1-4 座敷わらしの家庭訪問

南雲なぐもさん」


 午後6時過ぎ、部活の終わる頃合いを見計らって、妙恵たえは南雲ミカを校門で呼び止めた。同じ吹奏楽部の友達数人と校門を出ようとしていたミカは、一瞬目を丸くしてから、「なんですか」と例の大人びた空気で妙恵を見上げてきた。

 他の子達にも目で「ごめんね」と伝えつつ、妙恵は努めて優しく彼女の目を見下ろす。


「今日は塾ないでしょ? 先生、南雲さんちに行ってもいいかな」

「えっ……。今からですか?」

「うん。家庭訪問しちゃおうかなって」


 たちまち、赤い眼鏡越しのミカの目が、怪訝けげんそうな色に変わった。


「今日はまだ無理ですよ。お父さん、明後日まで東京に行ってるんです」

「ううん、お父さんじゃなくてね?」


 他の生徒の手前、妙恵は声をひそめて、彼女にしか聞こえない程度の声量で言った。


に、会いに行きたいの」

「え……?」


 ツンと澄ましていたミカの顔に、瞬間、かすかな驚愕と恐怖の色が差した。

 南雲ミカは勘のいい子だ。何の話かはすぐに勘付いたのだろう。


「まさか……ウチに……?」


 妙恵と目を合わせたまま、小さく声を震わせるミカ。そんな彼女の様子を察したのか、友人達は口々に「また明日ね」などと彼女に言い、妙恵にもぺこりと頭を下げて校門を出ていった。

 友達に小さく手を振り返しながらも、ミカは顔を強張こわばらせ、じっと妙恵を見つめてくる。この分だと、座敷わらしが自分の家に居るなどとは思ってもいなかったのだろう。

 もっとも、そのこと自体、妙恵が笠井かさいとの話を通じて思い描いた一つの仮説に過ぎないのだが……。


「ひょっとしたら、って思っただけ。座敷わらしの来た家がどうなるか、南雲さんも知ってるんでしょ?」

「……そんな、怖いこと言わないでくださいよ」


 流石にこの街の優等生だけあって、ミカの脳裏には、妙恵の描いた仮説が即座に共有されたらしかった。

 南雲家の繁栄の裏に座敷わらしの恩恵あり説、とでも名付けるか――。


「仮説は検証しなきゃいけないわ」


 妙恵が理系教員らしくそう呟くと、教え子のつぶらな瞳が、ぱちりと見開かれた。


「そう……ですね。何も分からないままより、一つでも事実が明らかになった方がいいと思います」


 妙恵の何気ない一言は、彼女にも響く部分があったらしい。ミカはこくりと小さく妙恵に頷き、妙恵を先導するように歩き出した。

 彼女の自宅へは徒歩で十五分ほど。自転車通学をするほどの距離でもない。もちろん、妙恵は日中の内にネットの地図を見て、道筋を頭に入れてあった。


「でも、先生ちょっと安心しちゃった」


 沈む夕陽を背に、信濃川のほとりを歩く道すがら、妙恵は自然と口元をほころばせて言った。


「何がですか?」

「南雲さんも、妖怪を怖がる普通の子なんだなって思って」


 隣を行く教え子は、恥ずかしさを隠すように、「別に……」と苦笑いを返してきた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 事前にストリートビューで見た通り、南雲家は大通りから一本入った道沿いに建つ、ごく一般的で現代的な一軒家だった。この地方都市の水準からすると特別大きくもない家だが、駐車スペースに停められた真新しい純白のクラウンが、ここ数年で一気に金回りの良くなった父親の事情をわかりやすく裏付けていた。


「お邪魔します」


 ミカに招き入れられ、妙恵は玄関に足を踏み入れる。どうぞ、と彼女が言うので、そのまま靴を脱いで家の中に上がった。

 この家には父親とミカの二人暮らしだという。父方の祖父母は新潟市から少し離れた別の町に住んでいるとのことで、恐らくこの家はミカの父親が結婚と同時期に新築したものなのだろうと推察された。母親が出ていき、父親も社長業で留守にすることが多くなったこの家で、一人っ子のミカが毎晩どんな寂しさを抱えて眠りに就いているのかも。


