3-2 エリート様、来たる

「こちら、警察庁から来た片瀬かたせ警部補だ。今日から約三ヶ月、ウチの生安せいあんで勤務してもらうことになる」


 普段通りの朝礼の最後、署長の紹介で壇上に上がったのは、ネイビーブルーのスーツを颯爽と着こなした長身の美青年だった。


片瀬かたせ湊斗みなとと申します。短い期間ではありますが、皆さんの胸をお借りするつもりで職務に精励する所存です。ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いします」


 嫌味なほど整った言葉を述べ、嫌味なほど整った礼をする彼に、署員達は嫌味がバレないように拍手の洪水を浴びせる。

 生活安全課の末席に並んだ雪乃ゆきのは、皆に倣って拍手をしながら、壇上の主役の姿を遠目にまじまじと観察していた。

 ムジナやカッパなら飽きるほど見てきた雪乃だが、キャリアという生き物は初めて見た。新人ということだから年齢は22、3歳だろう。イケメンの国からイケメンを広めに来たようなキリッとした顔立ちに、ワックスでぴしりと整えられた髪。ひと目で自分達とは住む世界が違うと分かる。

 これが、日本の全ての警察組織を束ねる警察庁で、一年に10人から15人程度しか採用されないという、将来の警察官僚のタマゴというやつか……。


乙川おとがわ、良かったじゃねっか。お望みのイケメンらろ」


 ちらりと振り返ってきた先輩に小声で言われ、雪乃はとりあえず「はぁ」と生返事を返しておいた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 片瀬警部補のデスクは、生活安全課の大部屋の、雪乃が属するシマの筆頭に置かれた。

 右も左も分からない若造であっても、警部補であるからには形式上は係長となる(さすがに部下は付かない名ばかり係長だが)。この点、警察というところは、階級と役職の整合が極めてオートマチックである。


 そう、雪乃が身を置く世界は、シンプルでオートマチックな階級社会なので――


「じゃあ、片瀬係長の水先案内役は、西尾係長と乙川主任がメインで頼むろ」


 と、課長に言われれば、西尾係長も雪乃も「承知しました」と答えるしかないし、


「歳の近いお前の方が話しやすいらろ。良かったな、イケメンのエリート様とお近付きになれるチャンスら」


 と、課長のいないところで係長に言われれば、「なんでですか」と口を尖らせながらも従わざるを得ないのである。


「宜しくお願いします、乙川さん」


 当のエリート様は、いかにも外向けの作り物といった爽やかな会釈を雪乃に向けてきた。普通に街で話しかけられたらドキッとするレベルのイケメンには違いなかったが、このキャリアという人種とこれから三ヶ月にもわたって顔を突き合わせなければならないプレッシャーの前では、そんな私情など感じる余地もなかった。




「――以上が、生安せいあんでの大まかな一日の流れです」


 片瀬のデスクに椅子を寄せ、雪乃は早速、この生活安全課でのイロハを彼に説明していた。

 しかし、彼はメモの一つも取らず、ふんふんと頷きながら話を聞いているばかり。「真面目に聞いてるの?」とでも言いたいところだが、勉強に勉強を重ねてやっとの思いで巡査部長になった雪乃に対し、目の前のイケメン様は入庁の瞬間からその一つ上の警部補である。いくら歳下でも、まさか初日から敬語を崩せるはずもない。


「……あの、参考になります?」


 やりづらいなあ、という気持ちを隠して雪乃が問うと、片瀬はこともなげに「ええ、大いに」と答えてきた。


「真面目に聞いてないように見えたらすみません。なにぶん、一度見聞きしたことは全て頭に入ってしまう性分でして」

「……へぇ、凄いですね。さすが東大卒」


 どうせそうなんだろうとカマをかけて言ってみる。すると、彼は「いえいえ」と大仰に首を横に振り、続けていわく。


「僕は、東大は途中までしか行ってないんです。三年の秋からアメリカに国費留学していた青田買い組でして。警察庁同期の中でも僕達だけ研修時期が違うのは、そういうわけなんですよ」

