4-3 ホワイトウルフ法律事務所
指導弁護士の
「このビル、ひょっとして先生がお持ちなんですか?」
真っ白すぎる弁護士の格好にまだ目が慣れないなあ、と思いながら菜穂が尋ねると、彼は軽やかにエレベーターのボタンを押しながら「いかにも」と答えてきた。
「俺は元々、東京で開業していてね。その頃の稼ぎで建てたのがこのホワイトタワーだ。トランプタワーには及ばないが、入居審査は厳しいぞ」
「スゴイですね。お金持ちなんですね」
このあたりの不動産の相場は知らないが、それでも、県庁所在地の駅近にこの規模のビルを個人で持てるというのは、かなり凄いことなのだろう。
でも、やり手の弁護士先生がどうしてわざわざ東京から新潟に……。そんなことを思っていると、あっという間にエレベーターは最上階に到達し、ポーンと音を立てて扉が開いた。
「さあ、入りたまえ。あやかし特区の正義を守る白亜の牙城、ホワイトウルフ法律事務所だ。キミの来訪を心から歓迎する」
白河に招き入れられ、菜穂は事務所へと足を踏み入れる。たちまち目に入った内装は、なんというか、予想を微塵も裏切らないものだった。
「……白っ」
床も白なら壁も白。広いデスクが並べられた開放感のあるオフィスは、そこそこの面積を誇っているように見えるが、内装が白いから余計に広く見えるのかもしれない。
「こんにちは」
事務員らしきおばさんが上品にお辞儀をしてきた。さすがに彼女の服は白ではなかったが、そのことが逆に空間の白さを引き立たせていた。
白いパーテーションで区切られた相談ブースに案内され、白いチェアに着席して菜穂が待っていると、白河は白いマグカップを二つ持ってそこに姿を表した。
「コーヒーで良いかね。俺は冷たいミルクを飲む」
菜穂の前に置かれたカップは、湯気とともに良い豆の香りを立ち上らせていた。一方、彼のカップは本当に白い液体に満たされている。
「本当はホットミルクが好きなのだが、あの匂いは人によっては悪臭に感じるらしいからな。君がどうかは知らないが」
「あー……はい。ホットミルク、嫌いじゃないですよ。でもありがとうございます」
菜穂がぺこりと頭を下げた直後、白河は早速本題に入ってきた。
「この街があやかし特区に認定されてもう十年になるが、妖怪の法的保護はまだまだ不十分でね。妖怪絡みの事件を見られる弁護士もまだ少ない。俺はその貴重な一人になりたいと思ったのだ。……ヒマワリ君もそのクチかね」
「……え、ええ、まあ、はい」
レンズ越しの鋭い眼光に見据えられ、菜穂はどきりとする。本当は京都に行きたかったのだけど、という本音を見抜かれてしまっていないかが少し怖い。
「今は千葉で研修しているのだったか。ナマの妖怪を見たことはあるかね?」
「……正直、テレビとライブくらいでしか」
「
こちらが言いもしないのに、白河は菜穂の嗜好を瞬時に言い当ててきた。そう、いい歳してあまり大きな声では言えないが、あのイケメン妖狐のアイドルグループの存在こそ、菜穂が京都のあやかし特区に興味を持った切っ掛けでもあったのだ……。
「だが、あれを妖怪のステレオタイプと思っていると、この街ではやや戸惑うかもしれんな」
「え……?」
彼の発言の真意がわからず、菜穂は首をかしげた。ちょうどそのとき、事務所のブザーが鳴った。
事務員のおばさんが「はぁい」と来客対応に出ていく声がする。菜穂が反射的に入口の方向を見ると、白河が「ふふん」と何やら楽しそうに笑った。
「ちょうど予約客があったのだ。君もさっそく相談に同席したまえ」
「は、はい」
菜穂は声を裏返らせて返事をする。随分急な展開だが……?
「先生。そちらに入って頂きましょうか」
「うむ。ヒマワリ君、君はこっちに回りたまえ」
菜穂が言われた通りに白河の隣に立ったところで、事務員のおばさんが、来訪者を相談室内に招き入れた。
「どうも、お世話になります」
入ってきたのは、パーカーのようなものを雑に着こなした若い青年だった。室内でもフードをかぶりっぱなしなのが一瞬気になったが、まあ、隣の弁護士もたいがい常識的な格好とは言えないので、気にしたら負けなのかもしれない。
「よく来て下さった。ホワイトウルフ法律事務所所長の白河白狼だ。こちらは司法修習生のヒマワリ君」
「樋廻菜穂です。こちらに勉強にお邪魔しています」
菜穂が軽く頭を下げると、青年はきょろりとした大きな目をぱちりと
名乗っただけで人の気を引いてしまうのは、珍しい名字に生まれた宿命のようなものだ。
「あ、自分は、
青年は顔の角度を変えず、ひょこりと首ごと前に出すような変なお辞儀をした。
「カッパ?」
今度は菜穂がオウム返しする番だった。確かにカッパに似た顔をしていなくもないが、何かの冗談だろうか?
だが、隣の弁護士は全く動じる様子もなく、「ほう。カッパかね」と平然と答えている。
「まあ、ずっと人に化けているのも疲れるだろう。楽にしてくれたまえよ」
「あっ、そうすか、ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて……」
青年が頭のフードを取り払うと、そこに現れたのは、水で満たされた皿。
その瞬間、今の今まで人間の目鼻が付いていた彼の顔面が、さあっと緑色の肌に変わり――
「っ……!?」
驚く菜穂の眼前に、それは立っていた。
どこか愛嬌を感じさせるきょろりとした目に、黄色いクチバシ、緑の肌、背中の甲羅。ケロ、と一声鳴いて自らの頬を掻く、その指の付け根には大きな
「か……かっ、かっぱ」
妖怪といえば、人の姿に化けた狐耳のイケメンや、あやかしカフェの猫耳メイドくらいしか直に見たことのない菜穂にとって、こういう妖怪が目の前にいるというのはあまりに鮮烈な体験だった。
「ヒマワリ君、他人様の姿を見てそんなに驚くものではないぞ。……君、悪いな、彼女はこの街に来たばかりでね」
「あぁ、いやぁ、なんか、嬉しいっすねえ。人間様に驚いてもらえるのって、わりと妖怪
ちょっとまだ声の出せない菜穂の前で、当のカッパはなんだかよくわからない理由で喜んでいた。
「まあ、それはいいが、時は金なりと言う。早速君の相談を承ろうではないか」
「あ、そうでした。俺っち、センセに助けてほしいんっすよ」
カッパ青年はまた顔を突き出す変なお辞儀をした。皿の水がこぼれないようにそうしているのだな、と、菜穂にもようやくわかった。
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