3-7 ただ一つの理由
かくして、団三郎ムジナ氏の協力により、ウラナが働かされている店を特定することはできた。幸いにも性風俗方面ではなかったが、例の「TAMAMO」と同様にあやかしバーの看板を掲げた店で、価格帯はワンランク上となっている。オープンは三ヶ月ほど前。
できればウラナ本人と接触して監禁や強制労働の事実を掴みたいところだったが、面の割れている雪乃達が店に踏み込んだりすれば、すぐにバレてつまみ出されてしまう。いや、こっちがつまみ出されるのはいいが、警察にウラナの所在が知れたと分かれば、店側は彼女を隠してしまうだろう。そうなれば、せっかくの情報も水泡に帰すことになる。
というわけで、この局面において、雪乃達が次に取りうる作戦は――
「西尾さん、和田さん。ヨロシクお願いします」
「あぁ、任せろ。バッチリ証拠を掴んでくるっけ」
敵に顔を知られていない先輩課員達に頼み、かわりに内偵に踏み込んでもらうことだった。
妖狐の少女達と直接接触していない彼らなら、匂いとやらでバレることもない。ガサ入れでも何でもそうだが、普段は一人一人の責任において事件に取り組んでいる専務員とはいえ、いざとなればチームワークが物を言うのだ。
『――いらっしゃいませぇ。初めてのお客様ですねえ』
『あぁ。なるべく若い子頼むろ。俺ら、若者好きらっけ』
いよいよ中継が始まった――。雪乃と片瀬は、署内の空いた会議室にノートパソコンと携帯端末を持ち込み、聞こえてくる音声に耳を澄ませていた。
今、西尾係長ともう一人の先輩課員が問題の店に客として入ったところだ。彼らの隠し持ったスマホの通話アプリを通じ、現地の音声はリアルタイムにここに共有されるとともに、パソコンにも記録されている。
『はじめまして。妖狐のウラナです』
ウラナともう一匹、猫娘の子がテーブルについたらしい。雪乃は片瀬と顔を見合わせ、「やった」と小さく口にした。こちら側のマイクは切ってあるので、声が向こうに漏れる心配はない。
ひとまずウラナが店にいることは確認できたが、勝負はこれからだ。手のひらの汗を無意識に指で
『お客さん達は何の仕事してるんですかかぁ?』
『何らと思う? なんと、見かけによらず県庁勤めら』
『えぇ、スゴイ!』
そんな他愛もない会話がしばらく続いたところで(ちなみに警察は県の機関なので、県庁勤めと言ってもまあ嘘ではない)、先輩達は少しずつ、自然な手際で、話題を核心へと寄せていった。
『キミらはさぁ、どうして人間の街で働こうって思ったん』
『マオはー、人にチヤホヤしてもらうのが好きだからにゃん』
『正直らなぁ、猫ちゃんは』
『狐ちゃんはどうなん?』
『わたしは……最初はマオちゃんと同じ感じで、お客さんと話すっていうか、お客さんを化かすのが楽しくて』
『おいおい、マオちゃんと全然違うろ。こっわいなー、化かすんか』
『まあ、でも、妖狐だっけ。人をダマくらかして金を巻き上げるんは天職らよな』
『結構お金貰えるんらろ? どんなことに使うん』
『そんな、贅沢とかしないですよ。ちょっと、ほら、借金を返したりとか』
『あぁ……。若いのに苦労してるんらな』
『そうにゃん、ウラナちゃんは苦労人で立派なんだにゃ』
『だろうなあ。えらいよなあ』
……と、そこで、計算され尽くしたような沈黙。雪乃と片瀬は揃って息を呑んだ。
自分ではこんなふうに上手くはやれないだろうが、先輩達の考えていることは雪乃にも分かる。
ウラナは妹を庇って働き続けることを選び、最近この店に連れてこられたばかり。まだ固定客と言えるような客はいないはず。それでも、店からは厳しいノルマを課せられ、場合によっては「妹が抜けた分の損害を賠償しろ」なんてことも言われているかもしれない。
