第6話 なぜ!?王子の怒り

 あれよあれよという間に、俺とオレーシャはそれぞれ別の男の馬の後ろに乗せられ、王宮へ連れて行かれることになった。オレーシャの父親には一言断ってきたのだが、彼は「ポリーナ姫が安全を保証して下さるのなら」と意外とすんなり納得し、オレーシャに「日が暮れるまでに戻るんだよ」とズレた言いつけをするだけだった。

 そのオレーシャは、馬の上からちらちらと俺を見ては、栗色のボブヘアーを揺らして「お城初めてなんだ」「楽しみだね」なんて言ってくる始末。危機感とか、心細さとか、そういう概念が希薄なのは親譲りなんだろうか……と、俺は無言で頭を抱えるばかりだった。


 オレーシャの小さな町を抜けた馬の列は、次第に速度を上げ、石畳の街道を川の下流へ向かって下ってゆく。こういう道がちゃんと整備されているということは、このあたりはこの世界でも開けた方なのかな、と俺は馬に揺られながら考えていた。いや、王宮があるのならそれは当たり前のことか……。

 やがて視界の先には海が見えてきた。高台から見下ろす海辺には、オレーシャの町の何倍も大きな都市が広がっている。太陽は俺達の右側に昇っているので、仮に俺の世界の東西南北を当てはめるなら、あの海は北の方角ということになるだろうか。


(とりあえず、海はちゃんと青くてよかった……)


 月の光が赤かったくらいだから、海が黄色とかでも驚かないつもりだったが、海の色は俺の世界と同じ綺麗な青だった。

 悪の組織の怪人としては、「あの海を我々がヘドロで真っ黒に染めてやるわ」くらいのことは言えなければならないのかもしれないが、今の俺にはそんな心の余裕もない。

 街の入口には関所のようなゲートがあり、鎧を着込んだ兵士が何人か警備に立っていた。うやうやしくお辞儀をして隊列を迎え入れる彼らに、お姫様が馬上から「ご苦労さま」と笑いかけているのが印象的だった。

 城下の街は、オレーシャの町とは比較にならないくらい栄えていた。あちこちに野菜や魚を売る露店があり、天秤棒をかついだ商人のような人達も多く行き来している。アラビアンナイトとか、そのあたりのおとぎ話の挿絵に描かれた港町の光景に似ている気がした。

 俺達の隊列が通ると、街の人々は皆、姫に向かって嬉しそうに手を振ったり声を掛けたりしていた。俺達を連れているからなのか、オレーシャの町を通った時よりも隊列の速度はずっと早かったが、そんな中でも姫は人々に手を振り返していた。


(慕われてるんだな、お姫様……)


 きょろきょろと街の景色を見渡しては俺を見てくるオレーシャの相手を適当にしながら、俺はあの姫の人気ぶりに素直に感心していた。俺の世界でも、つい最近、譲位のパレードに国中が沸き立っていたが、どこの世界でもこういうのは変わらないのかもしれない。

 そうこう考えている内に、隊列は水路を渡る橋をいくつか越え、遂に王宮の前へと辿り着いた。前を行く馬の上でオレーシャが「わぁっ」と声を漏らし、「見て見て」と城の上を指さす。何かの魔法だろうか、石造りの城塞の上には七色の虹がくっきりと架かっていた。


「王立魔導院主席魔導師、パルス王子殿下の天候魔法だ。恐れ入ったか、異邦人」


 俺の前で馬の手綱を握る男が、ここにきて初めて自慢げに口を開いた。


「はぁ。魔法って凄いですね」


 そして、堀に架かる跳ね橋がひとりでに下り、同じく城壁の門がひとりでに開いてゆく。こうして、悪の怪人ザコトカゲは、一国の王宮へと堂々侵入を果たしたのだった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「改めて自己紹介しますわ。わたしは、ラグナグラート王家第一王女、アポリナーリヤ・プラーヴダ。皆はわたしをポリーナと呼びますわ」


 つかつかと城内を歩きながら、お姫様が俺達に向かって名前を告げてくる。俺とオレーシャは、何人かの従者達にぴったりと周囲を囲まれたまま、彼女の後ろをついて歩いていた。


