2-7 水とあやかしの街

『さぁ、続いては、お化け屋敷の妖怪達がまさかのアイドルデビュー! あやかし特区新潟を彩るニュースター、古町ふるまちアヤカシーズの登場だ!』


 陽気なDJの声が万代島ばんだいじま多目的広場の屋外エリアに響き渡る。前の出演者がハケた後の特設ステージには、早くも秋葉原エイトミリオンの「愛しのスコーンジャム」のイントロが流れ始め、会場のあちこちから歓声が上がっている。

 朱夏はルカと並んで観客の中ほどに陣取り、ライブの開始を今か今かと待っていた。手のひらに微かな緊張の汗を滲ませて。


「いよいよ始まるわよ、ルカ君」

「ウン。ボクもこの日のために蛇を克服してきたカラね、平気平気」


 濡れ女を見て逃げ回ったあの日から十日ばかり。苦手を克服すると張り切っていたルカは、フェイク蛇革のジャケットに飽き足らず、ゴム製の蛇のオモチャを首に巻きつけてこの場に臨むまでになっていた。そんな彼の様子に、朱夏も自然と口元が緩む。

 無事に企画を現場に渡し終え、自分に出来ることはもうない。あとは、皆が段取り通りに上手くやってくれることを祈るばかり。

 連休前の予報通り、天気は連日続けての快晴。妖怪濡れ女が出没するにはあまりに不向きな空だが、心配は要らないだろう。――。


「皆さァん、お待たせしましたァ」


 陰気な筈なのにどこか陽気な声を会場に響かせ、ステージ背後の信濃川から飛沫しぶきを上げて飛び出してきたのは、巨大な蛇の正体をあらわにした濡れ女だ。

 観客達がワァッと驚いた瞬間には、彼女は濡れた着物を纏った人間の姿に変わり、ぬらりとステージに立ち上がっていた。

 にゃん、と一声鳴いてステージに跳び上がった猫又の娘とともに、濡れ女は歌い始める。防水仕様のマイクを通し、皆がよく知るメロディーに乗せて、練習に練習を重ねた一曲を。


「♪紅茶の方がいいなんて――少し気取って言ったけど――」


 意外と澄んだその歌声に耳を傾けながら、朱夏はちらりとルカの横顔を見上げた。一瞬前の蛇の姿にやはりヒッと震えていた彼は、片手で口元を覆い、なんとか平静を保ってステージを注視しているようだった。

 その彼の口から、次の瞬間、ほうっと驚きの声が漏れる。

 それは周りの観客達も同じだった。ただ一人、何が起きるかを知っている朱夏だけは、ふっと笑ってステージに注目していた。


「♪ストレートでは飲めないなんて――明かすのは恥ずかしくて――」


 歌い続ける濡れ女と猫娘の頭上から、さあっと霧雨きりさめのように水が降り注いでいる。その雨の中、濡れ女は全身の湿り気を失うことなく、活き活きと歌い踊っていた。

 ステージに即席の雨を降らせているもの。それは、川の水面から半身を出し、重ねた両手から水鉄砲のように川の水を撃ち出し続ける、十数匹ものカッパの集団だった。

 お風呂やプールで、誰しも手で水鉄砲をやった経験があると思うが――水の妖怪であるカッパが繰り出すそれは、人間が遊びでやるのとは水量も勢いも段違いだった。


「朱夏サン、スゴイよ。カッパがあんなに」

「……ええ。こんなに集まってくれるなんて、想像以上だったわ」


 隣のロシア人の目は今や、ライブそのものよりも、ステージに絶え間なく水をき続けるカッパ達のほうに釘付けになっていた。

 東京から遥か遠いこの街でも――いや、この街だからこそ出来るシンプルな解決策。

 タンクもポンプも他所から持ってくる必要などない。街を貫く信濃川は天然のタンクであり、カッパ達はポンプの役割を立派に果たしてくれていた。

 いわばこれは、この街と妖怪の力による即席スプリンクラー。そして同時に、観客達の目を楽しませる、ナマの妖怪によるパフォーマンスの一環でもあった。


「♪愛しさ――スコーンに乗せて――あなたと――アフタヌーンティーを――」


 濡れ女達の歌は早くもサビに入っていた。ルカの腕をつついて、朱夏は「ステージも見てあげて」と促す。


「濡れ女さん、ルカ君に笑い返してほしくて頑張ってるんだから」

「そうだったね。デモ、ちゃんと皆のコト見えてる。プロフェッショナルだ」


 ルカの率直な感想に朱夏は頷いた。

 しっとり濡れた髪をほおに張り付かせて、濡れ女は、ちゃんと観衆の全体に視線と笑顔を振っている――ように見える。朱夏が観察した限りでは、恐らく、ルカを含めほとんどの観客は違和感を抱いていないに違いない。


