2-4 妖怪とロシア人

 イベントまであと十日――。

 日課の経理雑務と簡単なチラシの修正を朝イチで終わらせた朱夏は、忙しなく外回りに出ていく先輩社員達を横目に、ネットでの情報収集に励んでいた。

 朱夏が急にこんなものを調べ始めた理由は言うまでもない。お化け屋敷の妖怪達が……というか、もっぱら例の濡れ女ひとりが、イベントのステージでアイドルの真似事をしたいと言い出したからである。


陰陽おんみょうボーイズ……ねぇ」


 検索で真っ先に出てくるのは、あやかしのメッカと言われる京都で活躍する、爽やかなイケメン妖狐ようこのグループ。占いパフォーマンス付きの地下ライブで女性客を中心に人気を博し、何やら魔除けの御札おふだ付きのCDもインディーズで出しているらしい。


「……うーん。やっぱジャンルが全然違うなぁ」


 一人きりになったオフィスで朱夏が呟いたとき、ちょうど社用のスマホが鳴った。発信者は、昨日から東京に出張している南雲なぐも社長である。お化け屋敷の妖怪達を訪ねることは昨日の内にラインで連絡してあったので、その首尾を気にしての電話だろう。


『どうら? 朱夏ちゃん。妖怪さん達の手応えは』

「えーと……乗り気っちゃ乗り気なんですけどね」


 昨日の濡れ女の様子を思い返し、朱夏は答えた。どこまで言ったものかと一瞬迷ったが、まあ、隠すべきことなど何もないだろう。


「なんか、看板妖怪の濡れ女さんが、ルカ君に一目惚れしちゃった感じで」

『へぇ?』

「で、ルカ君の笑顔を見るために、アイドルパフォーマンスをやるとか言ってます」

『……冗談らろ?』


 予想通り、ワケがわからないという声が返ってきた。報告している朱夏自身もほとんどワケがわからないのだから、無理もない。

 とはいえ、ルサールキの代打という無茶振りに、彼らなりに応えてくれようとしているのだから、朱夏の方が放り出すわけにもいかなかった。


「いやー、どうも本気みたいなんで、わたしもさっきから妖怪アイドルのこと調べてるんですよ」

『妖怪アイドルって、陰陽ボーイズとからろ』

「ええ」

『うーん、あのお化け屋敷の妖怪さん達に、そういうんが出来るんかねえ……?』


 社長も朱夏と同じ疑念を抱いたようだった。比較対象が爽やかイケメンの陰陽ボーイズとなれば、きっと誰だってそう思うに違いない。


『……まあ、そんでも、彼らの力を借りるしかないろ。俺もほうぼう声は掛けてみたけど、どのみち今から他の出演者の手配は無理だっけ』

「ですよね……」

『仕方ない、イベントまで朱夏ちゃんはそっちに注力してよ』

「承知しました」


 頼むろ、と念押しして、南雲社長は通話を終えた。

 さすがは社長、ただ丸投げするだけでなく、彼自身も多忙の合間を縫って動いてくれてはいたのか……。それだけで少しは安心する。

 とはいえ、結局のところ、濡れ女はじめお化け屋敷の面々を当てにしなければならないのも事実。それに、ルカの方をどうケアするかも……。

 山積みの課題に頭を押さえながらも、ひとまず朱夏はトラックボールマウスを操ってブラウジングを続ける。本物の妖怪によるアイドルグループは、やはり例の陰陽ボーイズくらいしか有名なものがないらしく、あとは、人間の女の子が妖怪のコスプレをした地下アイドルの情報がちらほらと出てくるばかりだった。

 前例が少ないということは、上手くすればこの街の新たなイベントの目玉にも……?


「……いやいや、濡れ女さんはともかく、他のヒト達はそういうんじゃないでしょ」


 お化け屋敷の妖怪達はみな愛嬌のある目をしてはいるが、どう考えてもアイドルという感じではない。そもそも、濡れ女が特別なだけで、他の妖怪は人を怖がらせることが本懐なのだし……。

 ムジナにカッパ、猫又の娘の人懐っこい顔を次々と思い浮かべ、朱夏は嘆息した。




 昼が過ぎて二時になり、「コンニチワー」と聞き慣れた声を響かせてルカが出社してきた。市内の大学の留学生である彼は、授業の被らない曜日に限ってこの会社でバイトをしてくれている。


「こんにちは、ルカ君。……って、何その格好」


 パソコンから顔を上げ、彼の姿を見て、朱夏は面食らった。昨日は濡れ女に一目惚れされてУжасウージャスな目に遭っていた彼が、見慣れない蛇革のジャケットを羽織って現れたからだ。

 ぱちぱちと目をしばたかせる朱夏に、彼は「にかっ」と快活に笑ってくる。


「これ、古着屋サンでたった2,500円だったんだよ。安いでショ」

「そりゃ安いわね。……じゃなくて、ルカ君、蛇苦手じゃなかったの?」

「苦手だよ、だカラ、形から入ろうと思って。蛇なんか怖くない、蛇を退治して革に出来る人間サマの方がエラい、ってね」

「ふぅん……?」


 分かるようで分からない理屈だったが、本人が前向きに濡れ女の件を乗り切ろうとしてくれていることだけは十二分に伝わってきた。よく見るまでもなく、彼が安く手に入れたという蛇革は本物ではなくフェイクのプリントのようだったが。

