第2話 お化け屋敷より愛を込めて

2-1 人魚のドタキャン

「えぇっ!? 来れないんですか、ルサールキ!」


 山際やまぎわ朱夏しゅかが受話器に向かって声を裏返らせると、「すみません」と心底申し訳なさそうな男性の声が彼女の鼓膜を震わせた。


『なんでも、メンバーの身内が本国で何かやらかしたとかで、急遽ビザが下りないことになったそうでして』

「そんなぁ。こっちはもうイベント告知打っちゃってるんですよ」

『いや、本当、申し訳ありませんとしか言いようがないです』


 電話の相手がぺこぺこと頭を下げるのが見えるような気がする。この人の責任じゃないのに怒ってもしょうがないか、と何とか思いとどまって、朱夏は穏便に「わかりました。ありがとうございました」と話を終わらせた。

 新潟市のイベント会社、南創なんそう企画の小さなオフィスには今、彼女とロシア人のバイト青年の二人だけ。朱夏がそっと固定電話の受話器を戻し終えたのを見て、バイト君が心配そうに声を掛けてくる。


「朱夏サン、大丈夫? なんか、ルサールキが来られないとか聞こえたケド」

「そうなのよ。ビザが下りなくなっちゃったんだって」

Ужасウージャス! ボクも楽しみにしてたのに」


 金髪碧眼のロシア人は大げさに天を仰いだ。なお、彼の言う「ウージャス」はオーマイガーとかガッデムとかそういう意味らしく、一日三回は彼がそれを口にするので、朱夏もすっかり覚えてしまっている。


「いやいや、マジでウージャスよ、これ。社長が聞いたら慌てるだろうなぁ……」


 栗色に染めた頭を抱え、朱夏ははぁっと溜息をついた。目の前のロシア人がこの会社でバイトするようになって半年、外回りの少ない朱夏は特に彼と顔を合わせる時間が長いこともあって、何だかオーバーリアクションが感染うつってきたような気がする。


「マアマア、元気出して、朱夏サン。ハバロフスクと新潟は姉妹都市だよ。またルサールキに会えるチャンスはあるよ」

「いや、今回のイベントに来てくれなきゃ意味ないんだってば」

「ドンマイ、ドンマイ」


 和製英語を平然と使いこなしてくる白人に、朱夏は苦笑いしか返せなかった。

 一回りも歳下の青年に励まされていては世話がない……。ちなみにロシアにも干支えとはあるそうで、このルカというバイト君は朱夏とちょうど一周違いのたつ年だった。だからつまり、朱夏の年齢は……認めたくないが、18歳の彼にプラス12ということになる。

 とりあえず情報の裏取りをしようかと、Macの検索バーにロシア語で「руса́лкиルサールキ」と入力したところで、外から社用車の音が聞こえた。




「えぇっ!? 来れんの、ルサールキ!」


 朱夏の報告を受けた南雲なぐも社長は、案の定、先程の朱夏と同じかそれ以上に素っ頓狂な声を出した。


「来れないっていうか、現地でも活動自粛みたいですよ。なんか、メンバーの姉妹だかが、違法に人間をとかで」


 現地の最新ニュースの機械翻訳を流し読みして得た情報を彼女が伝えると、社長は再び「えぇぇ」と白髪の混じり始めた頭を抱えて唸った。バイトのロシア人のオーバーリアクションは、この中年男性をも侵食しつつあるらしい。


「困ったなぁ。もう告知打っちゃってるけね」

「そうですね。困りましたね」


 社長のデスクに積み上げられた新潟港開港150周年記念プロジェクトのチラシをちらりと見やり、朱夏は図らずも彼と一緒に腕組みして嘆息する。

 水都新潟にとって大きな節目となる今年は、年間を通じて市内のあちこちでイベントが企画されている。中でも、わが南創企画がやっとの思いで招致に漕ぎ着けたルサールキの訪日ライブは、ゴールデンウィークの目玉となるはずだった。

 他の催し物と合わせ、当日は地元のテレビ局の取材予定もがっつり組まれている。今になってイベントに穴を空けるようなことになっては、信用の失墜は避けられない。


「朱夏ちゃんさぁ」

「はい」

「なんとかならん?」

「なんとか、って言われても。代わりの出演者を探します?」


 と言ってはみるものの、イベントはもう来週に迫っているのだ。全国区の有名人は言わずもがな、ご当地タレントだってそんなに急にはスケジュールを押さえられないだろう。

 南雲社長もそれは当然分かっているからか、「うぅむ」と首を回して唸るだけだった。


「まあ、ちょっと、考えるしかないてば。俺はまた出んといけんから、朱夏ちゃん、ルカ君、ヨロシク」


 二人に言い残して、社長は大きなカバンに資料を詰め込み、再びバタバタとオフィスを出ていってしまった。


「ほんと忙しいネ、社長サンは」

「……まぁ、あの人のエネルギッシュさでウチは持ってるみたいだし」


 南雲社長が社内の誰より忙しく立ち回っているのは朱夏とて百も承知なので、文句を言う気はさらさらないが。

 ただでさえ、仕事一筋が過ぎて、奥さんに愛想を尽かされてしまった過去を持つというあのバツイチ社長。最近はますます忙しさに拍車がかかり、娘さんとも満足に親子の時間を持てていないと聞く。未婚の自分が口出すことではないのだろうが、社長自身も心配なら娘さんも心配だなぁというのが朱夏の正直な感想だった。

 しかし、それより、今は仕事の心配が先だ。


「ルサールキの穴を埋めれるような出演者を今から、ってねぇ……」


 ルサールキは、極東ロシアのハバロフスクを拠点に活動し、人気を博している人魚ルサールカの歌唱グループだ(ロシア語で「ルサールキ」は人魚ルサールカの複数形らしい)。あちらにも日本の「あやかし特区」と似たような制度があって、ハバロフスクは近年、妖怪を利用した町おこしに力を入れているとか。

 妖怪のいる街での仕事に憧れてわざわざ新潟に出てきた朱夏としては、海外の姉妹都市の妖怪グループを迎えるイベントなんて、計画の段階から楽しみでしかなく。それだけに、急なドタキャンでそれがお流れになってしまうのは悔やんでも悔やみきれないが……いや、今はそういう話ではなくて。

 個人的に残念とか、そういうのは置いておいて、代わりのイベントを何とかしなければならないのが自分達に降って湧いた仕事なのだ。


「ダイジョーブだよ、朱夏サン。ここはあやかし特区でしょ。代わりのオバケはいっぱいいるって」

「……そりゃあ、居るには居るけど、ねぇ」


 バイト君のあっけらかんとした楽天ぶりが、羨ましいやら恨めしいやらだった。

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