4-6 人も妖怪も事情は同じ

「大体お前らは、法律法律って、人間様のルールにかぶれすぎなんさ」


 水掻きの目立つ手で三太郎と五郎丸を指差しながら、その大柄なカッパはクチバシを尖らせて言った。


「あやかし特区か何か知らねえけろも、俺達はご先祖様の代から何百年も妖怪のルールで生きてきたんさ。いきなり人間様に合わせろって言われたって、水神様も困るに決まってんじゃねっか」

「いや、人間にかぶれてんのはむしろ今の社長の方らろ」


 三太郎も同じくクチバシを尖らせて言い返していた。白河はけんの姿勢でいるようなので、菜穂もひとまず黙ったまま事態を見守ることにする。


「前の水神様は皆に優しくしてくれてたって、上の世代の河童ひとらは皆言ってるじゃねっか。今の社長に変わってからさ、ウチも人間並に利益を出すんだとか言って、俺っちをこき使うようになったのは」

「まあ、今の水神様のことは俺も別に好きじゃねえけどさ。ウチの親父は言ってたんさ、そういうことを飲み込んで受け入れていくのが、大人になるってことなんだって」


 見た限り、三太郎と五郎丸以外のカッパ達は彼の意見に同調しているようだった。うんうんと深く頷いている者もいる。菜穂が黙って見ていると、その中の一人が新たに口を開いた。


「難しい理屈はともかくよ、水神様とケンカすんのはよくねえらろ。弁護士とか裁判とか持ち出しちまったら、たとえ勝ったとしても俺達みんな会社に居づらくなるっけ」


 彼の発言に、他の仲間達がまたうんうんと頷く。


(……なんていうか、人間も妖怪も似たような感じだなあ)


 菜穂は思った。日本人的「事なかれ主義」の典型というか、この手の会話は人間の従業員の間でも定番のやりとりと言える。経営者に楯突くのが怖いとか、和を乱すのがよくないとか、我慢して受け入れるのが大人だとか、たとえ訴えて勝っても居づらくなるとか……。そういう理由で、抗うことを躊躇ためらってしまう従業員は決して少なくないのだ。


「だけど、あやかし特区なんて制度を作ってもらったからには、妖怪みんなでそういう社会を作っていくべきなんじゃないか」


 五郎丸がゴーグルに手を添えながらそう言うと、先程の大柄なカッパがたちまち噛み付いた。


「ゴロちゃんの言うことは理屈っぽくてわかんねえんだよ。大体、そんなの人間様が一方的に決めてきたことじゃねっか」


 ゲロゲロと唸り、カッパ達は睨み合う。

 彼らの言い争いが膠着こうちゃく状態に入ったところで、タイミングを見計らっていたかのように、白河が腕組みの姿勢のまま口を開いた。


「まあ、お互い相容れぬものがあるのはわかるが」


 三太郎と五郎丸、そして他のカッパ達を見回して、弁護士は言う。


「我々弁護士としては、法を前提に動くしかないのでな。あやかし条例で、労働法の保護対象に妖怪が組み入れられている以上、ひとまず俺は三太郎氏の肩を持たざるを得んよ」


 彼が言い切ると、三太郎がホッとした顔でケロっと鳴いた。だが、大柄なカッパはそんな白河の一言では納得できなかったらしい。


「弁護士さんにはわかんねえっすよ。俺達は、水神様とケンカして会社を追い出されちまったら、おまんまの食い上げなんです。そりゃ、水神様が代替わりしてから仕事がキツくなったのは確かだけろも、いちいち反発してたら生きてく道がねえんさ」


 横で聞いている菜穂にもわかった。このカッパはこのカッパで真剣に物事を考えているのだということが。

 しかし、我らが弁護士ホワイトウルフは、そうした意見を黙って見過ごすような男ではないようだった。


「経営者に楯突いては生きてゆけない――そんな風に誰もが考えていた時代が、人間にもあったのだよ」


 白ブチ眼鏡のレンズをきらりと光らせ、白河は言った。カッパ達の目が一斉に彼に注がれる。


「五十年や百年も昔の話ではない。つい最近のことだ。現在の労基法が出来て七十年も経つというのに、世の労働者はほんの最近まで、己の権利を正当に主張しようとしてこなかった。いや、今ですらそうだ。違法な搾取をいとわぬ企業が『ブラック』と名指しされ、公然と批判されるようになったこの時代においてさえ、多くの労働者は軋轢あつれきや報復を恐れて声を上げようとしない。忍耐を美徳とし、正当な権利行使を我慢することこそが社会人の務めと信じ、経営者の奴隷に甘んじているのだ――そう、まさに今の諸君のようにな」


 白河がすっと一同に指を向けると、びくり、とカッパ達が律儀にたじろぐ様子を見せた。


「確かに、社会の全てが法に沿って動くなど絵空事かもしれん。だが、誰かが声を上げねば現実は変わらない。人妖共生という絵空事を現実に変えようとする三太郎氏と五郎丸氏の勇気、誠に立派ではないか。繰り返すが、ほんの少し前まで、人間社会における労働者の権利も絵空事に過ぎなかったのだ。有給は取れなくて当たり前、残業代は貰えなくて当たり前、理不尽な理由で解雇されても当たり前……。我が国の労働者の多くがそうした『当たり前』に押し潰されてきた。その誤った『当たり前』が近年ようやく崩されようとしているのだ。その流れに抗って何とするか」


 滔々とうとうと並べられる彼の演説に、菜穂もカッパ達と同じようにびくりと背中を硬直させた。


「三太郎氏の案件が首尾よく解決すれば、それで救われるのは彼一人ではない。諸君ら全員の待遇、ひいては人間と妖怪の関係そのものに一石を投じられるかもしれんのだ。俺が新潟の街で弁護士をやっているのはそのためでもある」


 スケールを広げた彼の発言に、カッパ達が揃ってごくりと息を呑む。菜穂もまた、本気モードの彼の目を見て震えざるを得なかった。一見するとただの真っ白な変人にしか見えない彼だが、そこまで妖怪のことを考えて……。

 と、そこで、仲間達の空気が変わるこの時を待っていたかのように、三太郎がクチバシを開いた。


「皆、一平太いっぺいたのカタキをとりたくねえんか。やられっぱなしでいいんか」

「そりゃ、あのヤローの無念は晴らしてやりてえけどさ……」


 向かいのカッパ達が一斉に迷いの表情を見せる。一平太というのが、社長の横暴の犠牲になった仲間の名前であろうことは、菜穂にも容易に想像がついた。


「らけろも、やっぱり水神様とケンカするってのは……」

「安心したまえ。俺がするのは喧嘩ではない」


 よく通る声で、白河は言った。


「ただ法律を読みかじり、闇雲に拳を振り上げるだけなら素人でも出来る。法の理屈を駆使し、平和的解決の道を探る為にこそ、我々プロが居るのだ」


 彼のその言葉が殺し文句になったようだった。数秒の沈黙を置いて、大柄なカッパが言う。


「……わかりました、弁護士先生。そこまで言うんなら、俺らもサンちゃんの戦いを見守らせてもらいます」


 それに異を唱える者は、最早誰もいなかった。

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