4-10 いつか、この街に
新潟での実務修習が終わる九月頭、菜穂は白河に連れられて再びカッパ達の住む町を訪れていた。少しぶりに顔を合わせる三太郎は、今日は黒のパーカーを身にまとい、沢山のキュウリが入った竹カゴを携えていた。
町で白河達を待っていたのは三太郎だけではなかった。カッパ達の雇い主たる水神も、あのカイゼル髭の中年男性の姿に化けて、猫山工務店の社屋を約束通りの時間に出てきた。
町を流れる川のほとり、普通の人間に入り込めないように不思議な力で隠されたカッパ達の集団墓地の一角に、目新しい石が置かれている。三太郎がその前に膝をつき、キュウリのカゴをそっとそこに置いた。
「イッちゃん……今日は、有給取ってここに来たっすよ」
ぐすっと泣きながら三太郎は手を合わせた。水神も彼のすぐそばに立って手を合わせている。この墓の主を死に追いやった張本人である彼が、どこまで本気で改心して墓碑の前に立っているのかは菜穂にはわからないが、裁判所で交わした和解の内容を
菜穂も一歩引いた位置で手を合わせて黙祷した。顔を見たこともない一平太というカッパの
「……安らかに眠りたまえ」
白河が小さな声で言った。菜穂が横目にちらりと見た彼の顔は、きっと人間の犠牲者に手を合わせるときと寸分変わらないのであろう、真剣な色をしていた。
「白河センセのおかげで、アイツの無念を晴らすことができたっす。本当に、何とお礼を言っていいか……」
墓参りの後、三太郎は白河に向かって深々と頭を下げた。首をひょこりと前に突き出す、カッパ特有の格好で。
「礼には及ばんよ。人妖共生社会の健全化は俺自身の願いであり使命でもあるからな。君の勇気ある行動によって、あの社長は少なくとも見た目上は改心したのだ。どこまで本気かはわからんが……なに、今後もこの俺が付いているのだ、心配することはない」
白河はそう言って、離れた場所で水
「成功報酬の請求書は後ほど郵送しよう。さあ、君は今日一日を有益に過ごしたまえ。今日は君が当然の権利として勝ち取った休暇なのだから」
「……はいっす。またゴロちゃんも連れてお礼に伺うっす。ありがとうございました」
独特のお辞儀を再度繰り返し、青年は道を渡って町へと消えていった。人間の姿に化けたその背中は、人間と同じ権利を勝ち得た誇りと嬉しさに輝いているように見えた。
「――さて」
白河が水神の方へと歩み寄っていく。三太郎は休みだが、あいにく白河はまだ仕事中だし、菜穂も修習中だ。
「
「ったく、取れるところで金を取りに来おって。あまり人間の理屈ばっかこねると承知せんろ」
口先では渋々ながらといった口調を作りながらも、菜穂の目には、今やこの水神が本気で白河を
ホワイトウルフ法律事務所の主要事業の一つに企業顧問がある。妖怪の依頼者達からほとんど報酬を取らなくても事務所の経営が成り立っているのは、あやかし特区に所在する様々な企業からたっぷり顧問料を頂いているからなのだという。
三太郎の件での和解の後、白河は、猫山工務店のホワイト化のために顧問を引き受けることを水神に提案し、合意していたのである。
「まあ、せいぜい教えてもらおうじゃねっけ。人間の掟に触れずに利益を出す方法とやらを」
「大船に乗ったつもりでいたまえ。法曹界のホワイトウルフと呼ばれるこの俺が、御社を人間の会社にも優るホワイト企業に生まれ変わらせてしんぜよう」
白河の言葉にフンと息を鳴らし、水神は社用車に乗り込んだ。彼と一緒に工務店の社屋に向かうべく、白河も愛車の運転席にひらりと滑り込む。
その助手席に乗り、よく晴れた空を仰いで、菜穂はほっと息を吐いた。
「白河先生。人間と妖怪の関係は、今より良くなりますか」
「俺が良くしてみせるとも。君もここで学んだことをしっかり持ち帰り、己の糧にしたまえ」
「……それなんですけど」
三週間前には思いもよらなかったことを、菜穂は自然と口にしていた。
「新潟って、妖怪事件をやる弁護士が足りてないって言ってましたよね。……わたし、上手いこと就職が見つからなかったら、またこの街に来てもいいですか」
「ふん。そんな先の心配より、まずは修習をきっちりやることだな。気を抜いていると二回試験に受からんぞ」
「……はぁい」
菜穂の溜息を
ホワイトウルフ法律事務所での修習プログラムももう終わり。明日には新潟から千葉に帰って、ホームグラウンドの修習先での研修の続き、そして十月からは再び埼玉の司法研修所での集合修習に戻ることになる。
菜穂があやかしの街で学べる時間は、あまりに短かったが――
もしかしたら、遠くない未来、自分もこの街で働く人達の仲間入りをすることになるのかもしれない。
そんなことを考えながら、菜穂は先祖代々の水神とカッパが守り続けてきた川の流れをぼんやりと眺めていた。
(→→→弁護士・樋廻菜穂編 COMING SOON?)
あやかし特区のワーキンガールズ! 板野かも @itano_or_banno
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