2-5 アイドル大特訓!

 何はともあれ、イベントまで時間がない。妖怪達がステージに立ってくれるというのなら、自分はそれを成功させるために全力を尽くさなければ――。

 朱夏はその日も18時過ぎに職場を出て、その足で古町ふるまちのお化け屋敷へと向かった。そうそうルカを連れ回す訳にもいかないので、彼は今日は普通に帰らせ、朱夏一人での訪問である。

 バスセンターカレーと似たり寄ったりの安さの牛丼屋(レディースサイズ)で腹ごしらえをし、日没後にお化け屋敷を訪れてみると、今日は臨時休業とあった。はて?


「あ、ヤマギワさん」


 後ろからの声に振り返ると、人間の浴衣を着た例のムジナが、何やらコンビニ袋を携えて戻ってきたところだった。


「ちょうどいいトコに。ささ、入って入って」

「まさか、中でアイドルの特訓でもしてるの?」

「そのまさか、ら。今夜は特別講師も来てくれてるんさ」

「特別講師……?」


 朱夏のほうでは、今夜はひとまず彼らの練度を確かめ、必要に応じてレッスンのトレーナーなどを手配しようかと思っていたが……。何やら、昨日の今日で早くも話が動いているような気配だ。

 ムジナに案内されるがまま、朱夏は昨日と同じ事務室へと足を踏み入れる。その途端、ポップな音楽が鼓膜を叩いた。


「はい、ワン、ツー、さん、しー」


 スーツ姿の長身の男性がこちらに背中を向け、ぱんぱんと軽く手を叩いている。それと向き合うようにして、人間の姿に化身した濡れ女と猫又の娘が、揃いのステップを踏みながら歌を歌っていた。

 カッパの兄弟も室内の机に陣取り、どこから持ってきたのかも分からない古臭いラジカセを操作している。濡れ女と猫娘はわりとガチな顔をしてダンスと歌に集中しており、スーツの男性もまた、真剣に彼女達の動きを観察しているようだった。


「あの方が講師?」


 朱夏が小声で尋ねると、ムジナはこくりと頷いた。


「近くの中学の先生ら。アイドルに詳しいのを見込んでお願いしたら、水曜はノー残業デーだからって早速来てくれたんさ」

「へぇ……」


 ずいぶん酔狂な人がいたものだなと思いながら、朱夏が濡れ女と猫娘のレッスンの様子を見ていると、ふいにその特別講師が「はいストップ!」と声を上げた。


「猫又さんは愛嬌があって、気持ちも入ってて良い感じです。……かたや、濡れ女さん、動きはヌルヌルしてて悪くないんですが、肝心のがここにあらずですね。僕の聞いたところでは、あなたが真っ先にアイドルパフォーマンスをやりたがったとのことでしたが……?」


 いきなりのダメ出しに、濡れ女はギクっとした表情を浮かべながらも、「ええ、そうよォ」と答えている。ちなみに彼女の着物は昨日とは違っていたが、恐らく元々は明るいウグイス色なのであろうその着物も、例によって彼女独特の湿気によって濃い緑色に染まっていた。


「あたし、そんなにダメかしらァ? 笑顔には自信があるつもりなんだけどォ」

「ええ、濡れ女は人に笑いかけて笑いを返させる妖怪……それがあなたの天性なのは知っています。しかし、あなた、観客皆の笑顔ではなく、特定の誰かの笑顔を欲しがってはいませんか?」


 男性が言った瞬間、濡れ女と一緒に朱夏もどきりとした。彼女の動機を一瞬で見抜いたこの男性は、一体……?


