第3話 邂逅!異世界の姫君

 次に気付いた時には、俺はひんやりと冷たい地面の上に倒れていた。ぱちりと目を開けると周囲は真っ暗闇だったが、何か考えるより先に、俺の視界には周囲の光景が白黒のヴィジョンで浮かび上がってきた。


「赤外線アイ……?」


 俺は柔らかな地面に手を付いて立ち上がり、自分の顔面に手で触れてみる。生身の皮膚と違う硬い感触がして、どうやら自分が怪人ザコトカゲに変身したままなのがわかった。

 ここのところ気を失ったり目を覚ましたりばかりだな、と思いながら、俺は夜目を利かせて周囲を見渡してみる。木々が鬱蒼うっそうと生い茂る森の中のようだった。人工のあかりが一つも見当たらない、天然の暗闇だ。


「どこだ……ここ……?」


 空を見上げれば、雲の合間からは満月が顔を覗かせていた。あの色は赤外線アイの機能のせいではないだろう。

 自分が時空転移マシンの渦に飲み込まれてしまったことを今更ながら思い出す。ということは、俺は本当に元いた世界とは違う世界に来てしまったのか……。


「ウソ……。帰れないの……?」


 改造人間にされても心まで強くなるわけではないらしく、たちまち心細さが俺の意識を襲ってきた。こんな姿にされてしまった上、時空の彼方にまで飛ばされてしまって、俺は一体これからどうすれば……。


 と、そのとき。森の木々の向こうから、ずしんと地面の揺らぐ震動が伝わってきた。はっとして耳を澄ましてみると、俺の強化聴力は、ワアワアと勝鬨かちどきだか悲鳴だか分からない叫びを上げるいくつもの声を捉えた。

 ああ、よかった、この世界にも人間がいるのか……。

 少しは安心した俺は、声のする方向を早歩きで目指す。森の暗闇の奥に、ちらちらと小さな炎が揺れているのも見えた。


「ウガアァァ!」


 突然、人間のものとは思えない唸り声。俺はびくっと震えて立ち止まった。ずしんずしんと巨大な足音がこちらに近付いてくる。

 逃げる間もなく、足音の主が木々をかき分けて俺の眼前に姿を現した。暗闇の中に浮かび上がるその影は、身長4メートルほどの巨体を持つ、人型のだった。


「ひっ……!」


 俺の思わず漏らした声に反応したのか、その巨大な人影がぬっとこちらに頭を向けてくる。ぬらりとした灰色の肌に、人間に似た、しかし明らかに人間ではない目鼻口。服のたぐいは纏っていない。筋骨隆々の腕には、巨木の枝をそのまま折り取ったような棍棒が握られていた。


「な、な、何だよこれ……!」


 ジャアッカーの改造人間や、テレビで目にした他の勢力の怪人とも全く違う。強いて言うなら、子供の頃に見た魔法学校の映画、あれに出てきたトロールとかいう怪物に似ていた。


「ガアァッ!」


 あの怪力自慢の怪人ゴリノコングよりも遥かに大きな体躯。足がすくんで逃げられずにいると、怪物は俺を睨み、棍棒をぶんと振り上げてきた。


「ひいぃっ!」


 俺は咄嗟に両腕をひたいの前に突き出してクロスさせたが、あんな棍棒が防げるはずがない。コンマ数秒の間に俺は思った。俺はこんなのに殴られて死ぬのか。それならせめて、バイカーマスクの必殺キックを食らって散りたかったなあ……。


 ――棍棒が俺の身体を叩き潰す、一瞬のインパクト。


 ――しかし?


「あれ……?」


 ごん、と両腕に軽い感触を感じただけだった。次に俺の耳に入ったのは、怪物が頭上で「グウ?」と不思議そうに唸る声と、すぐそばに何かがどさっと落ちる物音だった。


「え……?」


 いつのまにか閉じていた目を開き、俺は怪人ザコトカゲの仮面マスク越しに目の前の光景を把握する。

 怪物の棍棒は確かに俺に向かって振り下ろされていた。だが、俺のクロスした両腕はいとも容易くそれを受け止め、根本からへし折ってしまっていたのだ。


「グウ……?」


 怪物が間の抜けた唸り声を出しながら、そばの地面を見下ろす。そこには折れた棍棒が落ちていた。なぜこうなったか分からない、という表情で怪物は首をひねっているが、状況が分からないのは俺も同じだった。

 あんな大きな棍棒をへし折ったのか。ザコトカゲに過ぎないこの俺が……?


