2-2 古町の妖怪達

 夕焼けが街を染める18時過ぎ、朱夏しゅかは残った先輩社員達に「お疲れ様です」と声を掛けてオフィスを出た。普段なら皆より先に帰るのは少しばかり気まずいが、今日はこの後も社用だと皆知っているため、心理的抵抗も幾分薄い。

 社長は今日からまた泊まりがけで東京だし、古参の外勤社員達もそれぞれの案件で手一杯だ。ルサールキの代わりを引っ張ってくる大役は、ひとまず今は自分が担わなければならない……。


「……それはいいんだけど」

「ン?」


 一歩後ろを付いてくるロシア人青年を振り返り、朱夏は言った。


「別に、ルカ君はムリして付いてこなくていいのよ? 留学生ってそんなにヒマじゃないでしょ」

「ヒマじゃないケド、ボクも興味あるからネ。メーワク?」


 朱夏よりずっと背の高い白人青年が、いやに人懐っこい目でこちらを見てくる。


「メーワクってことはないけど。……来てくれるのはいいけど、時給出ないわよ」

「いーよ、そのぶん朱夏サンに夕飯奢ってもらうカラ」

「ちゃっかりしてるなぁ……」


 歩きながら小さく溜息をつくと、どこで覚えたのか「ゴチになりマス」と弾んだ台詞が返ってきた。

 朱夏とて決してお金に余裕があるわけではないが、一回り歳下の学生相手に食事代を出さないのも具合が悪い。これは明日は節制だなあ、と思ったところで、


「バスセンターのカレーでいいヨ」


 交差点の向こうに見える万代ばんだいシテイシティのバスセンタービルを指差し、ルカが「にかり」と笑った。


「リクエストなら『で』じゃなくて『が』って言いなさい」

「バスセンターのカレーがいいナ」

「よろしい」


 ミニカレーなら380円、普通サイズでも470円。スクランブル交差点を渡る朱夏の足取りは少しばかり軽くなった。




 万代ばんだい名物「バスセンターのカレー」は、その名の通り、バスセンター構内の立ち食い蕎麦そば屋が提供するカレーライスである。朱夏がこの街に来たばかりの頃は、蕎麦屋なのにカレーの方が有名と聞いてヘンな感じがしたものだ。

 ここのカレーはミニサイズでも普通のお店のレギュラーくらいの量があるが、立ち食いのテーブルを挟んで向かい合うルカは、平然と大盛りカレー550円をぱくついている。奢ってもらうなら値段の安い方にしようという観念はロシア人にはないようだが、このくらいの値段なら朱夏も気にしない。


「ロシアの人ってカレー好きなの?」


 結構なスピードでスプーンを動かすルカに、朱夏はふと尋ねてみた。学食カレーを思わせる平和な黄色さと裏腹に、ここのカレーはなかなかの辛口なのだが。


「ううん、ゼンゼン。ロシア人はみんなスパイス苦手」


 ルカはあっけらかんと答えた。


「じゃあ、なんで?」

「ボクはスキモノだからね」

「……モノ好き、でしょ」


 律儀に訂正してやりつつ、朱夏は真っ赤な福神漬と一緒にカレーを口に運んだ。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 新潟市のシンボルの萬代橋ばんだいばしを渡り、古町ふるまちエリアへ。歩くと少し疲れる距離だが、食後の運動にはちょうどいい。

 我らが南創なんそう企画がプロデュースを手掛けたリアルお化け屋敷は、古町商店街の一角で今夜も営業中だった。


「いらっしゃぁい……あれ、ヤマギワさんじゃねっか」


 おどろおどろしい呼び込みから一転、受付の若いムジナは朱夏の顔を見て口元をほころばせてきた。ムジナという妖怪は、本気を出せば人間と寸分違わぬ姿に化けることができるはずだが、今の彼はお化け屋敷のアピールのため、わざと素のままの顔で人間の浴衣を羽織っているだけである。


「お疲れさま。ちょっと、みんなに相談があって来たんだけど……」


 朱夏が言うそばで、ルカは興味津々の目でまじまじとムジナの姿を見下ろしている。彼だって妖怪を見るのは初めてではないはずだが、それでも、妖怪が当たり前に人の中に紛れている「あやかし特区」の光景は、半年経ってもまだ物珍しいようだ。

