3-5 あやかしバー潜入捜査
その夜、他の事件処理の書類等を一通りまとめ上げた雪乃は、一旦寮に戻ってOL風の私服に着替え、片瀬と再合流した。彼の方は例によって光沢あるネイビースーツのままだが、このコンビで並ぶと、いい具合にベンチャー企業の若社長とその秘書くらいに見えるだろう。
「じゃあ、わたしは便宜上『社長』って呼びますから、そちらは適当にタメ口でお願いします」
「ええ。それにしても乙川主任、化け具合が妖怪並みですね」
褒め言葉らしき片瀬の発言はあまり上手いことを言えていない気がしたが、まあ悪い気はしなかった。
こうした捜査では、いかに警察っぽい匂いを消し、普通の客に見せかけられるかが大事である。相手が雪乃を若社長の秘書兼愛人くらいに誤認して、仕事半分遊び半分のお忍び旅行とでも思ってくれれば御の字だ。
「ところで、待っている間にざっと調べたんですが」
夜の万代を連れ立って歩く
「先程の相談者の話。深夜から朝まで営業しているという点と、従業員に客の接待をさせているという点が、風営法に照らして矛盾するということですよね」
「……さすが、理解が早いですね」
エリート様の要領の良さに雪乃は素直に感心した。そう、生活安全課の捜査員として、今回の案件で真っ先に突けそうな点はそこだと雪乃は考えていたのだ。
ホステスが客のそばに付いて談笑するとか、お酒をついであげるとかのサービスを提供することを、風営法の用語で「接待」という。これを合法的に行うためには、接待飲食等営業の1号営業の許可(法改正前は2号だったが)を得なければならない。
そして、この許可を得た店は風営法のもとで様々な規制を受けることになる。深夜の時間帯には営業できないというのもその一つだ。即ち、深夜から朝まで店を開けていて、かつ客の接待もしているというのは、生安課員なら話を聞いた時点でおかしいと分かるのである。
「つまり、今夜の僕達の使命は、その店で違法な接待が行われているかを見極めることですか」
「……ええ。そこまで理解されてるなら、何も説明することはないです」
雪乃が調べたところ、問題の店は深夜種類提供営業の届出しかしていなかった。ガールズバーなどで近年多くの摘発例があるが、1号営業の許可申請をせずに「接待」を行うと直ちに風営法違反となる。この点を突いて店を摘発できればイトナの姉を助けることも出来るだろうし、それ以前に、違法な業態を見逃すわけにはいかない。
事前に調べた住所を辿り、二人は遂に問題の店を見つけた。「あやかしBar TAMAMO」と書かれた立て看板には、アニメ風タッチの狐耳の女の子のイラストが描かれていた。
「
タメ口モードに入った片瀬がさらっと言ってくるので、雪乃は調子を合わせて「何ですか、それ?」と聞き返す。
「
「へぇ、物知りですねえ社長」
すらすらと知識を引き出してみせるイケメンに、普段からこうやって女子の前で良い格好してきたのかしら、などと思いながら、雪乃は彼に続いて店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませぇ」
ピンクがかった照明の薄暗い店内。カウンターの中からは三人ばかりの狐耳の女子が愛想を振りまいてくる。店内にはカウンターの他にボックス席もあり、既に何組かの客がいた。ボックスのそれぞれには、やはり狐耳とフサフサ尻尾の女子が巫女の服装やらメイド服やらで
この中にイトナの姉のウラナが居るのかどうかは分からないが、明らかに「接待」営業をしていることはひと目で確認できた。ただ……。
(……おかしい)
片瀬と並んで自然にカウンター席に座り、狐娘に促されて適当な酒を注文しながら、雪乃は微かな違和感を胸中に抱いていた。
違法営業にしては、妙に堂々としすぎている。普通はもっと、警察に見られても言い訳がきくように、ひと目では「接待」しているかどうか判断しづらい業態を取り繕うものだと思うが……。
「お客さん達、東京から来られたんですかぁ?」
「ほう。よくわかるね」