 彼が妖怪達のパフォーマンスを観ることをイヤがるようなら、どう言って説得したものかと思っていたが、どうやらその心配は要らないのかもしれない。


「濡れ女サンに惚れられても困っちゃうケド、ボクが客席にいなきゃ彼女がやる気出してくれないって言うならネ。ボクも一皮脱がなきゃと思って」

「一肌脱ぐ、でしょ」


 朱夏が訂正すると、彼は「ヒトハダヌグ……」と二度ほど小声で繰り返していた。

 それにしても、大したアグレッシブさだと朱夏は感心する。本来、バイトの彼がそこまでイベントの成否に責任を感じてくれる必要はないだろうし、イヤなら拒めばいいのに、昨日の今日で早くも蛇を克服する準備をしているなんて。さすが、わざわざ日本語を覚えて海を渡って来る留学生ともなれば、基本のメンタルからして違うのだろうか。


「……立派ねぇ、ルカ君は」


 何とはなしに朱夏は呟いた。彼は朱夏のはす向かいの席に腰を下ろし、パソコンを立ち上げつつ、「鳥山とりやま石燕せきえんは」と江戸時代の絵師の名前を持ち出してきた。


「え?」

「苦手な妖怪は描かないトカ、しなかったはずだカラね。小泉八雲ラフカディオ・ハーンも、水木しげる先生も」

「……だから、あなたも、って?」

「ウン。ボクは一流の研究者になりたいカラね。コレは神様がくれた試練だよ」

「ははぁ、ナルホド……」


 一回りも若い青年の言葉に朱夏がしばし圧倒されていると、彼は「ソレで、今日は何カラ」と話を仕事モードに切り替えてきた。

 思い出したように、朱夏は営業担当の社員達から回ってきた作業を彼に引き継ぐ。紙媒体やWEBなど内容は色々だ。朱夏の手で出来ることはやってしまうが、社内でそういうことに一番長けているのはこのバイト君なので、肝心のところは彼に頼り切りになる。

 実際、彼が来てくれるようになってから、制作面の外注費用が減り、会社の会計が大きく助かっているのは確かだった。

 これじゃどっちが社員だか分からないなあ、と自嘲めいたことを思いながら、自分は自分で仕事の続きに掛かろうとすると、


「あー、雪女トカ人魚トカだったら、喜んで付き合うんだけどナー」


 と、ふいに、ジョークなのか何なのか分からないボヤキをルカが発してきた。


「え? ルカ君、妖怪と付き合いたいの?」

「マァ、チャンスがあったら前向きにケントーするよ。人間の姿をした相手だったらネ」

「へぇー……」


 どうやら、100パーセント冗談という訳でもなさそうだった。

 そういえば、彼といわゆる恋バナをしたことはなかったが、妖怪も恋愛対象に入るとはやはり驚きのアグレッシブさだ。朱夏も妖怪と接したくてこの街に来たクチではあるが、さすがにあの愛すべきムジナやカッパ達を彼氏にするのは想像できない。京都のイケメン妖狐なら、少し考えてしまうかもしれないが……。


「あれ、でも、人魚がOKなら濡れ女もOKなんじゃないの? 蛇嫌いさえ克服できたら」

「えー、ソレは全然違うよ。人魚は妖怪の姿でも身体のほとんどが人間でショ。濡れ女はそうじゃないカラ」

「ふぅん?」


 まあ、確かに、上半身がまるまる人間の姿をしているのと、蛇の身体に人間の頭が付いているだけではだいぶ違うかなあ、と納得できないでもない。


「でも、そしたら、濡れ女さんは悲劇よね。ルカ君に本気で惚れちゃっても、種族の壁に阻まれちゃうんだ」

「……マァ、ソレは人間同士でもフツーにあるカラね」


 それから、ルカはぴっと顔の横に人差し指を立てて言ってきた。


「朱夏サンに言っておくケド、ロシア人とだけは結婚しない方がいいヨ」

「何? その心配」

「ボクも含めて、ロシアの男はみんなマザコン。そして、ロシアのママは嫁イビリがスゴいから」

「どこでそんな言葉覚えてくるのよ」


 ひとしきり笑ってから、ふう、と息を吐いて、朱夏はパソコンの画面に向き直った。

 わざわざ人に話したりはしないが、実は自分も20代の頃には外国人の男性と付き合っていたことがある。新潟に来るより前のことだ。二年ほど付き合って、本気で求婚もされたが、異国へ嫁ぐ決断ができなくて結局は別れてしまった。

 あの時もっと勇気を持てていれば……と、微かな後悔を引きずることがないでもないが。


「……今は今を頑張らなきゃね」

「? そうだよ。ボクも頑張るカラ、朱夏さんもファイト」


 例によって、日本でしか通じないカタカナ語を器用に使いこなし、ロシア人は言った。

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