第15話 松葉の事情

 恋人になってほしいという松葉まつばの突然の言葉。仰天して叫び声を上げた雷斗ライトに、歩道橋を行き交う人々がちらちらと好奇の視線を向けてくる。


《《おやおや少年、キミもなかなかスミに置けませんなあ》》


 にやにやと笑ってくる紫子ゆかりこをスルーして、雷斗は改めて松葉の顔を見下ろした。彼女は赤ブチ眼鏡のレンズ越しに、じっとマジメな目で雷斗を見つめていた。


「……な、なんて……?」


 聞き間違いじゃないよなと思いながら、雷斗はバクバクと鳴る心臓を押さえて彼女に問い返す。

 松葉はしばらく気恥ずかしそうに胸元の手をもじもじさせていたが、ややあって、すーっと小さく深呼吸を挟み、意を決したように「えっと」と再び切り出してきた。


「わたしのになってくれないかなって……。あの、でも、恋人っていっても、一時的な体裁っていうか……フリ? 恋人のフリをね、一日してほしいの」


 雷斗を見上げる黒い瞳が、ゆらゆらと申し訳なさそうに揺れている。


「フリ……?」


 雷斗はぱちぱちとまばたきして、「あぁ、フリ、フリね」と裏返った声でオウム返しした。

 安心したような、ちょっとガッカリしたような、変な感覚。ふーっと呼吸を整えていると、松葉もやや落ち着いた口調で言ってきた。


「よかったら……相談させてくれないかな。近くの喫茶店で……」

「あ、うん」


 雷斗は反射的に生返事を返していた。大会のエントリーの借りもあるし、何より、こんなに面と向かって頼まれては逃げるわけにもいかないという思いがあった。




 松葉に誘われるがまま、雷斗は近くのビルの一階の喫茶店に足を踏み入れた。

 奥まった席で、小さな丸テーブルを挟んで彼女と向かい合う。雷斗はほとんどこんな店に入ったことなどなかったが、松葉は「たまに一人で執筆したいときに来るんだ」と言い、慣れた感じでレモンティーを注文していた。

 考えなしにコーラなど頼んでしまってから、ガキっぽかったかと急に恥ずかしくなり、雷斗はパーカーのフードとメニュー表で顔を隠した。


《《いいねー、カフェのチェーン店とかじゃなくて純喫茶っていうのが、この子らしいよねー》》


 紫子ゆかりこはすぐそばの空席にちょこんと座り、マイペースに店内を見渡している。


「……わたしね、高校に入って、塾に行き始めたんだけど……」


 運ばれてきたレモンティーに口をつけてから、松葉はおもむろに語り始めた。うん、とメニュー表をテーブルに置いて、雷斗はひとまずちゃんと話を聞く姿勢を作る。


「その塾の高三クラスの人で、他の高校の文芸部の人がいてね。男の人なんだけど……。たまたまちょっとお話したときに、わたしも小説書くのが好きで、中高と文芸部なんですって言ったら……。何ていうのかな、すごく興味を持たれちゃって」

「……うん?」


 雷斗には話の流れが読めなかったが、紫子はぴこーんと頭の上に電球でも浮かべたような顔になって、横からずいっと身を乗り出してきた。


《《お姉さんにはプロットが読めたぞー。その男子とやらが小説の腕をひけらかしてお付き合いを迫ってくるから、ライトに彼氏のフリしてその男子をギャフンと言わせて諦めさせてほしいのー、って話でしょ。よくあるエピソードだよ》》

(聞いてねーよ)

《《ちなみに、親が決めたイヤミな許嫁いいなずけをやりこめるパターンもあります》》

(うん、いいからちょっと黙ってて)


 うるさい幽霊を追い払う雷斗の手を見て、松葉はきょとんとした目をしていた。


「……その人、すっごく小説の力はあって、SFの新人賞で何度も最終選考に残ってるみたいなの。ノベルバトルでも、オンライン対戦で全国スコア上位にいるみたいで……」

「へー……」

「だからね、物書きとしては尊敬できる人なんだけど……。でも、連絡先を交換してから、熱心にお付き合いを求められて、わたし、困っちゃって……」


 松葉は声をひそめ、言いづらそうな表情で語った。とどのつまり、彼女の事情は、紫子が言い当てたそのまんまの内容であるようだった。


「ついウソついちゃったの。他に好きな人がいるって……。それで、話の流れで、その人も物書きだって言ったら、じゃあ自分と小説でバトルさせてみろって……」

「……アンタ、そんなメンドーなことしないで普通に断ればいいんじゃねーの?」


 雷斗がついつい思ったことを口にすると、紫子が「もう」と割り込んできた。


《《それができないくらいマジメなんだよ、この子》》

(えー……)


 どうして松葉とその上級生がそんなややこしいことになっているのか、付き合ったり何だりの経験のない雷斗にはまるで理解できなかった。好きじゃないから付き合えません、と一言断るだけじゃダメなんだろうか……。


「その人、家もお金持ちらしくて、何ていうか……すっごく自信家で。わたし、強く出れなくて」

「ふぅん……」

「お願い。キミしか頼れないのっ。わたしの恋人のフリして、その人をノベルバトルでやっつけてくれるだけでいいからっ」

「だけでいいから、って……」


 雷斗は片手で頭を押さえた。紫子に取り憑かれてからのたった二日で、どうして自分の元には、小説にまつわる面倒事ばかりがこうも立て続けに舞い込んでくるのか……。

 だが、眼鏡の奥の目をうるませて、切羽詰まった形相ですがってくる松葉の姿を見ると、メンドーだからと無下に断ってしまうのも申し訳ないような気もした。


「……ごめんね。知り合ったばかりのキミにこんなお願い……やっぱりムリだよね」

「あ、いや、ムリってことじゃっ」

「いいよ、お話聞いてくれてありがとう……。それじゃ……」


 松葉が目を伏せて席を立とうとするので、雷斗は思わず「待って」と声を上げていた。


「やるやる、やるから。しょーがねーなあ、もうっ」

「やってくれるの……?」

「だってさー、アンタのそんな顔見たら断れないだろ!?」

「……ありがとう、あらたくんっ」


 松葉は再び顔を上げ、にこっと控えめな笑みを向けてきた。

 紫子の息を呑むような美貌とも、レイナの研ぎ澄まされた可憐さとも違う、素朴な女子の素朴な笑顔。それに一瞬雷斗はドキッとして、慌てて彼女から目を背けた。

 キラキラと華のあるタイプではないが、このヒトも自分にはもったいないくらい可愛い。いやいや、あくまでニセの恋人を一日演じるだけなのだから、ヘンに意識しないようにしないと……。


《《わぁい、また小説が書けるっ、またバトルできるっ。いやー、腕が鳴りますなぁ》》


 先程のレイナの件の傷心をもう忘れたのか、紫子は早くも鼻歌交じりではしゃいでいる。そんな彼女への呆れが、どうにか雷斗の緊張を和らげてくれた。

 ラインのIDを交換したいと言う松葉に応えて携帯ミラホを取り出し、慣れないその操作をしながら、雷斗は幽霊に呼びかける。


(お前さー、頼むから本気出しすぎないでくれよ。さっきのレイナみたいになっちゃうのはカンベンだぜ)

《《んー、まあ、善処はするよ。相手の実力によるけどねー》》


 頼むぜホント、と独りごちる雷斗を見て、松葉は不思議そうに首をかしげていた。

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