(……まあ、これも妖怪パワーなんだけどね)


 濡れ女がステージ上から視線を振るのに合わせて、朱夏も目立たない程度に客席を見渡した。会場のあちこちには、が何人も紛れ込み、周りの観客に混じって声援を上げていた。


「さすが、ムジナのけ……」

「ン? 朱夏サン、何か言った?」

「なんでもないわよ」


 独り言をごまかし、朱夏はステージ上の濡れ女のパフォーマンスを眺める。

 客席に紛れ込んでいるのは、狐よりも化けるのが上手と言われたムジナ達が、ルカそっくりに化けた姿。

 とどのつまり、レッスン初日に笠井教諭に指摘された「惚れた一人のためではなく、観客皆のために歌わなければならない」というアイドルの掟を、濡れ女はマスターすることができなかったのだ。それでもステージを成功させるために、お化け屋敷のムジナが仲間に声をかけ、人数を集めてくれたのである。


『オレらに任せてくれてば。ちゃんとお巡りさんのキョカも貰ってあるっけ』


 そう言ってドンと胸を叩いていた彼も、今はロシア人の姿になって会場のどこかに紛れているのだろう。

 なんでも、人前で集団で人に化けるには、警察への事前申請が必要なのだとか。妖怪の化け能力の行使を役所に申請するというミスマッチぶりが、いかにも「あやかし特区」ならではという気がして、正直嫌いじゃなかった。


「♪今までずっと気付かなかった――人生の奇跡初めて知った――」


 こうなっては濡れ女も会場のあちこちに笑いを振りまくしかなく、結果として彼女のパフォーマンスはそれなりにアイドルらしいものになっていた。加えて、わりと何事も如才なくこなせる猫娘が、それを横からしっかりリードしている。

 あの二人、結構悪くないデュオかもしれない――。そんなことを思いながら、朱夏は彼女らの気持ちの入った歌声に耳を傾けていた。


「♪これから毎日笑い合える――たぶん――」


 くるくると胸の前で手を回す振り付けとともに、一番の歌詞を歌い終え、濡れ女が霧雨のカーテンの中からニコリと笑みを投げてくる。普段のコミカルなノリが嘘のように、その笑いはゾクっと心を射止めるような妖艶な魅力を放っていた。


「いいジャン」


 ルカのぽつりと呟く声。彼の口元にも、他の観客達と同じように、濡れ女の求め続けた笑みが自然と浮かんでいた。


「……よかった」


 歌詞は二番に入り、ステージは盛り上がりを増す。

 蛇嫌いと格闘してまでこの場所に来てくれたルカと、多忙の合間を縫って協力してくれた笠井教諭と、そして何より、畑違いの課題に果敢に取り組んでくれた妖怪達。この街と皆の力が合わさってイベントを乗り切れたことに、朱夏は安堵と達成感の入り混じった静かな感動を噛み締めていた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「やぁ、上手くいってよかった。朱夏ちゃんもルカ君も、ほんねご苦労さん」


 会場の別のところからステージを見ていたらしい南雲社長は、終演後すぐに朱夏達のそばにやって来て、破顔一笑して労をねぎらってくれた。

 今日の彼は、いかにも休日のお父さんという私服姿で、心なしか仕事モードの時より顔も緩んでいるように見える。


「朱夏ちゃんのおかげで助かったて」

「イヤイヤ、わたしはほとんど何もしてないですよ。頑張ってくれたのは妖怪のみんなです」

「その話を動かしたのは朱夏ちゃんらろ。立派な手柄さ」


 謙遜を塗り潰す勢いで言われ、朱夏がガラにもなく照れていると、社長の後ろから二人の女の子が近付いてきた。

 二人とも中学生くらいだった。一人は写真で見たことがある。赤縁眼鏡に理知的な顔立ちが特徴的な、社長の一人娘だった。もう一人はおかっぱ頭で、なぜか休日なのに学校の制服を着ている。


