2-3 強烈!妖怪濡れ女
扉が開いた瞬間、じめっとした空気が朱夏の肌を撫ぜたような気がした。
「なァにィ? 誰が来たのォ?」
しゅうしゅうと耳に絡みつくような声とともに姿を現したのは、大きな
初めて見るその姿に、朱夏はびくっと身体を強張らせてしまったが、ルカの怖がりぶりはそれどころではなかった。
「ヒィッ、
何やらロシア語の悲鳴を裏返らせ、彼はしゅばっと朱夏の後ろに身を隠す。もっとも、彼の方がずっと体格が大きいので、全然隠れきっていないのだが……。
傍らのムジナやカッパ達も、彼の意外な一面に面食らった顔をしている。
「何、ルカ君、妖怪好きなんじゃないの?」
「妖怪は好きだケド、ヘビはっ。ヘビはダメだよ」
ふぅん、と朱夏は頷いて、ひとまずロシア人を後ろに庇ったまま、改めて妖怪と目を合わせた。
失礼をしてしまったかな、と心配だったが、そこはそれ、相手は人を怖がらせるのが
「あたしィ、
「どうも、初めまして。
朱夏が名乗ると、彼女はしゅるしゅるっと音を立てて人間の姿に化身し、「ぽん」と手を叩いた。恐らく本来はスミレ色だったと思われる着物が、髪と同じくべったりと湿気を含んで濃い紫に染まっている。
「あぁ、このお化け屋敷を作ってくれたっていう? お世話になってまァす」
濡れ女がぺこりとお辞儀をしてくる。髪と服から水気が滴り、事務所の床をぽたぽたと濡らした。
「どうら? 濡れ女。このヤマギワさんが、オレ達に何か出し物してくれねえかって」
「出し物ォ?」
彼女は途端に
「イヤよォ、だってェ、どうせ誰も笑ってくれないのは目に見えてるじゃなァい」
「笑ってくれない……?」
朱夏は思わずその言葉をオウム返ししていた。お客さんを怖がらせてナンボのはずの、お化け屋敷の妖怪が、「誰も笑ってくれない」とはどういうことだろう。
「お嬢ちゃァん、知ってるゥ?」
湿気を纏った濡れ女が、俯き加減のまま、すいっと一歩近づいてくる。
「お、お嬢……?」
まだまだ気持ちは二十代に負けないつもりの朱夏ではあるが、いざそんな聞き慣れない呼び方をされると面食らう。濡れ女はそれに構わず、湿った着物の袖で口元を隠し、よよよと泣き真似をしながら上目遣いに朱夏を見てきた。
「あたし達、濡れ女はァ、人間サマに笑いかけてェ、笑い返してもらうのが力の源なのォ。だけどォ、最近じゃみんな、道端であたしが笑いかけてもォ、不審者だ不審者だって、笑い返すより先に逃げ出しちゃう始末でねェ。世知辛い世の中になったものだと思わなァい?」
「は、はぁ。まあ、近所のおじさんが小学生に挨拶しても『事案』になる時代ですからね」
「でしょォ。だからァ、ソロ活動じゃもうやってけないと思ってェ、それでこのお化け屋敷に入れてもらったってワケなのよォ」
「ナルホド……。でも、ここのお客さんはあなたを怖がってはくれても、笑い返してはくれない、と……」
朱夏が話をまとめると、濡れ女は「そうなのよォ」と深く頷き、また泣き真似に入ってしまった。正直、顔も
「でも、濡れ女が来てくれてから、お客さんのウケはすこぶる良いんさ」
「そうそう。正直嫉妬しちゃうにゃあ」
ムジナや猫娘がそんなフォローを入れてくるが……。
人から笑い返されることが生き甲斐だった妖怪が、お化け屋敷で怖がられることしか出来ないというのは、果たしてどんな苦しさなのだろう……と、他人事ながら朱夏もちょっとばかり同情してしまう。
と、そのとき。
「ねーねー、朱夏サン」
蛇の姿を怖がって隠れていたはずのルカが、後ろからクイクイと朱夏のカットソーの袖を引いてきた。
「ちょっとヘンだよ、この妖怪サンの言ってるコト」
「へ? 何が?」
「だって、越後の濡れ女と、瀬戸内の
「? そうなの?」
はて、と朱夏が首をかしげるのも束の間、当の濡れ女は、ばっと顔を上げて「あらァ!」と嬉しそうな声を張り上げた。
「あたし達のことをよォく知ってくれてるのねェ。感激だわァ」
朱夏の肩の後ろで、ルカがびくっと震え上がるのが分かった。
「でもォ、それはァ、あたし達の伝承が、地域ごとに断片的に伝わっただけェ。人間サマの見方で行けばァ、別の妖怪っていうかァ、別の怪異譚ってコトになるのかもしれないけどォ」
「へぇ……」
本人が言うのだからそうなのだろう、と朱夏が納得したところで、濡れ女はにかっと口元をつり上げたまま、しゅいんと朱夏の背中側に回り込んで。
「隠れてないでェ、お顔ォ見せてよォ」
「ヒィッ!」
逃げるルカの正面を塞ぎ、うふっと楽しげに笑っていた。
「あらァ、イケメンの
「
なんだかおかしなことになってしまった……。
バタバタと室内を逃げ惑うルカと、身体を蛇に戻して追いかける濡れ女。朱夏もムジナ達も突然のことで止めに入れない。
「イケメンな上に妖怪に詳しいなんてェ! 嫌いじゃないわァ! 笑顔を見せてェ!」
「
可哀想なロシア人を壁際に追い詰めたところで、濡れ女はハッと思い出したように朱夏達を振り返り、いやに目をキラキラさせて言ってきた。
「思い付いたわァ。あたし達の出し物でェ、このイケメン君を笑顔にしてあげましょォ。人を怖がらせるだけがあやかしじゃないってェ、見せてやるのよォ」
「
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