 巨大な怪物と一緒に俺が首をかしげたとき、闇の向こうから、馬のいななきと誰かの声。


「ムター・リザードマン、ハミェーパ、ディーイタア!」


 それは女の声だった。りんと張った若い声だ。俺が視線を振った瞬間、小さなヒトダマのような炎を周囲にいくつも纏わせた白馬が、ばっと木々の奥から飛び出してきた。


「うおっ!?」


 俺は地面に尻餅を付いていた。ざっと着地した馬の鞍上あんじょうには、臙脂えんじ色というのだろうか、深みのある赤の装束を身に纏った、金髪碧眼の若い女の姿があった。

 怪物が折れた棍棒を振り上げて女に迫る、その刹那。


「ラーシィ・ヤーギマ、ミャラープ・リァーブ!」


 女が何かを叫んで片手を突き出すと、その白い手に握られた長さ30センチほどの細い杖から、ごおっと激しい炎が怪物に向かって噴き出した。


「な、なになに、なにっ!?」


 驚いて後ずさる俺の眼前で、怪物が醜い断末魔の叫びとともに爆発四散する。女がその瞬間に自分の身体の前でさっと杖を一振りすると、彼女の前に光のバリアのようなものが現れ、飛び散る怪物の血肉を遮った。


「な……な……!?」


 あまりの出来事に、俺は尻餅のまま、ザコトカゲの仮面の中で口をあんぐりと開けて固まっていた。

 バイカーマスクに代表されるヒーローが怪人を撃破するところは、テレビで何度も見てきたし、ここに来る直前に自ら目撃もした。だが、今目の前で繰り広げられた光景は、それとは全く違う。馬上の女が使ったのは、超科学の武器でも、体術を活かした必殺技でもなく……。


「ま、魔法……!?」


 俺が呟くと、女はひらりと馬から降り、俺の前に歩み寄ってきた。黒いズボンを取り巻く赤いスカート状の装飾が、ふわりと夜の冷たい風にひるがえる。

 女は緊張感を漂わせた目つきできらりと俺を見下ろし、口を開いた。


「ヤー・ナヴーレラカ・トーシ・ナラートス、ミャーイ・アポリナーリヤ。ヴィ・イコーカ・ミャーイ?」

「待って待って、何言ってんの!?」


 知らない言葉でまくしたてられ、俺は困惑してぶんぶんと手を振った。とりあえず、英語でもなければ、大学の第二外国語で習ったドイツ語でもないことは、なんとなく分かったが……?

