第8話 出撃!マッド女のエスコート

 パルス王子の勢いに引っ張られ、俺は結局、言われるがまま彼の後を追うことになった。付いて来いと言われて素直に付いていくのも、我ながら悪の組織の怪人としてどうかと思うのだけど、断ることができない空気だったのも確かだった。

 オレーシャを応接間に置き去りにしてしまうのが色々な意味で心配だったが、まあ、あのポリーナ姫と一緒なら多分大丈夫だろう……。


「あの、パルス様? 姫様は一緒に来ないんですか」


 城内の廊下を彼に付いて歩くさなか、無言では間が持たない気がして俺が聞いてみると、彼は振り向きもしないまま魔法の声で答えてきた。


《《私と妹が陣を共にすることはない。二人同時に戦死してしまっては王位を継ぐ者が居なくなるからな》》

「はぁ、ナルホド……。じゃあ、他に兄弟は居ないんですか」

《《かつては居たが、今は居ない。……こっちだ、トカゲ》》


 水路を跨ぐ渡り廊下を通って、俺達は王宮の隣の建物へと足を踏み入れた。吹き抜けの回廊が何重にも連なった広い空間だった。

 王子が先程持っていた透明の球体を大きくしたようなものが廊下のあちこちに並び、そのいずれもが赤く光ってフォオ、フォオと風鳴りのような音を発している。そして、王子と同じ漆黒のマントを纏った男達や女達が、回廊をせわしなく行き来している。


「殿下、出撃準備は整っております! そちらは?」

「客ふぃんだ。戦いにひゅれて行く」

「はっ」


 王子と他の人達の中にぽつんと混ざって、俺はエスカレーターのように動く回廊を上がり、建物の最上階らしき場所へと辿り着いた。その間、周囲の誰もが怪訝けげんそうな目を俺に向けてきたが、王子の手前、あからさまに俺に攻撃的な態度を見せてくる者はいなかった。

 王子の後について、風の吹きすさぶ屋上へ出る。そこには、


「わっ。ドラゴン……!?」


 小型の恐竜にコウモリの翼を生やしたような姿の、全長5メートルほどの黄土色の生き物が、整然と並んで繋がれていたのだ。


《《ドラゴンではない、小型レッサーワイバーンだ。並の者には乗りこなせんが、貴様なら平気だろう》》

「? それってどういう……」


 俺が首をかしげたところで、屋上で出撃準備をしていた一人がぱたぱたと王子の側に駆け寄ってきた。皆と同じ漆黒のマントで足元までを隠した、細身で小柄な若い女だった。こっちの世界にそういう言い方があるのかは知らないが、艶のある黒髪をツインテールの形にくくっている。

 その彼女がぴしりと俺を指差し、王子に向かって言っていた。


「このヒトの案内、チェリたんにヤラせてくださいよぉ。興味ビンビンですよぉ、わたしぃ」


 目をキラキラとさせて、王子と俺を交互に見てくる彼女。……なんかヤバイ人かも、と俺は本能で察して小さく後ずさった。


「うむ、ひょうだな。お前に任ふぇる」

「わぁい!」


 せめて普通の人のアテンドを付けて欲しいという俺の祈りも虚しく、王子はその変な女の申し出を容易く聞き入れると、さっさとレッサーワイバーンとやらにまたがってしまった。

 他の人達も俺をスルーして次々とワイバーンに騎乗していく。俺の近くのワイバーンが、きょろり、と丸い目を俺に向けてきた、そのとき。


「聞いたよぉ! キミ、異世界から来た改造人間なんだって!?」


 俺のアテンダントになってしまった変な女が、ずいっと身を乗り出して言ってきた。サクランボか何かを思わせる真っ赤な瞳が、くりくりと興味津々の色をして俺を見上げてくる。


「え……。なんでもう知ってるんですか」

「ひひひっ、チェリたんは地獄耳だからねーぇ。解剖したいねぇ、キミの身体!」

「か、解剖ぉ!?」


 ジャアッカーより恐ろしいことを言う女だ。後ずさる俺の手首をぱしっと掴んでぶんぶん振り、彼女は続ける。


「王立魔導院生物研究室主任、フェーヤ・チェレーシニァだよぉ。よろしくぅ、トカゲくん」

「はぁ。……あの、いいんですか、もう皆飛んでいってますけど」


 王子をはじめ、他の皆は次々とワイバーンの背に乗って屋上から飛び立っていた。青空に隊列を組む薄い翼が、日差しを受けて黄金こがね色に煌めいていた。


「だいじょぉぶ、だいじょぉぶ。ちゃんと追いつくから。チェリたんの魔力はねー、なぁんと、パルス殿下とポリーナ王女に次ぐレベルなぁのだ! はぁい、早く後ろに乗るー」

「はぁ……」


 彼女が手にした杖でワイバーンの背中を軽く撫ぜると、今の今まで一人乗りだったくらが一瞬で二人乗りのものに変わっていた。魔法って何でもアリだな、と目をぱちくりさせながら、俺は彼女の後ろにまたがる。