「わかりますよぉ。パリッとした雰囲気がいかにも東京のビジネスマンって感じですもん」
カウンター内の女の子が早速片瀬に「接待」を始めている。ちなみに、カウンター越しの談笑が「接待」に当たらないという都市伝説がまかり通っていたのはせいぜい数年前までで、今はどこの警察でもこれを厳しく摘発するようになっている。
「……まあ、ここから一番近い大都市圏は東京だからね。他都市圏との人口差を考えても、この街に他所から来るビジネスマンは東京の人間である確率が高い。だから、スーツを着た他所者っぽい客にはとりあえずそう言ってる……ってところじゃないの」
「えぇ、なんかすごぉい」
狐の子におだてられ、エリート様は「いやいや、このくらいは」と悦に浸っているように見えた。演技でキャラを作っているなら大したものだが、何だか半分は素なんじゃないかという気もする。まあ、何にせよ、この若者が警察官だとは誰も思わないだろうから、その意味では上出来ではあった。
「社長、鼻の下伸びてますよ。すぐ得意になるんですから」
雪乃が横から言うと、その後もお決まりで、女の子達からは「えー、社長さんなんですかぁ!」と分かりきった反応が沸き起こった。まあ、どう盛り上がろうと、とりあえず警察であることがバレなければ何でもいいのである。
「お姉さんは愛人さんとかですか?」
思った以上に直截に聞いてくる狐娘に、「そう見えます?」と適当にノリを合わせつつ、雪乃は今夜の行動目標を脳内で小刻みに修正していた。
この店が違法な「接待」を行っていることは、予想より遥かに早く確認できたが……これほど堂々としていられることには何か裏がありそうでもある。出来ればその裏事情の糸口だけでも掴んで帰りたいというのが一つ。
もう一つ、イトナの姉がここに居るのかどうかも確認しておきたいが、まさか店の子に「ウラナさんって子います?」なんて尋ねるわけにもいかない。そんな動きをしたら一発で店側に怪しまれてしまう。ならば、せめて店内の会話に聞き耳を立て、この場にウラナが居るかどうかを探るくらいしかないが……。
などと考えていると、ふいに、カウンター内の女子の一人が、何やら店の奥に目配せしたように見えた。雪乃が思わずその方向を振り向こうとしたとき、目の前の狐娘の丸い
「……なーんか、お姉さん、東京と違う匂いしますよね」
「えっ?」
「具体的には、イトナちゃんの匂い……」
まずい、と思った時には既に遅く、片瀬と雪乃の後ろには黒服の男二人がいつの間にか立ち、逃げ場を固めていた。
「奥でお話聞かせてくださいよぉ。ね、お二人さん」
狐娘が妖しい笑みを向けてくる。片瀬と目を見合わせると、彼の顔にも緊張の色が
警察であることはまだ明かすわけにはいかない……。雪乃達は結局、黒服達に促されるがまま、店の奥に連れ込まれるしかなかった。
「大丈夫ですよ、社長」
まだ正体を明かしちゃダメですよという意味で、片瀬に小声で言っておく。彼もその意図を察したらしく、雪乃の横で余計なことを喋ろうとはしなかった。
「オーナー、お客様をお連れしました」
事務室らしき扉の前まで雪乃達を引っ立て、黒服は言った。中からは「お入り頂け」と男の声がした。
こんな捜査で拳銃など勿論所持していない。片瀬には大丈夫と言ってみたものの、多勢に無勢で暴力沙汰になったときには……。
薄暗い部屋に引き入れられた雪乃が、これから起きるパターンを思い描いて生唾を飲み込んだとき、奥のチェアがゆっくりと回った。チェアにもたれて足を組んでいるのは、黒スーツで細身の中年男だった。
「これはこれは、随分とお若いヒーローさん達だ。イトナに泣きつかれてウチに乗り込んできたんですかね」
男は狐のように細い目を上下させ、雪乃達を値踏みするように見回してきた。
ヤクザではなさそうだが、それに近いものには違いないだろう。こちらの正体を察しているかどうかは定かでない。
「……何のことですか? わたし達、このお店をたまたま見かけて入っただけですけど」
雪乃が言うと、男はくっくっと笑った。
