3-8 この街の誇り

 それからの我らが万代警察署生活安全課の動きは、きわめて迅速だった。

 片瀬の提唱した、器物たる妖怪を利用した接待行為を利用者自身の行為として摘発する捜査プランには、直ちに課長のGOが出た。雪乃をはじめとする課員達は、客や元従業員、同業者らへの聞き込みなど入念な捜査で外堀を埋め、あとは現場に踏み込むだけという状態まで僅か数日で持っていった。

 検察にも事前に話を通し、証拠が揃えばその法適用で起訴可能との了解を得て、いよいよ礼状請求。そして、イトナ達が元いた店舗と、ウラナが今働かされている店舗に、課員総出で同時にガサ入れに踏み込み――


「年貢の納め時よ。風営法違反の容疑で逮捕します」


 あの悪質オーナーの眼前に、遂に礼状ペーパーを突き付けることに成功したのだ。


「バカな……不当逮捕だ! 妖怪は器物モノだろうが! モノに接客させて風営法違反なんて裁判所が認めるワケないだろうが! 貴様ら、人権蹂躙じゅうりんはなはだしいぞ!」


 冷たい手錠をめられ、捜査車両まで連行される最中も、オーナーは顔をゆがめて声を荒げ続けていたが――

 その細い目をキッと見上げて、雪乃はぴしりと言ってやった。


「人権のない相手には何やってもいいなんて思い上がった報いよ。あなたの違法は、わたし達が必ず検察と裁判所に認めさせてやります」

「ぬう……貴様ら、覚悟してろよ! こっちだって私選で弁護士を付けて戦うからな! 国家賠償を請求して、貴様ら全員免職に追い込んでやるぞ!」

「ご自由に。ただし、あんまりこの街を舐めないことですね」


 フンと鼻を鳴らすオーナーの身柄を西尾係長らに任せ、雪乃は片瀬を連れて小走りで店内へ戻る。

 そこには、他の女性課員に見守られ、解放されたウラナと抱き合って喜ぶイトナの姿があった。


「お姉ちゃん。この刑事さん達が助けてくれたんらよ」


 妖狐の顔を涙でぐしゃぐしゃにして、イトナが雪乃達を指し示す。ウラナは細い目に妹と同じく涙を浮かべ、コクコクと何度も頭を下げてきた。


「ありがとうございました……あの、刑事さん達、お名前は……?」

「万代署の乙川です。それと、こちらは――」

「警察庁から来ました、片瀬です」

「けいさつちょう……?」


 エリート様の棲家すみかの名をオウム返ししたウラナは、ぱちぱちと目をしばたかせてから、改めて妹と一緒に二人を見上げてくる。

 妖狐姉妹の顔に浮かぶ安堵と感激の色は、妖怪に慣れない片瀬にもはっきりと分かったに違いない。


「乙川さん、片瀬さん、ありがとうございます」


 二人の心からの感謝の言葉に、片瀬は「ええ……」とやや困ったような、しかしまんざらでもなさそうな声色で応答していた。

 雪乃達にとって本当の仕事たたかいはこれからだったが、妖狐姉妹のこの笑顔、そして片瀬のこの表情を見られたことは、雪乃には何にも勝る報酬だった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 連日の取り調べ、補充捜査に次ぐ補充捜査を経て、オーナーの事件はようやく起訴に持ち込まれた。あとは公判の開始を待つばかりとなった頃、小綺麗なお揃いのワンピースを纏ったウラナとイトナの姉妹が、でっぷり太った団三郎ムジナ氏に連れられて、改めて万代署の受付を訪れた。

 許可なく集団で人に化けることは公共の場では禁じられているので、全員妖怪の姿である。

 雪乃が片瀬と二人で出迎えると、姉妹は「先日は本当にありがとうございました」と深々とお辞儀をして、何やらお菓子の四角い包みを差し出してきた。


「これ、ささやかなものですけど、妖狐名物の油揚げクッキーです」

「刑事さん達のお口に合えばって思って」


 雪乃達が刑事課員でないことは最後まで理解されなかったらしい。まあ、市民から見れば生安なんてそんなものだよな、と心の中で苦笑いしつつ、雪乃はやんわりとした口調を作って言った。


「ありがと。でも、警察はお礼を受け取っちゃいけないの。だっけ、気持ちだけ」

「えぇ。そうなんですか」


 ウラナとイトナは互いに顔を見合わせ、しゅんとなって肩を落としている。その後ろから団三郎氏が「だっけ、言ったらろ」と宥めるような声で話に入ってきた。

 それから応接スペースに移動して話を聞いたところによると、姉妹は団三郎氏が支配人を務めるあやかしバーで働くことになったそうだ。といっても、古町の「あいかわ」ではなく、万代エリアに新たにオープンする店でカウンターに立つのだとか。

 勿論、しっかりと風俗営業の許可申請をし、営業時間などの規制を守った上で、人間だけでなく妖怪の客も楽しませる店にする予定だという。厄介な商売敵であった例のオーナーが摘発された今、団三郎氏は、これからは善良な同業者達と健全な競合関係を築いていきたいと言っていた。


「ライバルと喧嘩したって何にも良いことないっけ。持ちつ持たれつでやっていくのが一番ら。ほら、イタリアンの店みたいに」

「ええ。それが最善ですね」


 ちらりと隣を見ると、一度見聞きしたことは忘れないというエリート様は、新潟人にしか通じないたとえをちゃんと理解して頷いていた。




「オープンしたら、刑事さん達も遊びにいらしてくださいねー!」


 元気に手を振る妖狐姉妹と団三郎氏を署の入口で見送り、雪乃はふうっと息を吐いた。

 風俗営業の店舗のオープンには、許可申請から最短で二ヶ月弱は掛かる。その頃には隣のキャリアは東京に戻っているだろうか、と思うと、少し寂しくもなる。


「どうですか? 人助けならぬ、妖怪助けをした気分は」


 長身を見上げて雪乃が問うと、彼は「ええ」と二秒ほど考え込んでから、「悪くないですね」と答えてきた。


「いい経験をさせて頂きましたよ。……残りの研修期間も、改めて宜しくお願いします」

「こちらこそ」


 この僅かな期間が過ぎれば、二度と会うこともないかもしれない相手。だが、全く違う世界に棲む彼の警察人生に、自分のようなものが少しでも影響を与えることができたのなら、今はそれが嬉しかった。


「それにしても、乙川主任が地方公務員なのが残念です。あなたのような方こそ、中央で警察行政のために力を振るうべきだと僕は思いますよ」


 出任せのお世辞には聞こえない響きを込めて、彼は真面目な顔で言ってくるが。


「おあいにくさま。わたしはこの街での仕事が好きなんです」


 イケメンエリートの黒い瞳に笑顔を映し、雪乃はノンキャリなりの誇りを込めて胸を張ってみせた。



(警察官・乙川雪乃編 完)

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