彼女は今、一人でも多くの客の心を掴み、自分のために店に通ってもらいたいはず。そのために彼女が使える最大の武器の一つは、身の上話であるに違いない。
そして何より、彼女自身が、辛い境遇を誰かに打ち明けたくてたまらないはずだった。
『……わたし、妹がいるんですけどね』
果たせるかな、彼女はぽつりと身の上を語り始めた。
『元々は一緒に同じお店で働いてたんですけど……ちょっと、色々あって、あの子はお店を辞めることになって。わたし、あの子の分まで頑張らなきゃって思ってるんです』
『……借金って、妹さん絡みなんか』
無言で頷くウラナの姿が、雪乃にも見えるようだった。
『……でも、いいんです。わたしが頑張ることで、あの子が楽になれるなら、それで……』
彼女の言葉に涙が混じり始めたところで、「ウラナちゃん」と店のボーイらしき声が入り、彼女は席を立つよう言われてしまった。それ自体はこうした店では当たり前にあることだが、後ろめたい事情を彼女に喋らせすぎないために慌ててチェンジしたのは明らかだった。
頑張れよ、と西尾係長の声。
その直後、席にはウラナと入れ替わりで別の子が座り、会話は再開された。店側に不自然な印象を与えないよう、先輩達はもう少し店に残り続けるつもりのようだったが、音声のモニタリングはここまでで十分だった。
わたしが頑張ることであの子が楽になれるなら――。思い詰めたウラナの声が雪乃の心に重たく残響を引く。ちらりと隣に顔を向けると、片瀬は無言で唇を噛み、拳を握って震えに耐えているようだった。
「片瀬係長?」
「……僕は、妖怪が嫌いだ。権利だけ与えられて、のうのうと人間社会に割り込む奴らが。……なのに」
彼は拳を自分の手のひらに叩きつけ、魂を吐き出すように言葉を続けた。
「どうして……この姉妹を救ってやりたいと思わずにいられないんだ……!」
彼の言葉は、迷いとも憤りともつかない何かに震えていた。
妹の夢を事故で奪った妖怪を憎み、あやかし特区の制度を変えるために警察官僚を志したという彼。その彼が今、
雪乃は静かに彼の目を見た。自分が何かを言える立場だとも思わないが、それでも、言いたい言葉は一つだけ見つかった。
「わたしには、片瀬係長の苦悩は分かりませんけど……。人間だろうと妖怪だろうと、困ってる誰かがいれば助けてあげたいと思うから、わたし達は警察官をやってるんじゃないですかね」
雪乃は敢えて「わたし達」と言った。その複数形に彼を含めるかどうかは、エリート様が自分で決めてくれればいい。
……それから、しばらく天井を仰いで瞼を閉じていた彼は、やがて小さく息を吐き、雪乃に向き直ってきた。
「乙川主任。妖怪というのは、刑法上は器物なんです」
「はい?」
「特別法犯に関してもそう。そして、刑法における法適用の基本は、拡張解釈は許されるが類推解釈は許されない――ですよ」
すらすらと述べる彼の言葉に、雪乃はぱちりと目を
「ゆえに、妖怪を客体とする監禁罪や強要罪は成り立ちませんが……。しかし、相手がその理屈を盾に取ってくるなら、こちらは器物である妖怪を利用した接待行為を利用者自身の行為として拡張解釈し、風営法違反を適用すればいい。そういう考え方、
淀みなく言い終え、彼は雪乃の目を見てくる。その黒い瞳が、「戦いましょう」と言っているように見えた。
「……ありますよ。ありますとも」
自分の心にも沸々と戦意が燃え上がるのを感じる。気付けば、パソコンなどそっちのけで雪乃は立ち上がり、会議室の扉を開け放っていた。
「今の話、すぐ課長にプレゼンしましょう。まだいるかな、課長」
今夜ばかりは、彼が部下のためを思わずデスクに残っていてほしいと願う雪乃だった。
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