4-4 カッパ依頼者の事情

「俺っち阿賀野あがののカッパは、昔から村の工事を手伝ったりして、人間達と良い関係を築いてきたんっす」


 きょろりとした目をくりくりさせて、カッパの三太郎さんたろう青年は語った。パーカーのフードを取り払ったその頭頂部では、大きな皿が存在感を放っている。


(若いのに可哀想……っていうのは、違うよね?)


 ようやく落ち着きを取り戻し、菜穂は白河弁護士の隣の席に座り直って話を聞いていた。三太郎青年の頭は、愛嬌のある顔と相まってなんだか若ハゲのように見えたが、彼らカッパにとって頭の皿が誇るべきものなのか恥ずかしいものなのかもわからない菜穂には、何ともリアクションしようがない。


「俺っちが勤めてる猫山ねこやま工務店って会社は、代々、水神すいじん様が社長をしてるんすが、五年ばかり前……俺っちが親父と入れ替わりで入社した頃、水神の代替わりがあったんす」

「ほう。興味深い話だな……」


 全身白ずくめの白河は腕組みの姿勢で椅子に深く腰掛け、真面目な顔をして三太郎の話に耳を傾けていた。この街に着いて一時間足らずで早くも修習モードに放り込まれてしまった菜穂は、机の上にノートを広げ、相談の要点を書き出していく。


(社長の代替わりが五年前……。あやかし特区になってから、ね)


 あやかし特区が正式に法制化されたのは二十年ほど前、新潟市がそれに認定されたのは十年前。だが、前に本で読んだところによると、妖怪の会社自体はそれよりずっと前からあったらしい。その頃は一体どういう扱いになっていたのか、法曹のタマゴとしては興味が尽きないところだった。


「親父や皆から聞いた話じゃ、前の水神様は俺っちにも優しかったらしいんっすけど……。今の社長は、なんつうか、人間かぶれがヤバくて、皆を少ないでこき使うんす。おまけに最近じゃ、休みもマトモに取らせてもらえない有様で……」


 三太郎の表情は見る見るうちに暗くなっていった。ふむ、と頷いて、白河が言う。


「それで君は、一縷いちるの望みをかけて、わが事務所の門を叩いたわけだな」


 若いカッパがケロッと首を下げたところで、白河は「ヒマワリ君」と唐突にこちらに目を向けてきた。


「はいっ?」

「労基法24条と人妖じんよう共生条例の関係はもう知っているかね」

「えっ、あの、ごめんなさい」


 思ってもみない口頭テストをいきなり課せられ、菜穂は答えに詰まった。

 労働基準法の第24条といえば、賃金の支払に関する規定。「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」……。例えば、ブラック企業の経営者が「従業員の過失による損害賠償の請求をその者の賃金と相殺する」といった滅茶苦茶な主張をしてきたときは、この条文の出番となる。

 そのくらいは菜穂だって知っているが、人妖共生条例……俗に言う「あやかし条例」がそれにどういう例外を与えているのかは、控えめに言ってこれから学ぶべき内容だった。


「謝る必要はない。今覚えたまえ。労基法24条については、妖怪独自の慣例が存在する場合は労働協約があったものとみなす規定になっているのだ」

「……えっと、じゃあ、給与がキュウリっていうのは、それが慣例なら合法?」

「そういうことになる。妖怪には妖怪の事情があるのでな。歴史的に現物払いの慣例がある場合はそれを合法なものとみなす、と規定してバランスを取っているわけだ」

「ははぁ……」


 言われたことを早速メモしていると、三太郎が感心した声で言ってきた。


「弁護士さんって、大変なんっすねえ。色々覚えることがあって」

「そうした知識の一つ一つが、困っている依頼者を助ける武器になるからな。……さて」


 次に白河が発したのは、驚くべき一言だった。


「今日は幸い、他に来客の予定もないことだし。早速その町に行ってみるとしようか」

「えっ!?」


 菜穂は三太郎と同時に声を裏返らせた。そんな、今相談に来たばかりなのに、もう今から依頼者の町に乗り込むだなんて……?


「お忙しい弁護士センセが、俺っちの町にご足労いただけるんっすか?」


 唇を突き出して三太郎が聞き返している。白河は細い指で白ブチ眼鏡をくいと直してから、言葉を続けた。


「なに、阿賀野市なら、ここから車で30分も掛かるまい。それに、労働事件は時間との勝負だ。争うにせよ、どうするにせよ、準備は早いに越したことはない」


 彼はそう言って立ち上がると、菜穂を見下ろしてきた。


「ヒマワリ君、君も付いてくるかね? 帰りは夜になるかもしれんが、どの道ホテルに帰るだけだろう」

「は、はい」


 いざ問われてみると、ほとんど迷う余地はなかった。

 電話で話す恋人すらいないフリー女子の悲哀というか、何というか。ビジネスホテルにチェックインしても、その日の修習の振り返りや、二回試験に向けての勉強以外にすることなどないし。それなら、憧れの京都とはどうも毛並みが違いそうだとはいえ、一刻も早く妖怪の世界を見られるこのチャンスに飛びつかない手はない。


「しっかり勉強させて頂きます」

「ふむ。では行こう」


 白河に促され、菜穂は三太郎青年と目を見合わせてから立ち上がった。彼がまだ「そこまでしてくれるなんて」と言いたげな顔をしていたので、菜穂も小さな声で「わたしもびっくりしてます」とささやいた。


「ミドリさん、我々は現地調査に出てくる。時間になったら電話を留守電に入れて退勤してくれたまえ」

「はいはい。お気をつけて」


 ブースの中のやりとりがどこまで聞こえていたのかはわからないが、受付のおばさんは慣れたもののようで、少しだけ顔を上げて手を振っただけだった。

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