1-3 南雲ミカという生徒

「29……30……31。はい、今日も見えないお友達含めて31人」


 妙恵たえが諦めたように言うと、教室のあちこちから無邪気な笑い声が上がった。


「やっと数え直すの諦めたんさ」

「センセー、ちっとはこの街に慣れてきた?」


 どこか彼女を歓迎するような生徒達の声。妙恵は教卓に両手をつき、いやいやと小さく首を振る。


「慣れてないわよ。やっぱりおかしいって、こんなの」


 生徒達や他の教員の言う通り、この街ではよくあることと割り切ってスルーした方がいいのはわかっているが、それでも完全に受け入れたフリはまだ出来なかった。

 おかしいことはおかしいと口にせずにはいられない――この性分がなければ自分ももっと器用に人生を歩めていたのだろうか、なんて、生徒達のクスクス笑いの中で一瞬黄昏たそがれれてみたりもする。


「ねえ、座敷わらしさん。名乗り出てくれてもいいのよ。悪いようにはしないから」


 教室の31人をぐるっと見回してダメ元で言ってみるが、返ってくるのは生徒達の苦笑いばかりだった。


「東京の人は妖怪ってモノを分かってないっけ」

「放っとくしかないんらって。自然現象みたいなもんさ」


 あの子もあの子も確かに知った顔のはずだが、ひょっとしたら、こうして自分と言葉を交わしている中の誰かが座敷わらしなのかもしれない。

 その子はどういう気持ちで皆を化かしているのだろう。「座敷わらしなんか放っとけ」なんて言われて寂しくないんだろうか、と妙恵が思ったとき、最前列の女子がすっと小さく手を挙げた。


「先生。もういいですから、担任の仕事を全うしてください」


 赤フレームの眼鏡越しに、中学生ながらキラリと鋭い目が妙恵を見据えてくる。この2年3組の学級委員を務める南雲なぐもミカだった。どこのクラスにも大抵一人はいる、ツンと澄ました空気を作って「周りのお子様達とは違う私」を目いっぱい気取っているタイプの子だ。


「そうね。ハイ、じゃあ、ホームルーム始めます」


 ミカの言葉がいい切っ掛けになった。いつものように一旦気持ちを切り替えて妙恵が言うと、恐らくは問題の座敷わらし当人も含め、全員がすぐさまホームルームの空気になってくれた。




 その後、授業の前に様子を見計らって、妙恵は南雲ミカを廊下でそっと呼び止めた。ホームルームでの発言のこととは関係なく、彼女には確認しておかねばならない要件があった。


「なんですか?」


 平均的な身長に細身の体型、きっちり角度の整った前髪。ブレザーのボタンをぴったり留め、胸元のリボンの角度までも抜かりなく揃えた彼女が、どこか試すような目で妙恵を見上げてきた。

 むろん、羽切妙恵とて昨日今日教師になったような新米ではない。中学生の背伸びに逐一感情を乱すほど子供のつもりはなかった。


「家庭訪問のこと。お父さん、ご都合つきそうかなと思って」


 責める調子に聞こえないように、妙恵は柔らかめに言った。ミカは一瞬に落ちた顔になってから、しかし小さく首を横に振り、改めてツンとした声色を作ってきた。


「来なくていいって言ったじゃないですか。会わなくていいですよ、お父さんなんて」

「そういうワケに行かないわよ。担任なんだから」

「今時、家庭訪問自体を廃止する学校も増えてるってネットで見ましたよ。別にいいじゃないですか、ウチ一軒くらい飛ばしても」


 彼女もこの街の生まれのはずだが、無理してクールに標準語を喋っているようなこの感じ。こういう子には「大人の事情」を前面に出した方が上手くいくんだよな、と考えて、妙恵は言葉を選んだ。


