第4話 炸裂!ザコトカゲパンチ!

 急流に飲まれた俺は、何度も岩や川底に身体を打ち付けられながら、ほうほうのていで下流の岸辺にまで辿り着いた。


「はぁっ……ヒドイ目に遭った……」


 暗闇の中、雲間からの赤い月明かりと赤外線アイの視界を頼りに、俺はなんとか地上へと這い上がる。改造人間にされたからといって、元々泳げなかった俺にいきなり華麗なクロールが身に付いたりはしないらしい。

 しかし、さすがに鋼鉄の皮膚と機械の身体を持つ怪人態だけあって、あれほど何度も岩に身体をぶつけたのに、俺こと怪人ザコトカゲの体表には傷一つ付いていなかった。岩に打ち付けられた程度では大した痛みもない。怪物の棍棒といい、さっきの矢といい、防御力の高さに我ながら驚かされる。

 Zザコ部隊の俺ですら、この強さだなんて……。


「じゃあ、バイカーマスクってどれだけ強いんだよ……」


 ザコナメクジの先輩をチョップ一つで片付けたバイカーマスクの姿を思い出し、俺はぶるっと機械の身体を震わせた。

 ……そういえば、魔法が効かなかったのは? あれも俺が改造人間だからなんだろうか?


(でも、翻訳魔法ってのは効いてたよなあ……)


 確か、あのお姫様とやらも男達に言っていた。「翻訳魔法は効いたのに、捕縛魔法も攻撃魔法も効かない」と。魔法にも色々種類があるのだろうが、なぜ俺に通じる魔法と通じない魔法があるのだろう。


(ワケわかんねー……。ていうか、どうやったら元の世界に帰れるんだよ……)


 闇の中をキョロキョロと見回し、俺はザコトカゲの仮面マスクの中ではぁっと溜息をついた。空の上からは、見慣れない赤い月が俺を見下ろしているだけだ。

 ひとまず、夜が明けたら、人間の姿になってどこかの人里に助けを求めないと。そして、元いた世界に戻る方法を探さなければ……。


 改造人間にされたからなのか、それともこの世界に来たときに気を失っていたからなのか、こんな夜中なのに不思議と眠気は感じなかった。

 川の流れに沿って、草木をかき分け闇の中を歩いていると、突如、俺の耳に甲高い女の悲鳴が飛び込んできた。


「!」


 先程のお姫様の声とは違う、絹を裂くような悲鳴だった。そして、それに被さるように、ガウガウと吠える犬のような鳴き声。


「助けて……誰か……っ!」


 木々の向こうから、消え入るような声が俺の強化聴覚に届く。まだ小さい女の子だろうか――俺は居ても立ってもいられず、声の源を目指して走り出していた。


(聞こえちゃった以上は、放っとけるかって……!)


 ザコトカゲに変身したままの俺の脚が、人間を遥かに超える俊足で夜の森を駆ける。悪の怪人なんだから人助けをしてやる必要なんてないはずだけど、あの声の主が野犬に食い殺されるなんてことがあったら寝覚めが悪すぎる。


「待てっ!」


 ざっと飛び出した先で俺が見たのは、大きな木を背に尻餅をつき、恐怖に震える顔で小さな杖を前に突き出している少女と、それに何度も飛びかかろうとしては弾き返されている黒い犬の姿だった。

 俺の世界で言えば中学生くらいだろうか、栗色の髪をボブヘアーくらいの長さに切りそろえた童顔の少女だ。彼女がぶるぶると震える手で突き出す杖からは、薄緑色の光のバリアのようなものが発せられて、犬が飛び掛かってくるのを阻んでいるのだ。

 少女は白いワンピースに、黒いケープのようなものを纏っただけの格好だった。臙脂えんじ色の装束を颯爽と翻したさっきのお姫様とは明らかに違う、戦いになど慣れていない普通の女の子という雰囲気だった。

 こんな子があの犬には敵わないだろう。俺が助けなければ……!