「とりあえず、リビングはこっちですけど……」


 来客用のスリッパを履き、妙恵は教え子の華奢な背中を追って廊下を歩いた。

 リビングに置かれたソファやテレビは高価そうだったが、かつては親子三人の笑い声があったのかもしれないその空間は、今はしぃんと寂しく静まり返っていた。


「……居ないね、座敷わらし」

「そりゃ、リビングには居ないですよ」


 ミカはドライなツッコミの調子を作ろうとしているようだったが、その声色にはどこかホッとした空気が混ざっていた。リビングに入った瞬間、おかっぱ頭の日本人形みたいな子が立っていたらどうしよう……なんて、彼女も考えていたのだろうか。

 怖い雰囲気を紛らすかのように、ミカはリモコンを取り上げてテレビの電源を入れていた。地域のテレビ局の看板アナウンサーが、新潟港の開港150周年記念式典の準備に関するニュースを明るい声で読み上げていた。


「南雲さん、この家で座敷わらしが居そうな部屋ってどこかな」

「……そんなの、わたしも考えたことないですし……」


 妙恵とミカはしばし顔を見合わせた。妙恵が漠然と思っていた「座敷わらし」は、古い旅館の奥座敷かどこかに居るイメージだったが、この現代的な作りの家にそもそも座敷わらしが棲み着けるスペースなんてあるのだろうか。

 いや、しかし、妙恵のアパートにさえ夜な夜な変な音を鳴らす何かが出るほどだから、この街では普通の家でも座敷わらしの一人や二人くらい……?


「……強いて言うなら、お母さんの部屋?」


 ミカは自信なさげに言った。


「お母さんの?」

「ええ……だって、座敷わらしが居るとしたら、わたしやお父さんに見つからないで隠れてるってことですよね。お母さんが使ってた部屋は、たまにお掃除で出入りするくらいですから……」

「さすが賢い。じゃあ、行ってみましょ」


 妙恵が促すと、ミカも覚悟を決めた様子で、スクールバッグをリビングの床にそっと下ろし、再び廊下へと妙恵をいざなった。

 そのまま二階へと続く階段を上がる。体操ズボンで防御をしていないのか、スカートの中身がちらちら見えてしまうのが同性ながら申し訳なくて、妙恵は目を伏せたまま彼女を追った。

 二階には父親の部屋とミカの部屋、そして今は空室となった母親の部屋があるようだった。引き戸の前に立ち、ミカが眼鏡越しに緊張の面持ちで妙恵を振り返ってくる。


「……開けますよ」

「うん。大丈夫、先生が付いてるから」


 付いているから何ができるわけでもないが、妙恵は自分自身の恐怖を隠してそう言った。ミカがごくりと息を呑み、扉に手をかける。

 からりと開いた扉の向こう、なぜか室内は既に電気が点いていた。使う者のいなくなった鏡台のチェアに、果たして、の小さな背中はあった。

 ミカと同じ中学校の制服姿。イメージ通り日本人形を思わせるおかっぱ頭――。


「っ……!」


 ミカがびくっと身体を震わせ、妙恵の腕に組み付いてくる。妙恵自身も驚きに身を強張こわばらせた。だけど、なぜか、アパートの自室で謎の音を聞いた時のような、ぞくりとした寒気は襲ってこなかった。

 ふわり、とでも擬音を付けたくなる柔らかな動作で、はゆったりとこちらに振り向いてきた。その顔を見た瞬間に妙恵が感じたものは、妖怪を目の前にした恐怖ではなく、春の風がほおを撫ぜたような暖かさだった。


「……くす」


 その子が――座敷わらしが二人に向かってそっと微笑む。くりくりとした黒い瞳には人間と同じ光が宿り、血色のよさそうな唇はあどけない楽しさにほころんで見えた。


「やっと見つけてくれた。はじめまして、ミカちゃん、羽切先生」


 彼女の発したその声もまた、得体のしれない妖怪の怖さではなく、ころころと鳴る鈴のような明るさに弾んでいた。

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