「わたし、ロージュノエ・カーレのオレーシャ」

「俺は、十影とかげ竜平りゅうへい。日本って国から来ました」


 俺達がそれぞれ名乗ると、ポリーナ姫は「うん?」と小さく首をかしげて足を止めた。


「聞き慣れない国名はいいとして……。あなた、怪人ザコトカゲとか名乗っていなかったこと?」

「ああ、それは、怪人としての名前で……。人間としての元々の名前は十影竜平なんです」

「ふむ? よくわかりませんけど、洗礼名のようなものかしら……」


 ポリーナ姫は、豪華な調度品が並ぶ応接間のような場所に俺達を通し、椅子に座るように促してきた。ビロード張りというのだろうか、元いた世界でも見たことがないような、いかにも王様の城という感じの椅子だった。

 俺とオレーシャがおずおずと並んで腰を下ろすと、テーブルを挟んだ向かいに姫も着座し、「さて」と口火を切ってきた。


「聞かせてもらいましょうか、トカゲ・リュウヘイ。あなたはどこから来たのか。なぜリザードマンのような姿から人間の姿に化身できるのか。魔法が効かないのは何故なのか……」

「あー、えーと、それはですね」


 姫の青い瞳に見据えられ、俺は言い淀んだ。また「悪の組織」なんて口にしようものなら、姫の両脇に立つ従者の男達にすぐさま剣でも突き付けられそうな……。

 どう答えたものか俺が考えていると、横からオレーシャがぽつりと口を挟んだ。


「いいトカゲさんだよ、この人。お姫様なら、見ればわかるでしょ?」


 物怖じという言葉を知らないような、天然めいた物言い。この子には敬語とか萎縮とかいう観念はないのか、と俺がヒヤヒヤしながら両者の様子を見ていると、姫はふっと笑って「そうね」と答え、ふわりと白い手で金髪をかき上げた。


「わたしも薄々は分かっていましてよ。昨晩のあなたは、わたし達に一度も殺気を向けることなく、ただわたし達の前から逃げ出した……。少なくとも、我々に害をなす存在ではない。そうでしょう?」


 意外にもすんなりとそんなことを言われ、俺は恐縮して「はぁ」と答えた。


「まあ、そうですね、害をなす気は今のところ無いです」

「それに、あなたはこの子を魔犬から助けてくれたそうね。我が民の命を救ってくれたこと、国王陛下に代わり感謝しますわ」


 姫は元々正しかった姿勢をさらに正してそう言った。予想外の一言に、俺はぱちぱちと目をしばたかせ、「どういたしまして」と返すのがやっとだった。


「やった。お姫様がトカゲさんを信じてくれた」


 オレーシャは空気を読まずに一人喜んでいる。律儀に彼女ににこりと笑いかけてから、姫は再び真剣な目で俺を見てきた。


「なればこそ、わたしはあなたの力の秘密が知りたいのよ。わたしの攻撃魔法をも弾き返すその力、上手くすれば、我が国を危機から救う切り札となるかもしれませんわ」

「へ……?」


 思いもよらないことを言われ、俺はぽかんと口を半開きにして固まる。姫の両横を固める男達も、彼女の発言に驚いた様子で目を見開いていた。

 ただ一人、オレーシャだけが、マイペースに「トカゲさんを戦わせるってこと?」と反応している。


「トカゲさん、強いもんね。大活躍だよ」

「イヤ、活躍って……。え、お姫様、何なんですか、危機って」

「我が国は今……」


 ポリーナ姫が言いかけたところで、カッと硬い足音を響かせて、応接間に入ってきた一つの人影があった。


わたふぃ信用ふぃんようふぇんぞ、ポリーナ」


 変な滑舌の男の声だった。俺が声の主を振り仰ぐのと時を同じくして、姫が声を上げる。


「お兄様! お戻りでしたの」

「うむ」


 入ってきた男に向かって、姫の両脇の従者達がうやうやしく礼をする。姫と同じ臙脂えんじ色の装束の上に、漆黒のマントを纏った若い男だった。きらきらと輝く金髪と青い瞳も姫とよく似ていたが、何より目を引くのは、彼が白い布のようなもので顔の下半分を覆っていることだった。


