第5話 凱旋!姫との再会

 オレーシャが俺を連れてきたのは、石造りの建物が立ち並ぶ、川沿いの小さな町だった。彼女の家の前には古びた木製の立て看板がかかっていたが、翻訳魔法も読み書きにまでは効果がないらしく、俺にはその文字がさっぱり読めなかった。


「あなたが娘を助けて下さったそうで、何とお礼を申してよいやら……」


 オレーシャの父親らしき白髪交じりの男性は、奥の部屋から出てくるなり、大袈裟なほど感激した様子で俺の手を取ってきた。当のオレーシャはといえば、例の月の花の詰まったバスケットを持って、奥へ引っ込んでしまったままだ。


「イヤ、そんな。犬をやっつけただけですよ」


 俺が恐縮するのにも構わず、男性は俺の手を強く握って感謝の言葉を並べ立ててくる。


「あなたが助けに入って下さらなければ、娘はどうなっていたか……。本当にありがとうございます」

「そんなそんな、頭上げてくださいよ」


 俺は恥ずかしさに汗をかくばかりだった。人からこんなに感謝されたことなんて、小学生の頃、財布を交番に届けて持ち主のおばあさんにお礼を言われた時以来だろうか。

 そういえば、改造人間にも発汗機能はあるんだな……。


「あなたは娘の命の恩人ですよ。妻を早くに亡くし、この上、オレーシャまで失ってしまったら、私はどうして生きていけばよいか」

「……あの、だったら娘さんを一人でお遣いに出したりしないほうがいいんじゃ」


 余計なお世話かもしれないが、俺はとりあえず思ったことを言っておく。男性はぱちりと目をしばたかせて、俺の手を放し、「ええ、ええ」と恥ずかしそうに後頭部を掻いた。


「お恥ずかしい限りです。私は夜通し、急患をに出ておりまして、さっき帰ってきたところでして。使用人の一人もいればよかったのですが、見ての通り、小さな診療所でして」

「ああ……お医者さんだったんですね」


 改めて家の中を見回してみると、確かに、薬のビンらしきものが並んだ棚や、患者を寝かせるためと思しき簡素なベッドなどがあった。俺の世界の病院のような、消毒液の匂いがする清潔な空間というイメージとは程遠いが、街並みや人の服装を見た限りではあまり科学の発展した世界とも思えないので、診療所といってもこのくらいが普通なのかもしれない。


「ええ、ええ。朝食はまだですよね。パンとチーズくらいしかありませんが、良かったらご一緒に」


 俺の返事を待つこともなく、男性は自分自身の手に魔法の杖を向けて一振りしてから、台所らしき場所へ引っ込んでいった。

 今の魔法は手洗いのようなものなのだろうか。そういえば、オレーシャも魔犬の返り血を洗おうとしていたな……。


(便利だなあ、魔法って……)


 俺が感心していると、奥の部屋からそっとオレーシャが出てきた。ワンピースの上に着ていた黒いケープは今は着ておらず、かわりに無地のエプロンのようなものを身に着けている。彼女の小さな手には小ビンが握られ、中の液体がきらきらと銀色の輝きを放っていた。


「トカゲさん、見る?」


 彼女はふいに俺に視線を向け、くいくいと俺を手招きして、「これがさっきの花のお薬だよ」と言ってきた。俺が近寄ってそのビンを覗き込むと、彼女はえへへと嬉しそうに笑う。やっぱり独特の雰囲気を持った子だな、と俺は思った。


「いやぁ、オレーシャはまだ14歳なんですが、魔法薬の調合だとか、物体修復魔法だとかは得意でして」


 戻ってきた男性の手には、パンとチーズの載った木の皿があった。


「その割に、治癒魔法のほうの覚えがまだまだでしてね。この子の母親は優れた医者だったんですが、いやはや」

「はぁ。この世界のお医者さんって、やっぱり魔法で患者を治すんですか」

「? 他にどうするんです?」


 男性のきょとんと首をかしげる仕草は、なるほど確かにオレーシャのものとよく似ていた。


「トカゲさんって、パンは食べるの?」


 薬のビンを棚に収めたオレーシャが、小さなテーブルに置かれた皿から硬そうなパンを一かけら取り、すっと俺に差し出してきた。俺は反射的にそれを受け取って、「たぶん?」と首をひねった。

 考えてみれば、ジャアッカーに捕まって改造されてから、一度も食べ物を口にしていなかったが……。

 ジャアッカーで受けた説明では、確か、俺達改造人間の体内には、飲食物のカロリーをエネルギーに変える変換炉リアクターが組み込まれているとか。ということは、改造人間も物を食べることはできるし、むしろ食べなければ生きていけない、ということになるのか。


「……食べるよ、食べる食べる。なんか全然腹減ってないけど」


 バサバサの食感のパンを一口かじったところで、ふと、家の外からざわざわと騒がしい声が聞こえてきた。

 何だろうと気になって、俺はパンの残りを口に放り込み、そっと扉を開けて外を覗いてみる。オレーシャもひょっこり俺の後ろから顔を出した。


「見ろ、姫様の隊列だぞ!」


 町を貫く石畳の道の両側には、あちこちの家から出てきたらしき人々が集まり、口々に歓喜の声を上げていた。そして、彼らの指差す先に目をやると、俺達が降りてきた森の方からゆっくりと町に入ってくる、馬に乗った十数人の男達の隊列があった。