「お子さんですか?」

「あぁ。娘のミカと……何て言うか、新しいお友達ら」


 眼鏡の少女は「南雲ミカです」と礼儀正しく名乗ってきた。対照的に、おかっぱ髪の少女は、くすくすと悪戯っぽい笑みを浮かべて、信じがたいことを口にしてきた。


「座敷わらしのモカだよ。ミカちゃんのお友達なの」

「座敷わらし……?」


 名乗り返すのも忘れて、朱夏はぱちぱちと目をしばたかせる。と、隣でルカが声を裏返らせた。


Милаяミーラヤ! カワイイ! えっ、ホントに座敷わらし? 人間そっくりだケド」

「くすくす。人間そっくりじゃないと、みんなの中に紛れ込めないじゃない?」

Интересноインチレースナ!」


 ルカの興奮する姿を見て、座敷わらしの少女も嬉しそうだった。社長の娘のミカは、一歩引いた位置でその様子を見守っているという風情だ。

 困ったように頭を掻き、社長は言った。


「俺も驚いたんさ。知らん間にウチに住み着いてたみたいで」

「へぇ……あ、じゃあ、ウチの仕事が増えてきたのって、ひょっとしてこの子のおかげ……?」

「さぁ、それは知らんけろも。あぁ、でも、仕事はこれからもっと増えるろ」

「え?」


 続いて社長が告げたのは、予想外のような、それともある意味予想通りのような一言だった。


「せっかくだっけ、妖怪アイドル、ウチでプロデュースして常設しよてば。男子はあっても女子はまだない。どこもやってないなら大きなチャンスら」

「……誰がやるんです?」

「モチロン、朱夏ちゃんに任せるさ」


 やっぱりそうですよね、と朱夏は苦笑いで答える。ルカの長身を見上げて何やら話していた座敷わらしの少女が、ぴこんとアンテナが光ったような勢いでこちらに振り向いてきた。


「それ、わたしも入りたい。ミカちゃんも一緒にやろうよ」

「えー、わたしはいいって。タイプじゃないよ」


 それに、妖怪アイドルに人間が入ったらダメでしょ――と、いやに真面目に突っ込むミカと、くすくす笑いながら「いいじゃない」なんて言っている座敷わらし。どこか姉妹のようなやりとりが微笑ましい。


「まぁ、とにかく、話は週明けに。打ち上げの方、よろしく頼むろ」

「はぁい」


 娘達を連れて立ち去る社長を、朱夏は目礼で見送る。座敷わらしのモカがずっとこちらをチラチラ振り返っているのが印象的だった。


「聞いた? 妖怪アイドル常設化だって。また忙しくなるわよ」


 そんなに仕事を増やすなら、事務専門のスタッフをそろそろ雇ってほしいものだが……。まあ、それは今後改めて提言すればいいだろう。


「ウン、行けるト思うよ。打倒ルサールキだね」


 随分と恐れ多いことをルカは平然と口にした。代役を一回やるだけでも一苦労だったのに、まったく気が早い。そもそも、濡れ女達が話に乗ってくれるかどうかもまだ分からないのに。


「……今夜の打ち上げで、早速聞いてみなきゃなぁ」

「みんなノリノリだったし、大丈夫だッテ」

「だといいけどねぇ」


 ともあれ今夜は、協力してくれたカッパやムジナの仲間達へのお礼も兼ねて、あやかし御用達ごようたしの居酒屋でお化け屋敷の皆と打ち上げの予定だった。社長は来ないが、費用はもちろん会社持ちだ。笠井教諭も顔を出してくれると言っていた。


「アイドルが人気になって、本業のお化け屋敷が忘れられなきゃいいけど」


 朱夏が何とはなしに呟いて歩きだすと、隣のルカから「それもいいんじゃナイの」と楽観的な言葉が返ってきた。


「バスセンターのカレー作戦だよ、朱夏サン」

「? 何それ」

「本業じゃナイやつの方が看板になっちゃう、的な」

「あー……。まぁ、それもいいかもしれないわね」


 くすっと笑って、朱夏は人の賑わう川沿いを歩いた。

 カレーの方が有名になってしまった立ち食い蕎麦屋で、今度またこの青年に大盛り550円を奢ってあげなきゃな、なんて考えながら。



(イベント会社勤務・山際朱夏編 完)

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