ふぉとの者から仔細しふぁいは聞いた。ふぉの男、南のひゅパイではないのか」


 すっと俺を指さしてくる男。鋭い眼光がきらりと光り、俺は思わず身を縮こまらせる……が。

 威厳のある話し方とまるで釣り合わない、舌っ足らずな声に、俺が思わず笑いを漏らしてしまった――そのとき。


《《貴様、今、私を笑ったな?》》


「っ!?」


 ぎゅん、と宙を駆けるような早さで彼は俺の眼前まで迫り、瞬く間に俺の襟首を掴んで椅子から立ち上がらせていた。


《《私の言葉が可笑おかしいか。下賤げせんなトカゲの分際で》》


 こいつ、頭に直接――!?


「お兄様、おやめになって! 民の前ですよ!」

「む……」


 ポリーナ姫に止められ、男は今初めて気付いたようにオレーシャの方を見て、ハッとしたように俺の首元から手を放した。そして、こほんと咳払いし、俺達に向かって姿勢を正す。


王立おうりひゅ魔導院主席ひゅひぇき魔導師まどうふぃ、パルひゅ・プラーヴダだ。見ふぃり置け」

「はぁ。パルヒュ様ですか」


 聞こえた通りに俺が言うと、顔の下半分を布で隠した彼は、またしても俺にぎらりと険しい目を向けてきた。


《《パルスだ! ラグナグラート第一王子、パールスホーン・プラーヴダだ! 貴様、私を馬鹿にするとタダでは――》》

「ひえっ、ごめんなさい、パルス様。覚えました、覚えましたって」


 直接言葉を叩き込まれ、キィンと耳鳴りがするのを押さえて、俺はぺこぺこと彼に頭を下げた。姫も慌てた様子で「お兄様!」と叫んでいる中、やはりオレーシャだけが自分のペースで呟いていた。


「トカゲさん、今の魔法は通じるんだ……」

「え?」


 俺と姫は揃って彼女を振り向いた。姫が「そういえば」と呟いて怪訝な顔をする中、パルひゅ……もといパルス王子はフンと鼻を鳴らし、少し落ち着いた声で言った。


そやつふぉやひゅひゅうふぃぬのは物理ぶひゅり作用ひゃようを伴う魔法だけなのだろう。精神ふぇいふぃん魔法がひゅうふぃるのは、翻訳が効いている時点ふぃてんで明らかではないか」

「……ふむ。言われてみればそうですわね」


 兄妹は俺を置いて勝手に納得しているようだった。聞き取りづらい王子の言葉をワンテンポ遅れて理解し、俺は「ああ」と思いついたことを口にする。


「ひょっとして、脳改造はされてないからですかね」

「なに? 何だ、脳改造かいふぉうとは」

「ほら、俺、改造人間にされて全身機械なんですけど、脳は生身のままなんで……。だから、なんか、意識に影響してくる的なやつは効くんじゃないですか」


 俺がほおを掻きながら言うと、兄妹は揃って「ふむ」と頷いた。


「あなたの言う改造人間というのが何なのかは分かりませんけど……確かに理屈は通っていますわね」

「あ、じゃあ」


 オレーシャがぽつりと言う。


「わたしの魔法でトカゲさんのケガが治ったのも、トカゲさんの身体が機械だからだよ。わたし、物体修復だったらちゃんと出来るもん」

「ふむ……」


 パルス王子は数秒ほど妹と顔を見合わせていたが、ややあって、すっと黒光りする杖を取り出して俺に突き付けてきた。


《《精神魔法は効くのなら話は早い。自白魔法でこやつの記憶を探ってやる。南のスパイでないことが確認できれば、あとはポリーナに委ねてやろう》》

「いけませんわ、お兄様。自白魔法は禁呪のはずでしてよ」


 王子の声は皆に同時に聞こえているらしく、姫は慌てた様子で彼の前に立ちはだかっていた。だが、彼は意に介する様子もなく、姫の肩越しに俺をぎらりと睨んで言ってくる。


《《異なる世界から来たなどと言う者に、掟も何もあるか。自白魔法、〈白日展覧ツェンソーレビ・チヴォタスヴィ〉!》》

「うおぉぉっ!?」


 彼の振り出した杖から閃光がほとばしり、俺の視界を真っ白に染める――。

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