3-6 佐渡の団三郎ムジナ

「……大枠は分かった。妖怪が自主的にその場にいるだけだから、風俗営業にも当たらなければ保護条例にも違反しない、というのが相手の言い分らな」


 内偵の翌日、雪乃は事情を共有した西尾係長の同席のもと、課長に捜査状況を報告した。昨夜は妖怪など嫌いだと息巻いていた片瀬も、今はひとまず殊勝な顔でその場に加わっている。


「それで、次の手はどうするんさ」


 今回に限らず、そして雪乃に対してに限らず、この規模の事件で課長が「こうしろ」と具体的な捜査指示をしてくることはあまりない。それは、一人の独立した専務員である雪乃が、班長の西尾係長の指導なり助言なりを適度に仰ぎつつ、自分の頭で考えて判断することである。


「相談者の姉……ウラナさんが現在働かされている店を特定したいと思ってます。その上で、店外で接触して本人から被害供述を取れればいいですが、恐らく本人は店側に軟禁されてる可能性が高いので、その場合はガサ入れもやむなしかと」


 雪乃が答えると、課長は「よし」と頷いた。


「西尾係長、適宜状況を見てやって」

「承知しました」


 雪乃達がシマに戻る間際、課長は片瀬を呼び止め、「キミから見てこの事件はどうらね」と尋ねた。片瀬がちらりと雪乃を振り返ってくる。


「法律構成的に難しい要素が揃っているように思いますが……生安の仕事というものを学ぶ良い機会を頂いたと思います」

「そうか。まあ何でも吸収してくれ。妖怪との付き合い方もな」

「……ええ」


 それが嬉しいわけでもないが、彼が昨夜のように本音を発露させる相手は、今のところ雪乃だけのようだった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 午前中の内に捜査車両を出し、雪乃はイトナが身を寄せているという友人のアパートを訪れた。勿論、片瀬も連れてである。

 チャイムに応えて扉を開けたのは、イトナと同じ若い女の妖狐だった。雪乃達が手帳を見せると、彼女は「あぁ」と納得した様子で、室内に向かって「イトナちゃーん」と呼びかけていた。


「万代署の刑事さんが来たよ」


 だから刑事じゃないのに……というのは置いておいて、雪乃は優しい顔を作って室内を覗き込んだ。ぱたぱたと奥から出てきたイトナは、友人と同じく人に化けずに妖狐の姿をしていたが、細い目に浮かぶ安心の色はすぐに分かった。


「刑事さん。お姉ちゃんはどうですか?」

「ええ、そのお話をしようと思って。入っていいかしら?」


 イトナの友人は快く雪乃達を招き入れてくれた。玄関に靴を揃え、雪乃はフローリングの室内へ踏み込む。そう広くはない室内だが、整理整頓は行き届いていた。

 ナナコと名乗った友人は、雪乃と片瀬に座布団を出し、さらに冷たいお茶を入れてくれた。ローテーブルを挟んで妖狐達と向き合い、雪乃は早速切り出す。


「昨日の内にお店には行ってきたの。オーナーの言い分では、妖狐の皆とは労働契約してる訳じゃないってことだったんだけど、実際、あなたもお姉さんも、あの店で働いてるって認識でいたのよね?」


 雪乃が聞くと、イトナはぱちぱちと二度ほど瞬きしてから、ようやく質問の意味を理解した様子で「はい、もちろん」と答えた。


「ケーヤクっていうのは、よくわからないですけど。でも、手渡しでお金も貰ってました」

「ナルホド。やっぱり労働の実態がある、と……」


 話しながらメモを取っていると、横からナナコが「あの店のオーナー、本当にひどいんですよ」と口を挟んできた。


「あなたも知ってるの? あの店のオーナーのこと」

「いやー、アタシはオーナーが変わる前にあのお店にいただけだから、直接は知らないんですけどね。でも、イトナちゃん達以外にも色々ひどい話は聞いてます。ソンガイバイショーって言うんでしたっけ、辞める時にお金を請求されたりとか。メチャクチャですよ」

「損害賠償ね……」


 ペンを走らせる雪乃の横で、片瀬が「そんなことまでしておきながら、雇ってないとはよく言えたものですね」と静かに毒を吐く。

 どうやら他にも大勢の被害者が居そうなのは間違いない。だが、その違法性を立証するためには、残念ながら目の前の妖狐二匹の証言だけでは足りそうにない。今も現に働かされているウラナに接触し、被害の現場を押さえなければ……。


「イトナさん。お姉さんが今どこのお店にいるか、心当たりはある?」


 昨日行った店にウラナが居るのか居ないのかは確認できていなかったが、雪乃は敢えてそういう尋ね方をした。昨日の店にまだ居るのなら「え? 同じお店にいるはずですよ」という答え方になるはずだし、別の店に居るのなら素直にそういう言い方になる、一種の質問のテクニックだった。


