第3話 新潟あやかしバー戦争
3-1 万代警察署生活安全課
「……ナルホド。要するに、あなた達はイベントに向けて人に化ける練習をしていただけ、と」
レディススーツの上に薄手のワークブルゾンを羽織って現場に
夜の
「ハイ。誰かを
愛嬌のあるタヌキ顔にたらたらと冷や汗を浮かべ、ムジナ達は平身低頭、悪気の無さをアピールしてくる。どうみても人畜無害。事件性が無いのは明らかだった。
やれやれ、この程度なら「地域」の段階で処理してくれてもいいのに――と若い巡査君を睨みつけたくもなるが、そこはそれ、かつて自分も通った道なので言いっこなしである。
雪乃はムジナ達をゆっくり見回して、なるべく威圧的に聞こえないように告げた。
「悪気が無いのは分かりました。だけど、市の条例があってね。無許可で、集団で、公共の場所で人に化けるのは禁止されてるんですよ。あなた達は大丈夫でしょうけど、中には良からぬことを企む妖怪もいますからね」
無許可、集団、公共の場所――と、雪乃が要素を指折り数えるたび、ムジナ達はコクコクと素直に頷いた。その中の一匹が、おずおずと手を上げ、「あのぅ」と訊いてくる。
「オレら、タイホされるんですか」
「しない、しない。そもそも、
「次から……。今日はこれだけでいいんですか」
「いいわよ。反省してくれてるみたいだし」
雪乃が言うと、ムジナ達の緊張の空気がようやく
どのみち、アヤマチリョウと呼ばれるほうの過料に関しては、いわゆる犯罪ではないので警察の出る幕はない。許可申請の受付は警察署の担当なのに、違反時の罰則は警察の縄張りではないというのもヘンな話だが、これも「あやかし特区」ならではの特殊な事情といえるだろう。
妖怪は人間の刑事罰の対象にはならないが、私有財産は認められているので行政罰たる過料を科すことはできる……という、分かるような分からないような理屈に基づいて、国やら自治体やらのお偉いさんがあれこれルールを作っているのだ。
「どうも、スミマセンでした」
ぺこぺこと謝ってくるムジナ達に「それじゃ」と断り、巡査君と敬礼を交わして、雪乃は横付けしていた捜査車両のセダンに乗り込んだ。
「優しい刑事さんで良かったて」
妖怪達のそんな声に苦笑いを隠しつつ、丁寧にウィンカーを出して車を発進させる。
自分はいわゆる刑事ではないし、優しさで見逃したわけでもないが、まあ、市民からの素朴な誤解は日常茶飯事なので今さら気にしない。それよりも、署に戻った後、溜まりに溜まった事務仕事を退勤までにどこまで片付けるかということの方が、今の雪乃の頭を占めていた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
雪乃の奉職する
裏の駐車場に車を停め、署内に戻ろうとすると、ちょうど帰宅しようとしていた課長と出くわした。「地域」と呼ばれる交番勤務の制服警官と異なり、雪乃の所属する生活安全課は日勤制だが、残業の多さはそこらの民間のブラック企業が裸足で逃げ出すほどである。そんな中、この課長は部下が帰りやすい空気を作るために自ら率先して早めの退勤を心がけているらしく、実に先進的で良心的な上司といえる。
「お疲れ様です」
「おう、どうらった」
「何のことない、イベントのために化ける練習してただけの善良な市民ですよ。次から届けを出すように
「そっか。ご苦労さん」
課長の背中を見送り、
「オツカワー、戻ったならお茶」
「オトガワです。現場から今戻ったわたしが、ずっとデスクに居た西尾さんのお茶淹れるっておかしくないですか?」
このくらいの言い返しは喧嘩腰でも何でもない。各々のデスクで残業をこなしている課員達もけらけらと笑っている。
「おうおう。三十路にもなってそんな調子でいいんか? 嫁の貰い手ねーぞ」
熊のような見た目をした西尾係長は、そんなことを言いながらも、ちゃんと自分でお茶を淹れに立っていた。これも普段通りの光景である。
「余計なお世話ですよ。わたしはね、仕事が恋人なんです」
特に思ってもないことを適当に言うと、別のシマの先輩達も振り返って絡んできた。
「だけど、乙川らって黙ってりゃ顔は悪かねーんらっけ、男の一人くらい居るんらろ」
「そうそう。そこらのゴリラと違ってスレンダーでナイスバディなんらし、見た目だけなら男は放っとかんさね」
「喋りさえせんかったら」
一同のけらけら笑いがげらげらに変わる。こればかりは、男所帯に女がいることによる宿命として十年近く前に諦めているが、とりあえず一応は言い返しておく。
「皆さんねえ、セクハラって言葉知ってます?」
「知らんな、東京弁か?」
再びげらげらと笑う先輩達。雪乃がぶすっとして席に着いたところで、例の西尾係長が、物のついでとばかりに雪乃にもお茶を持ってきてくれた。逆に先輩が外から戻ってきたときは勿論こちらがお茶を淹れるので、お互い様である。
「ありがとうございます」
「おう。だけどお前、冗談抜きで、そろそろ相手探した方がいいんじゃねっか? なんか色々あんだろ、街コンとか」
係長の声は打って変わって真面目だった。本気で心配してくれているのも分かっているが、この場であまり本音を吐くのもシャクなので、今少し軽いノリで答えておくことにした。
「理想高いですよ、わたし。付き合うなら歳下のイケメンがいいですね」
「そういうこと言ってる女が婚期逃すんさ」
「カッパかムジナでいいんじゃねっか」
「イヤですよ。東京のハイスペックなイケメンをいつか捕まえてやるんです、わたしは」
先輩の一人が「そんな出会い、ここにあるワケねえろ」と突っ込み、一同が笑う。それから、誰からともなく事務仕事に戻ったので、雪乃もふうっと落ち着いて机上のパソコンを立ち上げた。
少し古めのWindowsが起動するまでの僅かな間、黒い画面に映った雑なポニテ姿の自分と睨めっこし、雪乃はふと考える。確かに、そろそろ相手探しに動き始めた方がいいのだろうか……と。
まだまだ先だと思っていた三十路に気付いたら差し掛かってしまい、SNSでは昔の同級生の結婚や出産ラッシュも続いている。いつまでも実家の親達を心配させていたらダメだと、自分も思わないわけではないのだが。
(……居ないよなぁ、歳下のハイスペックなイケメンなんて)
大学卒業を最後に恋愛から遠ざかり、今や周囲の男性のサンプルといえば男社会のセクハラ野郎どもばかりの雪乃にとって、婚活というのはボンヤリしていて実像がつかめないものだった。
なまじ経験が少ないぶん、「イケメン」とか「ハイスペック」とか、漠然とした理想だけが大きくなるばかり。
まあ、東京のハイスペックイケメンなんて人種は、そいつがこの街にやって来て犯罪に手を染めでもしない限り、自分には付き合うどころか顔を見る機会すらないと思っていたが――
世間の十連休が終わり、令和の元号に人々が馴染み始めた頃、思いもよらない形でそれは雪乃の前に訪れることになった。
警察庁キャリア採用の新人の修業の場として、わが万代警察署生活安全課に白羽の矢が立った――
つまり、歳下のハイスペックイケメンが東京からやって来たのである。
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