4-5 カッパの飲み会
弁護士白河白狼の愛車は、これもやはり真っ白なイタリア産のクーペだった。
法定速度を律儀に守るその車の後部座席に身体を押し込め、菜穂はスマホで
「そういえば、お姉さんって、弁護士さんのタマゴだからヒマワリさんなんっすか?」
三太郎青年が助手席から振り返って聞いてくる。よく聞かれることだが、因果関係を逆にされるパターンは初めてだなあ、と苦笑いしつつ、菜穂は答える。
「この名前だから弁護士に憧れるようになった、っていうのはありますよ。……まあ、なれるかどうか、まだわからないですけどね」
司法試験に受かっても、この司法修習を終え、「二回試験」と呼ばれる考試にパスしなければ法曹となることはできない。司法試験に通ったなら二回試験も大丈夫だろう、と一概にタカをくくっていられるほど、菜穂は自分を優秀だとは思っていなかった。
それに、首尾よく弁護士の資格を得たところで、雇ってくれる事務所がなければ何とも……。
「まあ、そう心配するな。京都や鎌倉で就職にあぶれたら、この街に来るといい。ここはまだまだ人手不足だからな」
「……なーんか、その言い方、わたしみたいな出来の悪いヤツでも大丈夫って意味に聞こえますけど」
そんな会話をしている内に、車は阿賀野の町へと乗り入れた。
文明と隔絶された山の中とかならともかく、こんな町中で妖怪が会社を営んでいるなんて、菜穂の感覚ではまだ受け入れがたい事実だが……。しかし、妖怪の生息域というものは、あやかし特区というものが出来る遥か昔から、人間社会と付かず離れずの形で不思議に重なり合って存在していたらしい。
今からそこに乗り込むのだ。新幹線に揺られていたときの憂鬱も忘れ、菜穂は何だかちょっとワクワクしている自分に気付いていた。
三太郎青年の案内に沿って白河が車を停めたのは、川にかかる小規模な
白河と三太郎が先に車を降り、菜穂も這い出るようにして狭い後部座席から脱出した。先に三太郎が言っていた通り、今日は工事は休みであるらしく、周囲に人影はなかった。
「ふむ。老朽化した橋の修繕をしているのか。建設許可も適法に得ているようだな……」
白河の視線は現場に立つ白い看板に向けられていた。菜穂も横からそれを眺めてみる。看板の一番上には「建設業の許可票」と印字され、「商号又は名称」「代表者の氏名」に続き、許可番号やその他諸々の項目が並んでいた。
確か、工事現場には必ずこういう看板が掲げられているのだったか?
「有限会社
何とはなしに菜穂が声に出して読み上げると、ケロっと鳴いて三太郎が言った。
「それが今の代の
「人間ではないのだな?」
白河が質問を差し挟む。
「人間じゃないっすよ。神様っていうと大袈裟っすけど、まあ、なんつうか、俺っち
「なるほど。有限会社ということは、会社の設立は2006年以前か。あやかし条例の施行前から存在していたようだが……ふむ、従業員の労働実態が把握できんことには動きづらいな……」
弁護士が腕を組んで唸っていると、カッパは何かいいことを思いついた様子で、ぽんと手を打って「そうっす」と声を上げた。
「今夜、会社の、歳の近い連中だけで飲み会があるんっす。俺っち、今日はそれどころじゃないっけ、参加しないつもりだったんすけど、白河センセも一緒にそこに来たらいいっす。実は、弁護士を頼ればいいって俺っちに入れ知恵してくれたダチも来るっすから、色々聞いたらいいっす。あいつ、妖怪高校を出てて頭いいっすから」
「ふむ……。では、お互い明日の仕事に差し支えない範囲でなら、邪魔させてもらうとしようか」
ここでも白河は即決即断だった。菜穂もここまできたら乗りかかった船だと思い、一緒にその場に参加させてもらうことにした。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
カッパの飲み会というから、下手したら川辺で野外ではないかとヒヤヒヤしていたが、日が暮れて三太郎が案内してくれたのは意外にも普通の店構えの居酒屋だった。入口に掛けられた赤い
「もうみんな来てるはずっす」
からりと引き戸を開け、
「いらっしゃぁい」
カウンターの中から声をかけてくる
「っ……!」
当人の手前、悲鳴を上げるのも失礼と思ってなんとか声を抑えたが、ひやりとした悪寒が身体を包んで離れない。だって、あの女将の纏っている空気、あれはどう見ても生きた人間ではなく……。
「ゆ、幽霊……?」
思わず白河の背中を見やると、彼は特に動じる様子もなく、三太郎に案内されるがままツカツカと店の奥に踏み入っていた。