「ウチの女の子達は狐なんでね、妖怪は仲間の匂いには敏感ですよ。イトナ姉妹の一友人でなければ、探偵、警察……そんなところですか」
やはり誤魔化しは通用しないか。そうなると……。
警備課の連中が相手にするようなテロ組織ではあるまいし、まさか警察と分かった上でこちらを殺傷はしないだろう。いよいよ手帳を見せることも覚悟して、雪乃が内ポケットに手を伸ばしかけた――そのとき。
「くくっ、所詮はバカな狐の浅知恵だ。警察が動いたところで、何も出来やしないのに」
男はゆらりと椅子から立ち上がり、両手を広げて一歩こちらへ歩み出てきた。その言葉に、雪乃は自分の眉間が引きつるのを自覚する。
「警察が何も出来ない、って……?」
「だってねえ、ウチがやってるのは、妖怪と触れ合えることをウリにした、ただの飲食店。よくある猫カフェだの、ふくろうカフェだのと変わりませんよ」
男が向けてくる挑発的な視線は、雪乃が言い返すのを待っているようだった。
「……妖怪でも、労働契約を締結して雇ってるなら従業員扱いです。ペットカフェの動物と同じだなんて理屈は通らないですよ」
「労働契約ぅ? ウチはそんなもの巻いてませんのでね。狐達は好きでこの場所に入り浸ってるだけですよ。狐達には好きに遊べる場所をタダで提供し、お客様には合法的に飲食物を提供しているだけ。風俗営業でも何でもないし、勿論、妖怪に強制労働を強いてるわけでもないから条例違反にも当たりませんよねえ」
淀みなく並べられた男の言葉に、雪乃は然るべき反論がすぐには思い浮かばなかった。片瀬も隣で黙っているだけだった。
そんな屁理屈が通用するはずがないだろう……と言うのは簡単だが、敵がこうしてそれなりの理論武装を固めてきているのなら、こちらもそれを突き崩せるだけの理屈が必要になる。それは現場の警察官が納得できるだけではダメで、検察も、裁判所も納得してくれるだけの武器を用意しなければならないのだ。
「そういうワケなんでね、お帰りください」
何の反撃も思いつかないまま、雪乃達は再び黒服に連れられ、裏口から店の外に放り出されてしまった。
なまじ暴力を振るってくるような相手ならまだやりようもあるが、話をして追い返されただけではどうにもできない……。店の路地を離れ、大通りに出た雪乃が悔しさに奥歯を噛みあわせたとき、後ろから「だから」と片瀬の声がした。
「だから、妖怪なんて嫌いなんだ。人間相手なら当たり前に適用できる法律が、妖怪が絡むだけで無力になる……」
「……片瀬係長?」
雪乃は彼の長身を見上げた。もはやポーカーフェイスの欠片もない、生身の青年の苦渋の顔がそこにあった。
「落ち着いてください。ムカつくのはわたしも同じですけど、帰って冷静に次の手を考えましょう」
言いながら、どうも彼の怒りの矛先がおかしいなと雪乃は感じた。ハナから警察や法律をナメきっているあのオーナーの男に憤るのは分かるが、妖怪に怒るのは今は筋違いだろう。
「……何かあったんですか?」
雪乃が問うと、片瀬は二秒ほど逡巡する様子を見せてから、喉の奥から絞り出すような声で言った。
「……僕の妹は、妖怪絡みの事故で傷害を負い、夢を閉ざされました。それなのに、妹の目を潰した妖怪は、今も鎌倉のあやかし特区でのうのうと人間と同じ権利を享受して暮らしている……。僕が警察官僚を志したのは、こんなふざけた制度を改正するためです」
周囲の人々がちらちらと雪乃達を振り返りながら通り過ぎていく。雪乃が何も言えずにいると、彼は静かな声で続けた。
「この国は、妖怪に保護を与えすぎた。本来ならあのオーナーくらい割り切った考え方でいいんです。妖怪は動物と同じ器物。それでいいじゃないですか」
それだけ言うと、彼はきびすを返して歩き始めてしまった。放り出すわけにもいかず、雪乃はすぐに後を追ったが、この街の先輩として掛けるべき言葉は見つからなかった。
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