第14話 出現!謎のクラブシザーズ

 フードを取り去り素顔を晒したのは、銀色の髪をオールバックにした、極端なほど細身の男だった。

 ドラゴンの子供を強化鎧装の腕に抱き、俺はその男の姿を見やる。糸のように細い目が、揺らめく炎のように不気味に光り、俺達を見据えている。


「私にそんな口の利き方をするとは。偉くなったものだな、チェレーシニァ」


 男がマッド女の名を呼んだ瞬間、二人の間の空気がびりっとしびれるのが見えるようだった。


「あぁ。おかげさまで、わたしが主任になってから生物研究室のレベルはぐんと上がったよ」

「くっくっ、お前如きが指導者とは、よほど人手不足が深刻と見える。それともお前、そこの間抜け王子と寝でもしたか」


 王子にちらりと目をやり、男がくくっと口元を歪める。マッド女の細い眉がぴくりと動いた。


「……ふっふ、確かにわたしは奔放な女だよぉ。だが、殿下への侮辱は許さん!」


 声を張り上げるやいなや、彼女はざっと一歩前に飛び出し、杖からまばゆい桜色の閃光を放っていた。目もくらむような魔力の光が敵めがけてほとばしり、拡散する波動が天地を彼女の色に染める。

 だが、ばりばりと魔力のぜる音の激しく響く中、俺が目を上げると――


(あの男……杖も持たずに……!?)


 敵は空手からての左腕を無造作に前に突き出し、マッド女の魔力の奔流を弾いていた。


「なにっ!?」

《《下がれ、フェーヤ!》》


 目を見開く彼女を押しのけて、王子が飛び出す。


《《〈白日火砲ツェンソーレビ・イゴア〉!》》


 その背後に太陽のオーラがきらめき、力強く振り出した彼の杖から灼熱の奔流が敵に襲いかかるが――


「くくっ。主席魔導師がその程度か」


 男は左腕でその炎を難なく弾き、右手の杖を素早く振り出していた。


「危ないっ!」


 咄嗟に危機を察し、俺はドラゴンを抱いたまま地面を蹴る。王子達の背丈を飛び越え、敵に背中を向ける形で俺が二人の前に滑り込んだとき、間一髪、敵の繰り出した紫の巨大な光弾が俺の背中に弾かれ消えていた。

 マッド女の差し出す両手にドラゴンを委ね、俺が体ごと振り返って仮面マスク越しに敵を睨むと、敵は杖を持ったままぱちぱちと拍手して言った。


「素晴らしい。聞きしに勝る性能だな、リザードマスク」

「! 俺を知ってるのか!?」

「無論だとも。貴様の噂は第三新ノヴィ・トリーチラグナグラートにも届いている。異界からの使者、不死身の怪人……北の腑抜けどもが雇った無敵の用心棒だとな」

「……」


 俺のことをそう呼びながらも、その男は少しも俺を恐れる気配もなく、不気味な眼光を俺に向け続けていた。

 背後のマッド女の腕の中で、小さなドラゴンがクゥゥと不安げに鳴く。


「お前が……このドラゴンを狙ったのか?」


 俺が問うと、敵はにやりと笑って「そうだ」と勿体ぶらず答えた。


「ニーチレカに秘匿していた研究施設は焼き尽くされてしまったがね……。親ドラゴンを片付けた今、我々に恐れるものはない。さあ、そのドラゴンを寄越せ」


 ゆらりと手を伸ばしてくる男から視線をそらし、俺はちらりと後ろを振り返る。赤いウロコに覆われた親ドラゴンのむくろは、今や数メートルほどの大きさまでしぼみ、ミイラのように干からびてしまっていた。