「……わからないです。でも、オーナーは、わたしを逃がす分を埋め合わせるために、もっと厳しいところでお姉ちゃんを働かせる……って言ってました。お姉ちゃん、今どうしてるか……」


 イトナの目に涙がにじむ。ナナコがすかさず彼女に寄り添っていた。「もっと厳しいところ」という簡明にして悪質極まりない台詞を雪乃がメモしたとき、ナナコがハッと気付いたような顔を向けてきた。


「ウチの支配人なら、何か分かるかも」

「支配人?」

「アタシが今働いてるお店の。団三郎だんざぶろうムジナの末裔さんですよ」

「団三郎ムジナ……」


 聞き覚えがあるような気はするが、果たして何だったかしら……と思った矢先、隣でインテリが口を開いた。


佐渡島さどがしまのムジナの総大将ですね。化かし比べで狐を追い払ったことで有名な……」

「……流石に詳しいですね、片瀬係長」


 妖怪嫌いのくせに――という言葉は胸の内に仕舞って、雪乃はナナコからその支配人の連絡先を聞き出す。

 何かが動きそうな予感がした。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「あぁ、よく知ってるろ。あの人間野郎のことは」


 古町のあやかしバー「あいかわ」で支配人を務めるそのムジナは、営業時間外でも快く雪乃達を店内に招き入れてくれた。

 明るいライトに照らされた店内で、雪乃は片瀬と二人でソファに腰掛け、支配人と向き合う。彼は人間の姿に化けていたが、ムジナというよりいかにもタヌキのステレオタイプといった、でっぷり太った体型が印象的だった。

 名刺には「二十代目 団三郎むじな」とある。親の代までは佐渡で商売をしていたが、十年前、新潟市があやかし特区に認定されたのを切っ掛けに、こちらに移ってきたのだとか。


「他所のムジナから聞いた話じゃ、あの男、長野の管狐くだぎつね使いの末裔か何からしいんさ。ここに来る前は、鎌倉のあやかし特区でやっぱり何か悪さしてたらしいろ」


 それから団三郎氏が語ったところによると、問題のあやかしバー「TAMAMO」は、最初は妖怪好きの善良なオーナーが経営していたとのことだった。

 しかし、あやかし特区認定直後の妖怪ブームが一通り収まった頃から、この「あいかわ」に客が流れたこともあって、徐々に経営が左前になり、店を手放すことに。その後もオーナーが二転三転した挙げ句、半年前に鎌倉から引き上げてきたあの男が、直前のオーナーの金銭面の弱みに付け込んで半ば強引に経営権を奪ってしまったらしい。


「こういうこと言うのもナンらけど、ウチを潰そうと必死なんさ、アレは」

「ははぁ、なるほど。……このお店は繁盛してるんですね」

「まあ、言うほどじゃないけろも。けんども、刑事さん、ウチはアレと違って小狡こずるいことは何もしてないんさ。弁護士さんの企業顧問もお願いして、女の子達の待遇もちゃんとやっとるし。真面目に地道にやることが、結局お客さんのためには一番らろ」


 そうですね、と雪乃は深く頷いた。隣の片瀬も真剣な顔をして話を聞いている。


「それなのに、アレは、妖怪相手なら何しても構わんとばかりに……。なあ、刑事さん。人間の方がよっぽどメチャクチャやるもんらろ」

「まあ……人間にも色々いますからね」


 苦笑いを交えて雪乃が言ったところで、ぽん、と腹鼓はらつづみのような音が団三郎氏のスマホから鳴った。失礼、と断って彼はスマホを覗き込み、そして「おお」と声を上げた。


「ちょうどよかったんさ。刑事さん達、多分この子を探してるんらろ」


 彼が二人の前に突き出してきたスマホには、イトナと似た切れ長の目をした若い女性の写真と、恐らくその正体であろう妖狐の姿の写真が、縦に並んで映っていた。


「これ……ウラナさん……!?」

「何も小狡こずるいことしてないっていうのは、ちょっとウソらったかな。色んなとこにスパイを送り込んで敵対店の動きを監視してるんさ。他所がイヤになって辞める子がいたら、ウチで合法的に雇用して拾い上げてやりたいっけ。ナナコちゃんみたいに」


 彼が太い指でスマホの画面をると、そこにはウラナが新たに働かされているらしい店の名前や住所がはっきりと表示されていた。


「やっぱり妖怪の道は妖怪ですね……」


 雪乃が感心して彼の目を見ると、


「アレと同じ穴のムジナとは思わんでほしいんさ」


 と、上手いのか何なのか分からない冗談を言って、団三郎氏は笑ったのだった。

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