「しょうがないでしょ、この学校では全員に家庭訪問することになってるんだから。これも決まりだと思って、南雲さんも協力してよ」

「……」


 案の定、ミカはそれ以上言い返してくることはなかった。子供のようにイヤイヤを繰り返す自分より、「大人の事情を理解して汲んであげられる私」を見せたいのだろう。


「先生の事情はわかりますけど、でも、お父さん、本当にいつ時間が作れるか分からない感じなんです」


 眼鏡越しの目が少しだけ「話せる」感じになった。ここまでくれば、あとの問題はスケジュール調整だけだ。

 ミカの両親は離婚済と前担任から聞いている。父親はこの街で小さな会社を経営していたが、ここ数年で急激に事業規模が拡大し、金回りが良くなるかわりに娘と過ごす時間はほとんど持てなくなっているとか。

 今のご時世、片親の世帯も、急な成金も、珍しい話でも何でもない。東京にはいくらでもいた。この街では多少特殊かもしれない南雲ミカの事情も、妙恵にとっては良くも悪くも聞き慣れた話でしかなかった。


「夜遅くでも土日でも、ご在宅の時に合わせるから、お父さんにお願いしてみてくれない?」

「……言ってはみます。でも、お父さんとなんか会ったって、あんまり話すことないと思いますよ」

「んー、そこはね、南雲さんの優等生ぶりをしっかりお伝えするわよ」


 軽口のつもりで言うと、ミカは口元に苦笑いを浮かべた。


「ウチなんかより、座敷わらしの子の家庭訪問でもしてあげたらどうですか」

「出来たらいいけど、どこの家の子か分からないからねえ」


 妙恵が苦笑を返したところで予鈴よれいが鳴った。「呼び止めてゴメンね」と妙恵が断ると、ミカはいかにも彼女らしく「いえ」と手短に返してきた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「……あとは南雲さんのところだけ、と」


 家庭訪問の日程のエクセルを埋め、ノートパソコンから目を離して妙恵がふうっと一息つくと、例によって向かいの席に陣取る笠井かさいが「座敷わらしの子の日程は決めたんですか」と冗談を飛ばしてきた。


「笠井先生、南雲さんとジョークのセンスが一緒ですね」

「ほう? それはなかなか光栄です」


 漂白したように白い歯を見せてニカッと笑い、彼は続ける。


「まあ、でも、ちょうどいいじゃないですか。家庭訪問でどこの家の子か見つけちゃえばいいですよ。いや、必ずしも生徒の誰かの家にいるとは限りませんけどね」

「はぁ。確かに、座敷わらしがどこの子か確認できたら、わたしもちょっとは気が楽になるかもしれないですけど……」


 どこまで冗談か判別が難しい笠井の提言を、妙恵はとりあえず律儀に脳内でシミュレートしていた。

 座敷わらしは家に憑く妖怪だそうだから、学校に来ていない時間は当然どこかの家に帰っているのだろう。このクラスに混ざって登校してくるくらいだから、クラスの誰かの家に憑いていると考えてもおかしくはなさそうだ。

 だけど、どこの家にいるかも分からないのに、全員の家で座敷わらしを探し回るようなマネができるはずもない。ただでさえ学校と家庭の関係が疎遠になり、家庭訪問も玄関先で済まさざるを得ないことも多いご時世に……。

 すると、そんな妙恵の思考を読んだように、笠井が言った。


「なに、アタリの付け方ならありますよ」

「え?」


 妙恵がぱちりと目をしばたかせるのと、彼が学者眼鏡を指で押し上げるのは同時だった。


「ご存知ないですか。座敷わらしが住み着いた家はね、一気に裕福になるんです。つまり、逆算すれば」

「最近お金持ちになった家、ってことに……?」


 ご名答、とばかりに笠井は頷く。

 瞬間、妙恵はハッと閃いた。

 この学校は私立なので、裕福な家庭の子が多いことは多い。だが、ここ最近で一気に金回りが良くなった家といえば、妙恵のクラスでは一軒しか思い当たらなかった。


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