第14話 一蹴(2)

 開始15分、相手のライフがゼロを示すのを見届けて、レイナは無言できびすを返した。そのままステージを降りようとしたところで、ハッと思い出して観衆に向き直り、申し訳程度の営業スマイルを作った。


「これからも、春風レイナをよろしくお願いいたします」


 ぺこりとお辞儀してその場を後にするレイナの背中に、思い出したようにパチパチと拍手が浴びせられる。


「……ワンサイドゲームじゃん」

「レイナって、やっぱ強ぇ……」

「そのレイナに勝ったさっきのヤツ、一体何者だったんだ?」


 そんな声が後ろから聞こえてきたが、レイナには振り向く気も起こらなかった。今の対戦相手がどんな人だったかさえ、もう思い出しもしなかった。

 ゲームセンターを出て、マネージャーの運転する車に揺られ、レイナはぼうっと窓の外の街並みを眺める。スモークガラスに映る自分の瞳には、父やファンの皆が燃え移らせてくれたはずの戦意の炎は見当たらなかった。


「……レイナちゃん、まさか小説を書くのをやめるなんて言わないわよね? ダメよ、そんなの」

「まさか」


 マネージャーの言葉を条件反射で否定したことに、レイナは自分で少し驚いていた。


「……わたくしには、それしかないのですわ」


 意識で考えるより早く、レイナの本能はその答えを出していたらしかった。

 アイドルとしてそれほど歌やダンスが上手いわけでもない。見た目だって自分より可愛い子はゴロゴロいる。それなら自分のアイデンティティは何なのかと考えると、やはりそれは小説を書くこと以外にありえないのだ。


「このままじゃ終われない……。いつか、いつか、あのライトって子にリベンジしてみせますわ……!」


 ぎゅっと噛み締めた唇からは、ほのかに血の味がした。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 ゲームセンターを出てすぐの、大きな歩道橋の欄干らんかんにもたれ、雷斗ライトはビルの壁面に流れる広告サイネージの表示を眺めていた。

 行き交う人々は誰も雷斗の憂鬱を知らず、足早に歩道橋を通り過ぎていく。


Rainyレイニー Wordsワーズ4thフォースシングル、「Refillリフィル a Fountainファウンテン」、6月9日リリース!』


 決まった宣伝をローテーションで流し続けるらしいサイネージの大画面には、先程からもう何度も、「Rainyレイニー Wordsワーズ」という五人組アイドルの新シングルのコマーシャルが流れている。それがあの春風レイナがセンターを務めるグループであることや、曲の作詞を彼女自らが担当していることも、映像内のテロップで派手に強調されていた。


「アイツ……ホントにすげーヤツだったんだな」


 そのコマーシャルを見て、雷斗は初めて、昨日のイベントで彼女が着ていたゴスロリ風のワンピースが新曲の専用衣装だったことに気付いた。

 五人の中でもひときわ目立つ衣装を纏い、あどけなさの残る可憐な顔立ちに不敵なスマイルを浮かべて、翡翠ひすいの瞳をカメラに向けてくる彼女。順風満帆だったはずの彼女の栄光のロードに、この自分が一度ならず二度までもケチを付けてしまったのか……。


(……なー、幽霊。コレってさあ)


 頭の中で紫子ゆかりこに呼びかけると、雷斗のそばで欄干らんかんに腰掛けていた彼女は、「うん?」と首をもたげて反応してきた。


(やっぱたたりだよなー。オレにとって以上に、あのレイナにとってさ)

《《……ライトにしてはレトリカルなこと言うじゃん。……そーだね、しょせん幽霊だからね、わたし》》


 紫子も切ない声をしていた。小説のこととなると大人げなくはしゃいでばかりの彼女だが、さすがにレイナをあんなふうに一刀両断して喜ぶようなヤツではないことは、雷斗にも何となく分かっていた。


《《でもでも、レイナちゃんはたぶん、悔しさをバネにもっと強くなってくれるよ。本気で一流作家を目指してるなら……》》

(どーかなあ。これでアイツが小説やめるとか言い出したら、100パー、オレのせいじゃん)


 ステージに膝をついて身を震わせるレイナの姿が、後味悪く雷斗の心に残影を残している。あの一戦の後、彼女がどんな顔をしていたのかすら、雷斗には想像もつかなかった。


「……ハァ」


 いつまでもここに居ても仕方がない。帰ろうか、と雷斗が息を吐いた、そのとき。


「……あの、キミっ。あらたくんっ」


 ふいに女子の声が雷斗の耳に飛び込んできた。顔を向けると、そこにはショートボブに赤い眼鏡の松葉まつばが、はぁはぁと肩で息をして立っていた。


(ヤバっ! このヒトのこと放っといて逃げちゃった)


 名前を貸してくれたお礼もロクに言わないで……。たちまち背中に変な汗を感じたが、雷斗が謝ろうとするより先に、彼女はすいっと音もなく距離を詰めて雷斗を見上げてきた。


「見つけられてよかった……。あの、わたし……キミにお願いしたいことがあって」


 ここまで走ってきたのか、乱れた息のまま彼女は言った。


「お願いって?」

「……うん。キミの文才を見込んで……キミに、わたしのになってほしいの」

「あぁ、恋人ね……って、えぇええええ!?」


 マジメすぎるほどマジメな松葉の目が、仰天して飛び上がる雷斗の顔を映していた。

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