 ニーチレカの焼け野原に積み重なった人間の死骸の記憶が。生き残った老人の悲痛な叫びの記憶が、俺の心をざわざわと侵食してくる。


「お前達がこのドラゴンをさらったせいで、親のドラゴンが怒って沢山の人が死んだ! 何とも思わないのか!?」


 怒りに震える俺の言葉にも、銀髪の男は顔色一つ変えなかった。


「悪の組織の改造人間である貴様が、随分と聖人ぶったことを言うじゃないか。……何とも思わないということはないさ。強く感慨を噛み締めたとも。一夜にして町を焦土に変える火焔竜フレイムドラゴンの力……是非とも我らの兵器にしたいとな!」


 くっくっと笑う敵の声に、俺は自分の中で何かがカッと焼き切れるのを感じた。

 生身の人間とは戦いたくないと思っていたが――


「お前だけは……お前だけは許せない!」


 気付いた時には、俺は拳を握り締め、敵めがけて駆け出していた。

 大地を蹴って跳ねる身体が疾風を纏う。相手が人間でも容赦はできない。


「リザード・キィィック!!」


 噴き上がる怒りの血潮に身を委ね、俺は、敵の張った魔法のバリアを必殺の飛び蹴りで貫くが――


「無駄だ!」


 確かにバリアを貫いたはずの俺のキックは、次の瞬間、敵の振り出す左腕に受け止められていた。


「何っ!?」


 足裏に伝わる硬い衝撃。次の一瞬で俺は弾き飛ばされ、全身を地面に叩きつけられる。

 咄嗟に身体を起こして俺は敵を仰いだ。今のは、一体……!?


「ククク……の力を得た者が、貴様だけだと思うな」

「なっ――」


 ぞくりと悪寒が走る。なぜ、コイツがその言葉を――!?


(! コイツ、さっきも――)


 この男はさっきも俺を「」と呼んだ。そのことは、ごく一部の味方しか知らないはずなのに。

 仮面の中で目を見開く俺に向かって、男が左腕を突き出し、くいくいと挑発的に手招きしてくる。その腕は、確かに生身の人間の腕に見えるが――


「……くっ!」


 俺は跳ね起きて駆け出し、跳躍と同時に拳を振りかぶった。


「リザード・パァンチ!」


 俺の拳が敵に届く、その寸前――


「フゥン!」


 敵の左腕が鋭く風を切り、俺は胴体に重たい衝撃を食らって吹っ飛ばされていた。


「ぐあっ!」


 仰向けに地面に叩きつけられ、土煙の中で上体を起こした俺が見たものは――


「人間じゃない……!」


 男が誇らしげに振り上げた、巨大なかにはさみのような左腕だった。


「くっくっ、何を珍しがることがある? 貴様の世界には、が掃いて捨てるほど居たのだろう」

「お前、改造人間なのか!? でも……!」


 そんなワケがない、と俺は無意識に首を横に振っていた。

 この男は王子やマッド女達の古い知り合い、つまりこの世界で生まれ育った人間のはずだ。この世界に彼を改造人間にする技術があるはずがない。

 だが……現に俺の必殺キックを弾き、俺の身体を弾き飛ばした、あの左腕は一体……?


「ククク……貴様が蜥蜴仮面リザードマスクなら、私のことは蟹の鋏クラブシザーズとでも呼んでもらおうか」

「クラブ……シザーズ……!」


 戦慄に声を震わせる俺の眼前で、男はすっと王子達に目をやり、白マントの魔導師達に命じていた。


「ドラゴンを奪え」

《《そうはさせん!》》


 王子が杖を突き出し敵を牽制する。俺は三たび跳び起きて、敵どもと王子達の間に割って入ろうとした。だが、行く手に立ち塞がった銀髪の男のはさみが、かわす間もなく、がしりと俺の胴体を捕らえて持ち上げていた。


「ぐっ!」

「ククク……に過ぎぬ貴様のウロコが、私の鋏にどこまで耐えられるかな」

「っ……! お前、なんでその名前まで知って……!」


 ぎりぎりと身体を締め付けてくる鋏の圧力に、俺は必死に身をよじる。

 正義の味方を名乗って魔物を倒し続ける中で、俺は束の間忘れていたのかもしれない。あらゆる魔法を弾き返すこの無敵の身体も、同じ改造人間と並べられれば、ただのザコ怪人に過ぎないことを――


