってくださいってば。……えーと、わたしは……あの時……なんだか、不思議な世界を旅してたみたいな』

『ドミトリーの外とか?』

『っ……!』


 チクサが笑いながら顔の前で片手を振るのに合わせ、視聴者から笑いのコメントが殺到する。ツルマも悔しいが少し吹き出してしまった。恐れを知らないブラックジョーク。クリスのバラエティ適性は、やはり何と言うか、一流アイドルの中でも群を抜いている。


『それよりクリスさん、聞かせてくださいよー。その歌姫ってどんな子だったんですか』

『え? レナちゃんみたいな子だったわよ』

『レナちゃんに会ったことないでしょ!?』


 チクサと一緒にくすくすと笑ってから、クリスは思わせぶりに指を立て、隣のチクサと視聴者カメラに同時に視線を配りながら言うのだった。


『アルティメット・エメル――そう言ってたわ。追慕の歌姫……とも』

『ついぼ?』

『遠い過去を懐かしく思うこと』


 ひょっとしたら、遥か過去からの使者だったのかもしれませんね――、と。視聴者に向かってクリスはそう述べた。

 その言葉に、ツルマは画面の前でごくりと息を呑む。


『じゃあ、どこかでこれを見ているかもしれない追慕の歌姫に向かって、チクサちゃんから一言』

『えっ、無茶振り……。えっと』


 チクサは気恥ずかしそうな顔で居住まいを正し、カメラ目線で語り始める。


『あの……。あなたの想いは、ちゃんと未来に届いています。安心してくださいね。わたし達は、いつまでも前のめりに歌い続けます。今日も明日も。歌の力が世界を照らすと信じて』

『よくできましたー』


 ぱちぱちと小さく拍手してみせるクリスと、顔を赤く染めてはにかむチクサ。

 想い人の可愛らしい姿、そしてその凛々しい言葉に、ツルマは心を打たれていた。

 ステージに現れた歌姫が何者だったのかは誰にもわからない。だが、それが本当に過去からの使者だったにせよ、何にせよ、誰もが連綿と続く歴史の紡ぎ手なのだということを、ツルマもまた意識せざるを得なかった。

 チクサが憧れたレナちゃんとやらも。追慕の歌姫、アルティメット・エメルとやらも。当のチクサも、クリスも、この時代を生きる数多のアイドル達も、誰もが過去から未来に光を繋ぐために歌い続けているのだ。遥かな過去から遠い未来へ、希望のバトンを手渡すために。


『Right now, we can be forward looking to dream...』

(さあ、前のめりに夢を抱こう)


 チクサの可憐な唇は小さく紡いでいた。ロイヤル・ホールの柱に刻まれているという伝説の一曲。過去から未来へ繋がる絆の象徴ともいえる、その一節を。

 ツルマはその画面からずっと目を離せなかった。チクサがその歴史の紡ぎ手の一人であることが、ただただ彼の心にも誇らしかった。

 いつかチクサ自身も伝説と呼ばれる日が来るだろうか。幾十年、幾百年先の人々は、彼女の思い出を懐かしく振り返ってくれるだろうか。追慕の歌姫――そんな名前で。


(完)

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