「はぁ」


 その「僕達」とやらが同期に何人いるのかも、そもそもキャリアの研修時期が普通はどうなっているのかも知ったことではないが、ひとまず雪乃は調子を合わせた。


「じゃあ、エリートの中のエリートなんですね」

「イヤイヤ、そんな大したものではありませんが」


 いかに大したものであるかを自ら述べておきながら、どの口がそんなことを……と突っ込みたくなるのを我慢していると、西尾係長が話に入ってきた。


「時期が違うってことは、交番勤務なんかはもう一通り済ませたんかね」

「ええ、ここに来る前に、別の県警で。僕達は国内組と比べて半年遅れですから」


 その会話に、雪乃は一瞬ぽかんとする。


「キャリアも交番出るんだ……」

「そりゃ、出んといかんらろ、警察官なんらっけ。まあ、エリートさんには交番ハコ詰めなんか芋臭くてやっとられんだろうけど」

「そんな、とんでもない。貴重な経験を積ませて頂きましたよ」


 如才ない片瀬の受け答えがどこまで本音かは分からないが、全ての警察官の出発点である「地域」をキャリアも経験するというのは興味深い情報だった。海外の大学まで出たエリート様がどんな顔をして交番のお巡りさんをやっていたのか、その苦労を想像すれば少しはさも晴れるというものだ。


(……っと、いけないいけない。性格悪いぞ、わたし)


 雪乃が心の中で自戒しかけたとき、「ところで、お聞きしたいんですが」と片瀬はどちらにともなく切り込んできた。


「あやかし特区の所轄署ともなると、やはり妖怪絡みの事案も多いんでしょうか」


 本音の見えづらいポーカーフェイスだが、心なしか緊張した質問にも聞こえる。西尾係長と一瞬目を見合わせてから、雪乃は答えた。


「ええ、そりゃまあ、それなりには」

「……そうですか。やはり、主に生活安全課の仕事ということになるんでしょうね」

「まあ、そうですね。……気になりますか? 妖怪」

「いえ……」


 わざわざそんなことを訊いてくるということは、妖怪がよほど好きか、よほど嫌いか、どちらかなのだと思うが。


「僕がここに回された理由に合点がいきました。国を挙げて人妖じんよう共生を推進していく以上、警察庁の人間も妖怪のことを知っておけということなんでしょう」


 片瀬の物言いは、「それさえなければ自分がこんな地方都市に来ることもないだろうに」とナチュラルに言っているようで、地元の人間としてはカチンと来ないでもなかったが――それよりも。

 今のは、妖怪に関する何らかの私情を取り繕う台詞であるように、雪乃には聞こえた。


「まぁまぁ、そのへんの話は、昼メシでも食らいながらにしよてば」


 西尾係長が言った。ちらりと見た時計は、ちょうど正午の手前を指していた。

 建前上は一時間の昼休みが与えられているとはいえ、ゆっくり食事になど出掛けられる余裕は普段はないことの方が多いが……。今日はまだ何の事件事故も起きておらず、このまま運が良ければまともな食事にありつけそうだ。


「エリートさんは、普段の昼メシはフレンチのフルコースとかか?」


 と、西尾係長は明らかに冗談らしきことを言ったが、


「そんな、まさか。東京にいる時は普通に手頃なイタリアンとかですよ」


 という片瀬の返事は、当人には何の自覚もないのだろうが、冗談でないことが分かるぶんだけ、ナチュラルな嫌味を感じさせた。

 西尾係長がちらっと雪乃を見て、微かにニヤリと口元を吊り上げてくる。あ、これは悪いことを企んでいる顔だ――。


「じゃあ、この街の案内がてら、今日は俺らのイチオシのイタリアンに連れてってやるろ。連れてくって言っても、支払いは各自持ちな」

「はい。宜しくお願いします」


 素直に応じる彼の姿に、雪乃はこれから起きることを予見して密かにくすりと笑った。

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