 そんなロシア人をムジナの方もしげしげと見上げつつ、「ヤマギワさんの頼みとあれば」なんて言いながら、裏手の事務室へと案内してくれた。奥に控えている皆もすぐに出てくるという。


「どうせ皆、平日はヒマしてるっけ。今も開店休業ら」

「あらまぁ」


 確かに今は客が入っているような様子はない。本物の妖怪が出てくることをウリにしたこのお化け屋敷は、あやかし特区ならではのコンテンツとして最初は流行りもしたのだが、東京ならまだしも、この街で平日にも一般客を集めるのはやはりムリがあったようだ。


「この街でモノ好きな人はみーんな最初の一年で来ちゃって、あとは休日の観光客狙いくらいだものねえ」


 そう何度もリピートするものでもないし……と朱夏が嘆息すると、若いムジナは取り繕うように「でも、おかげさまで週末は盛況なんさ」と返してきた。


「週末はホラ、アイドルの公演のついでに寄ってくれるドルオタの人も結構いるっけ」

「あぁ、ナルホド……」


 朱夏が頷いたところで、奥からまずはカッパの兄弟と猫又ねこまたの女子が出てきた。三人とも妖怪の姿に人間の着物を纏った姿が印象的だ。顔見知りの朱夏が彼らと挨拶を交わす横で、ルカは「ほーっ」と声を出して身を乗り出していた。


「ボク、ロシアから来たルカと言いマス。妖怪文化を研究したくてこの街に来まシタ」


 アイドルに会ったファンかのようにテンション高く自己紹介する彼に、朱夏は、あれ?と首をかしげる。


「ルカ君、皆と会ったことなかったの?」

「お客サンとしてここに来たコトはあるケド、お話するのは初めてなの」

「へぇ……」


 そんな彼の来訪は妖怪達も嬉しいようで、カッパ達も猫娘も、彼らなりの愛想を尽くしてルカに挨拶を返していた。

 その様子を見守りながら、ふと腕組みして朱夏は考える。来日できなくなったルサールキの代わりのステージ、果たして彼らにお願いして上手くいくものだろうかと。


「そんで、ヤマギワさん、お話ってのは?」


 ムジナが丸い目をくりっとさせて聞いてきた。カッパ達と猫娘の同じく丸い視線も朱夏に集中する。あれこれ勿体ぶるのもアレなので、朱夏は単刀直入に切り出した。


「ゴールデンウィークの万代島ばんだいじまのイベントに、ルサールキが来れなくなっちゃって。皆の力を借りられたらなって思って」

「えっ!? ルサールキが!?」


 妖怪達の間にたちまちざわめきが広がった。彼らも彼らなりに、異国の同業者(?)の来訪を楽しみにしていたのだろうか。


「今さらイベントに穴は空けられないの。だから、妖怪の代役は妖怪が一番かなって」

「それでオレ達に?」

「そう。みんな、ライブでも何でもいいんだけど、出し物できない?」


 朱夏が言い終えると、妖怪達は、うぅむと口々に唸って顔を見合わせた。


「そうは言っても。オレらは、人を怖がらせることしか知らねえっけ……」

「ルサールキの代役なんて、恐れ多いにゃ」


 猫又の娘がなぜかビビった顔で言うのに、ムジナとカッパ達も同調したようにコクリと頷く。

 やっぱりムリがあっただろうか――と朱夏が思ったとき、ムジナが一言、こんなことを言った。


「何にせよ、おんながどう言うか次第らよな」

「濡れ女?」


 はて、と朱夏は再び首をかしげた。濡れ女といえば、この地域でよく知られる妖怪だが、そんなメンバーがこのお化け屋敷に居ただろうか?

 朱夏の勤める会社はこのお化け屋敷の立ち上げに関わりはしたが、あとは妖怪達の自主運営に任せているため、人(妖怪)の出入りを逐一把握しているわけではなかった。


「あぁ、最近入ってくれたんさ」


 こともなげにムジナが言い、カッパの兄がケロッと喉を鳴らして「パフォーマンスりょくは抜群ら」と続けた。


「へぇ、そんな頼もしい新入りさんが?」


 それは期待できるかも、と朱夏が思った、まさにそのとき。

 キイッと奥の扉が開いて、新たな影が姿を現した。

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