「そ、そこの犬! 怪人ザコトカゲが相手だ!」


 俺は少女の前に割って入り、仮面マスク越しに犬を睨みつけた。全長2メートルはあろうかという大きな犬だ。ぐるる、と唸るその口元には巨大な四本の牙が覗いており、目は狂気をはらんで爛々らんらんと赤く光っている。ただの動物じゃない、と理屈抜きに察せられる雰囲気があった。


「グワァウ!」


 犬が大きく吠え、俺に突進してくる。


「うわっ!?」


 俺はなすすべなく巨体の圧力に押し倒され、地面に背中を叩きつけられた。犬の鋭い牙ががきんと音を立てて俺の肩あたりに突き立てられる、が。


「グゥ!?」


 案の定、痛みに跳び上がったのは犬の方だった。


「く……!」


 両手に力を込めて犬の巨体を押し戻し、俺はその胴体を蹴り上げる。グウッと苦しげな唸り声とともに、犬は数メートル向こうへ吹き飛ばされた。

 俺は立ち上がりながら自分の肩を見下ろす。ウロコ状の装甲に覆われた怪人ザコトカゲの強化皮膚には、ウソのように傷一つ付いていない。

 女の子にさっと視線を向けると、彼女は震える手で杖を突き出したまま、驚きに目を見張っていた。


「そんなっ……魔犬に噛まれて平気なんだ……?」


 震える唇が独り言のように呟いた。なるほど、あの犬はやっぱり普通の動物とは違う怪物なのか……。


「安心して。あの犬は俺がやっつける」


 女の子をかばうように前に出ると、そんな台詞が自然と口をついて出た。


「ガアァウ!」


 魔犬が唸りを上げ、飛び掛かってくる。俺は咄嗟に左腕を突き出した。がぎん、と硬い音がして、犬の鋭い牙が、俺の左腕を覆うウロコ状の強化鎧装に食い込む。犬が一瞬怯んで固まった。――今だ!


「ザコトカゲ・パンチ!」


 左腕に噛み付かれた格好のまま、俺は空いた右拳を思い切り振りかぶり、力の限り魔犬の胴体めがけて叩き込んだ。

 夜の森に一瞬の静寂。ひゅう、と生ぬるい風が吹き抜け、魔犬の巨体が、ばあんと破裂して四散する。


「っ……!」


 俺の背後で女の子が小さく声を上げた。俺が怪人態から人間の姿に戻って振り向くと、いつしか光のバリアを解いていた彼女の顔に、魔犬の黒い血が生々しく飛び散っていた。


「あっ。ご、ごめん」


 俺は勢いで謝ったが、彼女は顔の汚れなどよりも、俺が怪人から人間の姿に変わったことに驚いているようだった。

 ぱちぱちと目をしばたかせて、ぽつりと彼女は言う。


「ううん……。あ、あの、助けてくれて、ありがとう」


 彼女は自分の顔に杖を向け、口元で小さく何かを唱えた。顔の汚れを洗う魔法かな、と思って俺が見ていると、ばちっと杖の先から火花が散って、彼女の栗色のおかっぱ髪がぶわっと風を受けて膨れ上がった……だけだった。

 魔犬の血は洗い流されないまま、ただ髪が乱れただけ。彼女はえへへと恥ずかしそうに笑って、聞いてもいないのに、「人間相手の魔法は得意じゃないんだ」と言い訳のようなことを言った。


「あなたは、人間……?」

「人間っていうか、怪人っていうか……。こことは違う世界から来たんだ」


 俺が言うと、彼女はきょとんとした様子で首をかしげて、「でも、言葉……」と呟いた。


「翻訳魔法ってやつを掛けてもらったからさ。……俺は、十影とかげ竜平りゅうへい。君は?」


 先程と同じてつを踏まないように、俺は怪人ザコトカゲではなく元の名前を名乗った。少女はボブヘアーを白い手で撫でつけて、そっと俺を見る。


「……わたし、オレーシャ。ロージュノエ・カーレのオレーシャ」

「オレーシャ……」


 俺は彼女の名前らしき部分をオウム返しした。そこでふと、彼女が尻餅を付いている傍らに、枝編みのバスケットのようなものが落ちているのが見えた。

 そういえば、どうしてこんな女の子が夜中に外に……。それを尋ねかけたとき、俺の視線に気付いて何かを思い出したのか、オレーシャと名乗った少女はふいに「あっ」と小さく声を上げた。


「もう夜が明けちゃう。早くしなきゃ」

「? 何を」

「わたし、月の花を取りにきたの」


 彼女が地面に手をついて立ち上がろうとするので、俺は思わずその前に手を差し出していた。オレーシャは躊躇いがちに俺の手を取り、あれ、と目をぱちぱちさせた。


「人の手じゃない……」

「わかるんだ。……改造人間だからね」

「改造……人間……?」


 オレーシャは俺の言葉に首を傾けていたが、すぐにふるふると首を振って、「行かなきゃ」と呟いて空を仰いだ。つられて見上げ、俺はそこで初めて、空の果てが白み始めていることに気付いた。