 俺の様子をいぶかしんだのか、女が俺に杖を向けてくる。拳銃でも突き付けられたような気がして、俺はびくりと震えた。


「お、俺、何もしてないって」


 とにかく、敵意がないことを示さないと……。

 そう考えた俺は、両手を腰のベルトに添え、怪人ザコトカゲへの変身を解除した。しゅうんと光が弾けて、俺は元の十影とかげ竜平りゅうへいの姿へと戻る。

 おずおずと顔の横に両手を上げる俺の前で、女はその青い瞳を見開き、息が止まったように驚いていた。


「クヴェーロチェ……?」

「え?」

「トヴォーリピ・ヤーギマ!」

「うおっ!?」


 女の振り出した杖からばしゅっと白い閃光がほとばしる。怪物の棍棒の時と違って、避ける余裕などどこにもなかった。

 一瞬、頭がくらっとしたかと思うと――。


「わたしの言葉が聞こえまして?」

「うわっ、日本語喋った!」


 今の今まで得体の知れない言語を喋っていたはずの女の声が、急に日本語になって俺の耳に届いていた。

 あれ、でも口の動きと言葉が合ってないような……。


「翻訳魔法があなたの精神に作用しているのですわ。人間用の精神魔法が通じるってことは、あなた、人間なの……?」


 女は怪訝けげんそうな目で俺を見ている。きゅっと唇を噛むその口元に、きらりと鋭い八重歯が見えた。

 言葉が通じるようになったので、俺はひとまず正直に名乗っておく。


「俺は、怪人ザコトカゲ……。悪の組織ジャアッカーの改造人間……ですよ、一応」

「怪人……? 悪の組織……?」


 その瞬間、彼女の表情がキッと険しいものに変わった。


「捕縛魔法! 〈陽影縛りニチェー・チザーヤヴィス〉!」

「えぇ!?」


 女が再び杖を突き出すと、彼女の背後にぎらりと眩しい太陽のオーラが現れ、そこから地面を伝って伸びる影が俺に迫ってきたが――


「っ!?」


 その影は、地面伝いに俺の身体を捕らえる……ことはなく、そのまま素通りして夜闇に溶けて消えてしまった。


「!? 捕縛魔法が効かない……?」

「な、なに、何なんだよぉ!」


 女も戸惑いを顔に浮かべているが、困惑しているのはこっちも同じだ。


「ならば、わたしの炎で炙るまでですわ。炎熱魔法、〈陽向焦がしツェンソー・ミャラープ〉!」

「ウワアァ!」


 彼女の背後の太陽から炎がほとばしり、燃え盛る奔流と化して俺に襲いかかってくる。今度こそ終わりか、と俺は片手で顔を庇ったが、しかし。

 やはり今度も魔法の炎は俺の身体を素通りし、勢いを失って消えてしまったのだ。


「……どうなってるの……? 太陽神の加護を受けたわたしの魔法が、一度ならず二度までも……」


 女の表情は、戸惑いを通り越して恐れへと変わっていた。

 魔法が効かないというのは、俺達の世界で言えば拳銃で撃っても死なないようなものだろうか。そんな存在を目の当たりにしたら確かに恐いだろう。しかも、悪の組織の怪人なんて名乗ってしまっているし……。


「あ、あの、俺、別に敵じゃなくて」


 彼女を心配させまいと俺は言ったが、案の定、そんな言葉だけで彼女が表情を変えることはなかった。

 と、そこへ、森の中を駆けてくる何人かの足音。


「姫様! ご無事ですか!」


 弓を持った男達が数人、ざっと木々の向こうから飛び出してきて、女の周りを守るように取り囲んだ。彼らの周りには、女の白馬が纏っているのと同じ、小さなヒトダマのような炎がいくつも浮いている。あれは魔法の照明のようなものなんだろうか……。


「ポリーナ姫、この男は一体」

「……リザードマンのような姿から人間へと化身したのですわ。捕縛魔法も攻撃魔法も効きませんの。翻訳魔法は通じたのに」

「魔法が効かない? そんな面妖な……」


 男達が女の前に出て、俺に向かって弓矢や剣を構えてくる。

 彼女がお姫様だったのも驚きだけど、それよりも、何かこれ、ヤバイやつなんじゃ……。


「ま、待って待って! 俺、確かに悪の組織の怪人だけど、別に皆さんに何かする気は」

「黙れ、怪しい奴め!」


 ひゅん、と風を切り、男の一人が放った矢が俺の顔のすぐ横をかすめる。


「ひいぃっ!?」


 俺は跳ね起き、一目散に闇の中を逃げ出した。「待てっ!」と野太い声を上げて、男達が次々と追ってくる。

 走りながら振り向くと、ちょうど続けざまに数本の矢が迫ってくるところだった。


「うおおぉっ!?」


 避けきれるはずもなく、数本の矢がザクザクと容赦なく俺の背中に突き立つ。いや、その矢は生身の人間に擬態した俺の人工皮膚をえぐって地面に落ちただけだったが、改造人間にも痛覚は残されているので普通に痛い。


「こ、こうなったら……!」


 怪人態に変身したら余計に怪しまれるだけだと思うが、背に腹は代えられない。俺は腹部に変身ベルトを出現させると、両手をかざして変身機能を作動させた。

 闇の中を逃げ続ける俺の身体を、真っ赤な光が包む。


「怪人ザコトカゲ! とうっ!」


 赤外線アイで目の前の崖を見通し、俺は強化された脚力でばっと宙に飛び出した。追っ手の矢が俺の背中に当たり、傷一つ付けることなく弾かれて落ちる。


「って、ええっ、川ぁ!?」


 後先考えず飛び出した崖の下は、激流の川だった。

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