「この世に幽霊などいない。あの女将は人を化かすのが得意なキツネかムジナあたりだろう」
「あっ、そ、そうなんですか。あーびっくりした……」
キツネやムジナだって十分驚くには値するはずだが、菜穂はなぜかほっと胸を撫で下ろす。
店の奥では、三太郎と同じく緑の肌を持つカッパが、思い思いの服を着て、五、六人ほどでテーブルを囲んでいた。
「あれ、サンちゃん、おめー来ないって言ってたろ?」
「そちらのお方は人間様かよ?」
愛嬌のある目をぱちぱちとさせて、テーブルのカッパ達が口々に三太郎に声を掛ける。菜穂がひとまず白河の後ろに追い付いたところで、三太郎が二人を仲間達に紹介した。
「こちら、弁護士の白河センセと、お弟子さんのヒマワリさんら」
お弟子さん、って……。別にこの先生の弟子じゃないんだけどなあ、と思いながら菜穂が会釈すると、カッパ達は口々に「
しかし……。
「弁護士の白河白狼という者だ。こちらの三太郎氏の依頼を受任しようと思い、ここに来たのだが……」
続いて白ずくめの弁護士がそう名乗ると、テーブルを囲むカッパ達の空気は、ざわざわと一変した。
「弁護士……」
真っ先に身を乗り出したのは、ボロい学ランのようなものを羽織り、水泳用のゴーグルで両目を覆った一人のカッパだった。
「サンちゃん、本当に弁護士さん連れてきたんか」
「おうよ、ゴロちゃんのおかげさ。聞いて驚け、この白河センセは、あやかし特区の正義の味方と呼ばれる程のお方ら」
三太郎の引いた椅子に白河が腰を下ろすと、近くのカッパ達が
「君かね? 三太郎氏に弁護士への依頼を勧めたというのは」
問われると、ゴーグル付きのカッパは頷くかわりに首を上下させた。
「そうです、そうです。僕、
黄色いクチバシをぱくぱくとさせて彼は言う。そこへ、幽霊に化けた女将がすうっと音もなくテーブルに寄ってきて、突き出しと思しき小皿をことりと白河と菜穂の前に置いた。
「人間のお客様がいらっしゃるのは久しぶりねえ。飲まれますか?」
「いや、車で来ているゆえ、アイスミルクがあれば頂きたい」
「変わったものを飲まれるのねえ。お嬢さんは?」
白河の適応能力の高さに驚かされながら、菜穂はウーロン茶を頼んだ。女将の足元に思わず目をやると、足首から先は煙のように空気と溶け合っているように見えた。
菜穂の視線に気付いたのか、女将がにやりと笑う。
「ご安心ください。ウチで出すものは全部、人間のお店から仕入れてるんさ」
「は、はぁ……」
「安心したまえ、ヒマワリ君。ちゃんと営業許可も取っているようだ」
白河がクイと指差した壁面には、確かに飲食店の営業許可の書類が額縁に入って掛けられている。それなら問題なさそうだが……。
女将がすうっとカウンターの中に戻ると、いつの間にかカッパの姿に戻っていた三太郎が、ケロっと鳴いて言った。
「あの女将さん、死んだ旦那さんの隠し財産がたんまりあるとかで、タダで俺っち
「なるほどな。労働の対価をキュウリで支払われているという君達が、どうやって貨幣経済に参画しているのか不思議だったが……」
菜穂が突き出しのキンピラゴボウを見て、本当に食べても大丈夫だろうかと首を捻っていると、女将がアイスミルクとウーロン茶のグラスをテーブルに置いた。
「ごゆっくり」
「……じゃあ、皆、ご足労くださった白河センセに乾杯しよてば!」
三太郎の呼びかけに、ゴーグルの五郎丸をはじめ、他のカッパ達も各々のグラスを手に取った。やはり弁護士という存在を目の前にしてかしこまっているのか、ほとんどのカッパはまだどこか緊張したような顔で、一歩引いた姿勢で白河を見ているようだったが……。
(カッパって意外と表情わかりやすいなあ……)
そんなことを思いながら、菜穂も自分のウーロン茶を手に取る。
だが、ひとまずの乾杯を終え、白河がアイスミルクを飲んで一息ついたところで、テーブルの向かいに座っていた一人のカッパが、「あのよぉ」と口を挟んできた。
「やっぱ、やめといた方がいいんじゃねっか? 弁護士様まで入れて水神様に楯突くなんてさ」
カッパ達の目が一斉に彼に向く。彼は白河に遠慮するような態度も見せながら、それでも三太郎と五郎丸に向かって言うのだった。
「人間様のルールを、何もかも俺達に当てはめていいってもんじゃねえらろ。水神様の怒りを買っちまったら、干上がって困るのは俺達ら」
どこか諦めを込めたような彼の言葉に、まだ発言していなかったカッパ達も小さく頷くのを菜穂は見逃さなかった。
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