 この世界にも俺の知るような東西南北があるのなら、あの方角が東なのだろうか……。

 彼女はトテトテと川辺の方へ向かって歩いていく。何だか放っておけず、俺は彼女の後を追った。

 木々の間を抜けて出たのは、俺が先程流れ着いたあたりの川岸だった。先程は全く気付かなかったが、俺達の足元には、きらきらとガラスのような輝きを放つ、タンポポのような小さな花が群生していた。


「これが、月の花?」


 しゃがみ込んだオレーシャに俺が後ろから声を掛けると、彼女は素直に「うん」と答えた。


「満月の晩にしか咲かないの。朝になったらまた消えちゃう」

「ふうん……。それを取ってどうするの」

「魔法のお薬の材料にするんだよ。……知らない?」


 くるりと振り向いて、彼女は不思議そうな目で俺を見上げてくる。それからすぐ、あっ、と察したように彼女は口元を手で覆った。


「トカゲさん、遠くから来たんだっけ……? じゃあ、知らないのかな……」

「……まあね」


 俺のいた世界には魔法なんてものは無かったし、きっとこんな花も無かった。かわりに悪の組織があって改造人間は居たけどね、と言うとまた怖がられるだろうなと思い、俺は言葉を飲み込む。

 月の花とやらをバスケット一杯に摘み終えたオレーシャは、それから川のそばにひざまずいて川の水で顔を洗い、黒いケープの端でそっと顔を拭っていた。


「……トカゲさんも、顔、洗う?」

「いや、俺はいいよ」


 なんだか不思議な雰囲気の子だな、というのが俺の彼女への率直な感想だった。向こうも俺を変なヤツと思っているには違いないが……。

 川の下流には彼女の住む町があるのだろうか、と考えながら、俺が彼女に背を向けてなんとなく下流の方角を眺めていると、後ろから「あっ!」と彼女の声がした。


「トカゲさん、背中ケガしてるっ」

「え?」


 言われて背中に手をやり、俺は初めて自分が血を流していたことに気付いた。生身の血に擬態した人工血液だが、そうか、怪人態に変身する直前に弓矢で撃たれたときに……。


「……確か、放っとけば治るって」


 ジャアッカーの基地でモント少佐から作戦を命じられたとき、改造人間の身体についても簡単な説明は受けていた。俺達ジャアッカーの怪人の生体部品には、生身の生き物と同様の自己修復機能が備わっているので、エネルギーが切れない限りは小さなケガなら自然治癒するのだとか……。


「トカゲさん、あっち向いてて」

「え?」

「……治癒魔法、〈生命萌芽ズンジー・クトスラー〉!」


 彼女の声とともに、しゅばっと暖かい光が背中を撫ぜるのを感じた。あれ、と思って再び背中に手をやると、破れていたはずの人工皮膚が塞がっていた。


「……なんで?」

「トカゲさん、わたしを助けてくれたもの……。そのお礼だよ」


 オレーシャは胸元に小さな杖を構え、気恥ずかしそうにはにかんだ。正直その仕草は可愛かったが、俺が聞きたいのはそういうことではなく……。


「俺の身体、魔法が効かないらしいのに」

「……魔法が効かない? どうして?」

「イヤ、わかんないけど。改造人間だからかな、捕縛魔法とか攻撃魔法とかってやつが実際効かなかったんだよ」

「……?」


 俺と彼女は顔を見合わせてお互い首をかしげた。ややあって、オレーシャは「あぁ」と声を出した。


「わたしの治癒魔法、出来損ないでいつも失敗するから……。わたしのダメな魔法と、魔法の効かないトカゲさんの身体で、ちょうど相性がよかったんだよ」

「イヤイヤ、さすがにもうちょっと、ちゃんとした理由があると思うけど……」


 そうこうしている間に、東……と思しき方角の空には日が昇り、足元に群生していたガラスのような花はいつの間にか消えてなくなっていた。オレーシャのバスケットに摘まれた花だけが、今もきらきらと輝きを放ち続けている。


「……行こう、トカゲさん」

「? どこへ」

「わたしのお家だよ。来てくれないの?」


 不思議ちゃんの不思議な間合いにつられ、俺はそのまま彼女に付いていくことになった。

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