「お姫様、美人なんだって」


 オレーシャがぽつりと言った。


「姫様って、まさかさっきの……?」


 俺の脳裏に夜の光景が蘇る。赤い装束を纏い、炎の魔法で巨大な怪物を吹き飛ばしたあの姫の姿……。彼女とお付きの者達が森から帰ってきたのだろうか。

 俺がそんなことを考えていると、きいっとオレーシャが扉を押し、トテトテと家の外に出ていった。彼女にくいくいと手招きされ、俺は一瞬父親の方を振り返ってから彼女の小さな背中を追う。父親は俺に頷き、オレーシャを任せてくれた。


「トカゲさん、なにしてるの?」


 俺が人々の背に隠れるようにして小さくなっていると、オレーシャが不思議そうな目を向けてくる。


「トカゲさんも見るといいよ。お姫様なんて、めったに見られないよ」

「イヤ……俺はその姫様に怪しまれてるからさ……」


 できる限り身を縮こまらせて、俺は隊列が近付いてくるのを眺めた。お付きの男達に囲まれる形で、綺麗な白馬にまたがった昨夜の姫の姿があった。

 金の長髪を颯爽と風になびかせ、沿道の人々に馬上から手を振る彼女の姿は、確かに森で見た臨戦態勢の姿よりもずっと美人に見えた。

 澄んだ朝日の下、彼女の髪はラメでも入ったかのようにキラキラと輝いていた。人々に笑いかける口元からは大きな八重歯が見え隠れし、凛としたオーラの中に若干の幼さも感じさせた。


「お姫様、戦いのご首尾は!」


 沿道の誰かが声を掛ける。彼女はゆっくりと馬を進めながら、明るい笑顔で答える。


「幸い、野生のトロールだけでしたわ。楽勝よ」

「さすがは姫様!」

「ポリーナ姫、万歳!」


 人々は嬉しそうにワアワアと声を上げていた。なるほど、あんな美人の姫が自ら魔物退治に出ているとなれば、人々が沸き立つのもわかるよな……と俺が思いながら見ていると。


「? おい、オレーシャ、何だソイツは」

「見慣れない格好をしてるな」


 周囲の何人かが俺に気付き、怪訝けげんそうな目を向けてきた。マヌケなことに、そこで初めて、俺は自分の格好がこの世界で相当浮いていることに思い至った。

 俺が着ていたのは、ジャアッカーのカラスのマークが胸に描かれた黒いジャージと黒いズボン。おとぎ話に出てくるような格好をしたこの世界の人々からすると、よほど変な格好に見えるに違いない。


「この人、優しいトカゲさんだよ」


 オレーシャが俺の前に出て言ってくれたが、人々は「怪しい奴だ」などと言いながら俺を取り囲んできた。ヤバイな、と思ったところで、隊列の馬上からも険しい声がした。


「姫様! あやつ、あの怪しい男ですぞ!」

「奴め、生きていたのか!」


 姫のお付きの男達が馬を止め、口々に俺を指さして言う。俺が身構えたとき、当の姫とも目が合った。


「間違いありませんわ、あの男……。あなた達、彼を捕らえなさい!」

「はっ!」


 姫の一声で男達は馬から降り、町の人々をかき分けて俺を囲んでくる。どうしよう、また怪人ザコトカゲに変身すれば逃げるのは簡単だろうが……と俺が迷っていると、オレーシャが俺を庇うように前に出た。


「やめて。この人、悪い人じゃないよ」

「なに?」

「わたしを助けてくれたもん。きっといいトカゲさんだよ」


 彼女の言葉に、町の人々がざわざわと騒ぎ始める。お付きの男達は眉をひそめ、姫の方を振り返った。


「どうしますか、姫」

「……」


 姫が馬上から俺を見てくる。青く輝く瞳で見据えられ、俺はどきりと硬直した。

 オレーシャに視線を移し、彼女は言う。


「あなた、その男に助けられたというのは本当ですの?」

「うん。このトカゲさん、魔犬を倒してわたしを助けてくれたの。いい人だよ。だから連れてかないで」

「……」


 オレーシャのぽつぽつと述べる言葉に姫は耳を傾け、口元に手を当てて少し何か考えていたが、ややあって、俺に再び視線を向けて言った。


「そういえば、あなた、わたし達の敵ではないと言っていましたわね」

「へ!? は、はい、敵じゃないと思いますよ。怪人ではあるけど」


 俺が思わず声を裏返らせて答えると、姫は「ふむ」と口に手を当てたまま続ける。


「あの化身能力に、魔法の効かない身体……。あなたには色々と聞きたいことがありますわ。付いてきなさい」

「え……。任意同行ですか」

「?」


 お付きの男達が、警戒をありありと浮かべたままの表情で「さあ」と俺を促す。俺がオレーシャを見たとき、姫はさらに続けて言った。


「その子も一緒に来るといいですわ」

「へ?」

「よくって?」


 姫に見下ろされ、オレーシャは、少し安心したようにコクンと頷いた。

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