「そ、それが何かダメなのォ?」

「ダメですねぇ。惚れた一人のために歌うなんて、アイドルから最も遠い概念ですよ」


 男性はすっと眼鏡を直す仕草をして続けた。当の濡れ女のみならず、一緒に踊っていた猫娘も、ムジナやカッパ達も、一様に彼の語りに注目している。


「いいですか、アイドルは万人ばんにんに愛されるべき偶像。全ての観客に平等に笑顔を振りまかなきゃいけないのです。特定の人にだけ色目を使うなんてもってのほか」

「そ、そうなのねェ……」


 濡れ女がわかりやすく肩を落として項垂うなだれる。その彼女を「しかし才能はありますよ」とフォローしてから、男性はレッスンの小休止を告げた。

 ムジナがコンビニ袋から飲み物のペットボトルを取り出し、濡れ女達に手渡している。


(アイドルは皆に平等に……か)


 なるほどなぁ、と朱夏が素直に感心していると、男性がクルリとこちらへ振り返って目礼してきた。

 年の頃は朱夏と同じか少し上くらいだろうか。黒縁の眼鏡を掛けた、男前は男前だが妙にひょろりとした印象の人だった。


萬志ばんし中学で社会科を教えてます、笠井かさいと申します」


 彼が名乗ってきたので、朱夏も居住まいを正した。


「はじめまして。南創企画の山際と申します」

「南創企画さん……あぁ、このお化け屋敷を作った会社さんですね」

「ええ、まぁ。わたしはただの下っ端ですけど」

「いやいや。……僕は妖怪好きが高じてこの街に来たんですが、それがちょうど、このお化け屋敷がオープンした頃でしてね。妖怪好きの仲間と何度か来させてもらって、思い入れ深いですよ」


 どこかオタクの空気を漂わせる風貌にたがわず、笠井教諭は饒舌に言葉を並べ立てる。


「ちなみにね、御社の社長さんの娘さんが、ウチの学校にいますよ」

「へぇ! そうなんですか」


 バツイチ社長の一人娘がこの先生の学校に……。思わぬ偶然に朱夏は一瞬驚いたが、決して広くないこの街では、よくあることかもしれない。


「僕のクラスではないですけどね、優等生で有名ですよ。……さて」


 ぱんと手を叩いて、笠井氏は言った。


「そろそろ再開しますか」

「はァい」

「にゃー」


 妖怪達は素直に彼の言うことを聞いている。彼女達なりに彼の指導力を感じ取っているから、なのかもしれない。


 実際、それからの笠井氏の指導は、素人の朱夏にもその的確さが見て取れるものだった。

 濡れ女と猫娘が音楽に乗せて踊っているのは、何年か前に流行った秋葉原エイトミリオンの「愛しのスコーンジャム」という曲。それほどテンポも速くなく、振り付けも分かりやすいので、当時はあちこちの企業や学校でこぞって「踊ってみた」動画が作られ拡散されていた覚えがある。

 要は誰でもコピーしやすい曲ということなのだろうが、笠井氏は、単なる振り付けの正しさだけではなく、目線の振り方だとか、笑顔の作り方だとか、アイドルに精通したオタクならではといった視点からのダメ出しをバシバシと入れているのだった。そうした指導が入るたび、二人のパフォーマンスが格段に良くなっていくのが傍目にも分かる。

 お化け屋敷の妖怪達にアイドルパフォーマンスをやらせるという無理難題も、このぶんなら思ったより上手くいくのかも……と、朱夏も心を弾ませずにはいられなかった。


 しかし、一時間ほどレッスンが続き、笠井氏が、猫娘の夜目が光る体質をステージでの演出に取り入れようか……とさらりと言った直後。


「あれ、そういえば、これって出るのは夜のステージなんですよね?」


 彼が続けて発したその疑問に、朱夏は反射的に「いえ」と答え……その瞬間、何か悪い予感がざわりと胸を侵食するのを感じた。


「イベントの時間帯は、お昼過ぎの2時……ですけど……」

「おや。そうでしたか……妖怪のライブはてっきり日没後だとばかり。……そうなると、濡れ女さん、あなた炎天下って大丈夫でしたっけ?」


 問われた濡れ女の顔には、答えるより先に「マズイ」という色が浮かんでいた。


「雨の中なら出歩けるけどォ……晴れてたら野外は無理ねェ」


 ぽたりぽたりと、汗とも何ともつかないしずくが彼女の足元にしたたっている。朱夏は一縷いちるの望みをかけてスマホの天気予報アプリを開き、そして首を横に振った。


「当日の天気……カンカン照りですね」


 その場の全員の顔が、さあっと青白く変わる。


「ウージャス……」


 イベントまで、今日を除いてあと九日――。

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