「オーケイ、行くよぉ! わたしの腰にしっかり掴まって!」

「えっ、こ、腰に!?」

「ビクビクするんじゃなぁい、童貞野郎ぉ」

「どこでそれ聞いてたんだよ!」


 俺が渋々ながら彼女の腰に手を回すやいなや、ぐわりとワイバーンの翼が空気を叩き、俺達は鋭く風を切って空へと舞い上がった。心臓が飛び出るような強烈な浮遊感とともに、彼女の細く柔らかい腹に俺の手が食い込む。漆黒のツインテールがぶわりと風に膨らんで、柑橘系の甘い匂いが俺の人工嗅覚をくすぐった。


《《トカゲくん! 改造人間にも異性への欲求ってあるのかぁい》》


 パルス王子と同じように意識に直接声を叩き込んでくる。そうしなければ聞こえないくらい、風を割いて飛ぶ轟音は凄まじかった。


「し、知りませんよぉ!」


 ぐんぐんと速度を増すワイバーンの鞍上あんじょうで、俺が必死に答えると、彼女はじかに振り返って俺と目を合わせてきた。


《《戻ったらぜひベッドインしようじゃないかぁ、トカゲくん! ひひひっ、君を手術台に寝かせて、わたしが切り刻むんだけどね!》》

「カンベンしてくださぁい!」


 そうこうしている内に、彼女の操るワイバーンはあっという間に仲間との距離を詰め、隊列の最後尾に合流していた。仲間の速度に合わせて緩やかにワイバーンを減速させ、ふふん、と彼女は胸を張る。


《《見なさぁい。一瞬で追いついたでしょぉ》》

「そ、そうですね……。なんですか、魔力が強いとワイバーンを速く飛ばせるんですか」

《《うーん、その理解はちょぉっと違うねぇ。いいかぁい、トカゲくん。このレッサーワイバーンのような魔法生物は、物理法則を超えた挙動を発揮する際、その身体から膨大な魔力を放出する》》

「なんか急に話が難しくなってきたな……」


 ポリーナ姫といい、このチェリたんとかいう女といい、可愛い女の子のような見た目をして当たり前に難しい話を始めるからビビってしまう。オレーシャの天然不思議ちゃんな空気が恋しいなあ、とふと思ったところで、あの子もあの子で難しい話をサクッと理解してマイペースに要約していたのを思い出した。

 ひょっとして、この世界の人達って、みんな俺よりずっと頭がいいんじゃ……?


《《竜族が空を飛ぶのは当たり前と、素人さんは思っているみたいだぁけど……しかぁし、この子達の体重を飛ばすほどの浮力と揚力ようりょくがねぇ、こんな薄い翼で得られるはずがないんだよ。じゃあどうやって飛んでいるかぁ? モチロン魔力で飛んでるに決まってるじゃなぁいか。スゴイよねぇ》》

「はぁ」

《《そぉんなこの子達に乗って飛ぼうと思えば、この子達の発する魔力に耐えられるだけの力が必要なぁのです。並の魔力の持ち主ではぁ、この子達の魔力に耐えられず振り落とされてしまうー。つまりぃ、それなりに腕利きの魔導師でなければぁ、ワイバーンライダーにはなれないってことだねー》》

「へぇ。……あれ、でも、じゃあなんで俺は無事なんですか」

《《そこだよ、キミィ!》》


 ほとんどひたいと額がぶつかるような勢いで、彼女はぐんと俺に顔を近づけてきた。


《《キミの身体は魔法を受け付けないそぉじゃないか。つまりぃ、魔法生物の膨大な魔力をキミは受け流せる。こんな小さい子どころかぁ、ひょっとしてキミならぁ、巨大なドラゴンだって乗りこなせるかもしれなぁい!」


 彼女の言葉は、途中から脳内への呼びかけではなく直接の叫びに変わっていた。前を見もしないまま起用にワイバーンを操り、彼女は赤い目をキラキラとさせて俺に言ってくる。


「キミの身体はそのくらい我々の常識を超えているんだ。いやぁ、研究したい! 解剖したい! ねぇキミ、童貞ならわたしが筆下ろししてあげてもいいからぁ、それと引き換えにぜひキミの身体にメスを入れさせてくれませんかぁ!?」

「イヤですよ! ジャアッカー以上にマッドだなアンタ!」


 筆下ろし云々にドキッとする合間すらなく、俺は思いっきり身を引いて突っ込みを入れていた。こんなのを研究室の主任にしているなんて、あの滑舌王子、人を見る目は大丈夫なのか……?


《《お前達、おふざけはそのくらいにしておけよ。もうヴィーシニァ上空だ》》


 先頭を行くその王子が意識に呼びかけてきた。マッド女は「はぁい」と答えて、やっと前を向いた姿勢に戻る。


《《吐くなよ、トカゲくん!》》


 彼女の言葉に続いて、ぎゅん、とジェットコースターの何倍もの勢いで俺の身体は急降下した。心臓を空中に置いていかれるような強烈な感覚が身体を襲い、俺は思わず口元を押さえた。

 降下するワイバーンの背中越しに、小さな町の光景が見える。俺の人工眼球が捉えたのは、炎を上げる家々と、必死の形相で逃げ惑う人達、そしてそれを悠然と追い回す、二足歩行の醜悪な怪物どもの姿だった。


「何あれ!?」

《《ゴブリン。研究対象にもならない醜い魔物だよぉ》》


 彼女がご丁寧に解説してくれる頃には、仲間の魔導師達はワイバーンの鞍上で一斉に杖を構え、臨戦態勢に入っていた。

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