「くぅ……っ!」


 みしみしと音を立てて、鋏が強化鎧装に食い込んでくる。俺は敵の肩越しに王子達の姿を見た。せめて、あの子供ドラゴンだけでも、無事に逃げてくれれば――。

 いつしか味方の魔導師達も二人に合流し、敵味方入り乱れての混戦になっていた。ドラゴンを抱いたまま戦うマッド女に、王子が生身の声を張り上げる。


「フェーヤ、ドラゴンに魔力供給を!」

「カンタンに言ってくれますよねぇ!」


 彼女は口を尖らせながらも、王子の放つ光のバリアの中で、子ドラゴンをぽんと宙に放り上げて杖を向けていた。


「チェリたんハートで大きくなぁれ! 魔力開放、〈最・高・最・愛シィチール・チスノザヤーヴリプ〉!!」


 妙に気合の入った――というか、明らかに他の魔法とは違う勢いで、彼女が声を張り上げる。両手で握ったその杖から真紅の魔力が血のように噴き出し、子ドラゴンの身体へと流し込まれていく。


「クォォ……キシャオオォォッ!!」


 刹那、真紅の炎がぜ、ドラゴンは再び人の背丈を上回る大きさに巨大化していた。


「何だと!」


 俺を鋏で掴んだまま、銀髪の男がドラゴンを振り仰ぐ。ドラゴンは丸い目をぎらりと怒りに細め、間髪入れず敵の魔導師達に向かって灼熱の炎を浴びせかけていた。

 蜘蛛の子を散らすように敵どもが逃げる。こちらに首を向けたドラゴンが、大きく息を吸い込む。


「くっ、まずい……!」


 男の呟く声がしたかと思うと、俺は鋏の圧力から開放され、どさりと地面に叩き落とされていた。次の瞬間、ドラゴンの灼熱の吐息ブレスがごぉっと一帯を包み込む。

 男はギリギリで跳び退いて難を逃れていた。鋏の食い込んだ痛みで立ち上がれない俺の身体を、魔力の炎が素通りしていく。


「また会おう、リザードマスク」


 ワイバーンの翼が空にはためき、男は飛び去っていた。追って飛ぼうとしたドラゴンが空中で失速し、またもしゅるしゅると30センチほどの大きさに縮んで、悔しそうにクゥゥと鳴きながら俺のそばに降りてきた。

 味方の魔導師の何人かがワイバーンで敵を追おうとするのを、王子が「深追いするな」と止めている。


「く……うっ」


 俺は仰向けに転がり、怪人態への変身を解除した。久しぶりの素顔を生ぬるい風が撫ぜる。

 痛みに身悶える俺の顔を、小さなドラゴンがちろりと熱い舌で舐めてきた。


「トカゲ」


 王子が俺の傍らに歩み寄ってくる。彼は、ぐったりと項垂うなだれるマッド女に肩を貸していた。


「よく戦った」


 彼の言葉に合わせるように、マッド女が「いぇい」と力なく笑って、小さく手を挙げてピースサインを向けてくる。

 ドラゴンにほんの僅かな間全力を出させるために、彼女は全ての魔力を放出してくれたのか……。


「……すみません、フェーヤさん」

「なんで、キミが謝る……。巻き込んでるのは、わたし達の方だ……」


 それきり彼女は気を失った。他の魔導師が王子に代わって彼女の身体を抱きかかえ、ワイバーンの背に乗せている。

 子ドラゴンは俺のそばを離れ、干からびた親のむくろに寄り添っていた。クォォ、クォォと鳴く切ない声が、焼け焦げた大地にいつまでも木霊こだましていた。


「……クソッ」


 俺は生身に擬態した拳で小さく地面を叩いた。子ドラゴンを奪還し、敵を退けたとはいえ、決して勝利とは呼べない幕切れだった。

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