4-2 あやかし特区実務修習

 時に令和元年八月。大きめのスーツケースにぎっしりと荷物を詰め込み、樋廻ひまわり菜穂なほは少し憂鬱な気分を引きずって朝から新幹線に揺られていた。


(……わたしって、クジ運ないのかなあ)


 三週間分の泊まりの準備をして菜穂が揺られる車両は、あやかしのメッカ京都へ向かう東海道新幹線「のぞみ号」……ではなく。

 東京駅から発着していることは知っていても、まさか自分がそれに乗ることがあるなど思いもよらなかった、新潟行きの上越新幹線「とき号」なのであった。


(トンネルを抜けると雪国だった……だっけ)


 何度目かのトンネルに入り、ショートボブにナチュラルメイクの自分の顔が車窓に映る。文豪の綴った国境のトンネルというのが正確にどのあたりかは知らないけれど、なるほど確かにトンネルの多い旅路ではある。

 現地では、選択型実務修習のプログラムを提供してくれる弁護士せんせいが自分を待っているのだから、あまりぶすっとした顔で乗り込むわけにはいかない……と思うが。それでも、というガッカリ感が、今の菜穂の中で尾を引いているのは否定できなかった。


 二年前、新卒から七年勤めた会社を退職した菜穂は、積年の憧れだった司法試験に挑戦。予備試験と本試験をいずれもギリギリのギリギリでパスし、昨年十二月からいよいよ法曹の見習いである司法修習に臨んでいた。

 司法修習のメインを占める「分野別実務実習」では、修習生が本人の希望と抽選によって全国各都道府県の修習地に振り分けられ、民事裁判、刑事裁判、検察、弁護のそれぞれを二ヶ月ずつ掛けて学ぶことになる。

 この希望修習地の選択で、菜穂は残念なミスをやらかした。京大卒の修習生がこぞって希望する人気エリアであることをコロッと忘れて、「あやかし特区」での仕事を体験できたらいいなという程度のふわふわした動機で、京都府を第一希望に書いてしまった。

 同じく鎌倉のあやかし特区があるからという理由で第二希望に挙げた神奈川県も、やはり関東圏の修習生が第一希望に選ぶことの多い人気エリア。そんなこんなで、菜穂のメイン修習地は、特にこれといった興味もない千葉県になってしまった。

 その千葉でアパート住まいをすること八ヶ月。血を吐くような思いで厳しい分野別実務実習を乗り切った菜穂の前に、思いもよらず提示された希望こそが、続く「選択型実務修習」における「全国プログラム」だった。これは、東京や大阪など特定のエリアでしか体験できない法曹業務について、他の地域からも希望する修習生を受け入れ、三週間ほどの短期間の研修を積ませるというものである。

 現在のわが国において、特定のエリアでしか体験できない仕事といえば、なんといってもあやかし特区での対妖怪実務。当然、京都府でも「人妖共同参画社会推進特別区における特殊事件についての修習」という全国プログラムが開講され、裁判所や弁護士事務所が修習生を受け入れているのだが……。

 例によって菜穂はこの希望抽選にことごとく落選。それでもって、全国プログラムの利用は義務ではないのだから興味がなければ希望しなければいいものを、ヘタに新潟県の同様のプログラムにもチェックを入れてしまっていたために――樋廻菜穂は今、新車両が導入されたばかりの上越新幹線で、一路雪国を目指しているというわけなのだった。


(……まあ、でも、大雪の季節じゃないのがせめてものラッキー?)


 そうやって無理やり幸運を探してみるくらいしか、自分を鼓舞する手段はなさそうだった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 東京駅から二時間余り。菜穂が降り立った新潟駅の構内には、意外に先進的なデジタルサイネージの表示板が並び、この街のアイドルらしき女の子達が「ようこそ新潟へ」というボードを持って画面の中から微笑んでいた。

 雪国だけあって夏でももう少し涼しいのかと思っていたが、気温は千葉や東京とあまり変わらない気もする。

 スーツケースを引いて駅の北口に出た菜穂は、スマホのマップを表示させ、今日からお世話になる弁護士事務所の名称を改めてそこに入力した。たちまち現れた赤いピンまでは、駅から徒歩で5分ほどの距離。もちろん事前にも場所は調べているが、初めての街ではマップを見ながらでないと思うように歩ける気がしなかった。


 ――と、そのとき。

 目的地を目指して歩き始めようとした菜穂に、後ろから「お嬢さん」と声を掛けてくる者があった。


「弁護士をお探しかね」

「え?」


 ピンポイントなその台詞に振り向けば、そこにはすらりとした男性のシルエット。


「……白っ」


 何かの見間違いかと思って、菜穂はぱちぱちと目をしばたかせた。

 眩しい太陽の下、駅前の雑踏の中で浮くように立っていたのは、白ジャケットに白ネクタイ、ベルトも白なら靴も白。結婚式の新郎でもそこまで白くないでしょと言いたくなるような、上から下まで真っ白の男だったのだ。

 さすがに髪は白くなかったが、黒い前髪の下できらりと存在感を放つのは、東京でも売っていなさそうな横長の白縁眼鏡。年齢は三十代半ばくらいか。細身の身体で高身長、顔立ちだけなら男前だが、変な眼鏡のレンズ越しにはどんな女の子でも付いていく気が失せるような鋭い瞳がぎらりと菜穂を見据えている。

 印刷ミスかと見紛うような白一色の装いの中で、唯一、白以外の色彩を放つのは、ジャケットの左下襟ラペルに輝く向日葵ヒマワリはかりの小さな金バッジ。


「……あなたが、白河しらかわ先生?」


 菜穂がぽつりと呟くと、その男性は「ほう」と得心した様子で頷いた。


「するとやはり、君が修習生の樋廻ひまわり君かね。ヒマワリ色のスーツを着ていないから分からなかったぞ。君も弁護士を目指すなら、俺のようにたいを表したまえ」

「……え、えぇ?」


 いきなり意味不明な言葉をすらすらと並べ立てられ、菜穂は首をかしげるのがやっとだった。一体何なんだ、この弁護士は――。

 彼はおもむろに白スーツの胸ポケットから名刺を取り出し、菜穂に差し出してきた。紙片いっぱいに白い狼の絵が描かれ、「ホワイトウルフ法律事務所 所長 白河白狼はくろう」の文字が黒の縁取りに白抜きの印字で踊っている。


「君は幸運だよ、ヒマワリ君。例年多くの志願者が殺到する、わが事務所の全国プログラムに見事当選したのだからな」

「は、はい。お世話になります。宜しくお願いします」


 自分にとっては却ってハズレクジのようなものなんだけど、とは勿論言えない。


「立ち話もナンだ、早速付いてきたまえ。あやかし特区の正義を守る、わがホワイトウルフ法律事務所へ案内しよう」


 彼は颯爽ときびすを返し、スタスタと歩き始めてしまった。なんだかヘンな先生のところに来てしまったぞと思いながら、菜穂はスーツケースを引き、その白い背中を追った。

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