【とあるヒューマノイドの看護日誌 / 新 雷斗(左京紫子)】
2080/12/24
記録最終日。
わたしのかわりに生きてほしい、と、そう言い残して彼女は散った。
ならば、私は生きよう。志半ばで世を去った彼女のぶんまで。
彼女が私に感情を与え、人生を与えてくれたのだから。
今日はクリスマスイブ。人間達が家族や恋人と幸せを分かち合う日。
美しい雪を愛した彼女のためにも、今日を私の新たな誕生日としよう。
彼女の愛した歌を私も歌い、彼女の愛した世界を私も愛そう。
彼女の供養と、私自身のために。
* * *
2080/10/30
記録700日目。
彼女は今日も私に元気に笑いかけてきた。
だが、私は知っている。
私に向ける笑顔の裏で、彼女の生きる力が日に日に衰えていることを。
残された僅かな時間、私は彼女に何をしてあげられるだろうか。
* * *
2080/02/15
記録441日目。
移植による延命について、彼女はやはり首を縦に振らない。
わかっていたことではあるが、それでも切ない。
それが彼女自身の揺るがない結論だと分かっていても。
私は、彼女に生きていてほしいのに。
* * *
2080/02/14
記録440日目。
AI合議体による最終診断が下った。
彼女の症状は致命的で、もはや治療は不可能だそうだ。
最初からわかっていたことだからと、彼女ははにかんで言う。
だが、私は知っている。
彼女が夜な夜な病室で泣いていることを。
愛する世界との別れを拒んで泣いていることを。
全ては神様が決めたことで、どうしようもないんだよ――と、彼女は言うが。
私は、それでも神を恨む。
なぜ、白く冷たい研究室で生まれた空っぽの私が生き長らえ、
暖かな世界で人々の笑顔に囲まれていた彼女が消えなければならないのか。
代われるものなら代わってあげたい。
人と機械は互いの人生を交換することなどできないと、わかってはいるけれど。
* * *
2079/12/31
記録396日目。
年末の休みを取る人間の医師や看護師はもちろん、
看護ヒューマノイド達も、オーバーホールのため病棟を不在にしている。
残っているのは私だけだ。
帰るべき場所もない私には、大晦日も正月も関係ない。
そう認識していたが、彼女は私が病室を後にするとき、
かしこまった調子で「今年も一年お世話になりました」と言ってくれた。
「来年もよろしくね」とも。
私が彼女のオウム返しのように「こちらこそ、来年も宜しくお願いします」と返すと、
彼女はくすくすと笑って、私のことを可愛いと言ってくれた。
私は彼女への感謝を言語化したくなり、
「いつもありがとうございます、
彼女は私の発言に少し驚いていたが、すぐに笑顔で「こちらこそ」と返してくれた。
彼女のおかげで、私は最近、「楽しい」という感情を理解してきたような気がする。
* * *
2079/10/1
記録305日目。
今日は、彼女の調子が比較的良かったので、
病室で一緒に、2030年代頃のポップミュージックの記録を鑑賞した。
彼女が歌っていた歌も、これと似たようなジャンルのものであったらしい。
私には音楽の良さというものはよくわからないが、
「わからない人の心にも響くのが、本当にいい音楽なんだよ」と彼女は言う。
なるほど、文化というものは奥が深い。
「いつか
彼女は少し寂しそうな表情をして、
「私はきっともう歌えないから、あなたがかわりに歌ってよ」と答えた。
彼女は時折、こうして、冗談なのか本気なのかよくわからないことを発言する。
だが、私に歌など歌える筈がない。
* * *
2079/5/5
記録156日目。
世間は大型連休で、病棟も人間スタッフの通常業務はストップしている。
今日は「こどもの日」という祝日だ。
祝日の名前に込められた意味というものは社会でも形骸化して久しいというが、
今でも「こどもの日」は、子供が主役のお祝いの日という認識が強いらしい。
私には無縁の世界だ。
彼女は、入院する以前には、この「こどもの日」の時期には
よく各地のイベントを回って歌を披露していたそうだ。
「歌で皆を楽しませるのが私の
「ならば、入院して歌を歌えない今の状況は、さぞお辛いでしょう」と返すと、
彼女は私の発言に目を丸くして、
「わかってくれるんだ?」と、一秒後にはくすくす笑いに転じた。
私が彼女の感情に配慮した発言をするようになったことが、よほど意外であるらしい。
だが、私も悪い気はしなかった。
* * *
2078/12/10
記録10日目。
彼女との会話にもようやく慣れてきた。
彼女は驚くほど色々なことをよく知っており、
饒舌にそれを私に語って聞かせてくれる。
恋愛、友情、親子の慈しみといった、私が体験したことのない世界のことを。
それにしても、彼女の造形や表情筋の動き、そして発する言葉は、
まるで本当に本物の人間のようだ。
彼女と接していると、時折、彼女が機械であることを忘れそうになる。
* * *
2078/12/1
本日より記録を開始する。
本日、ヒューマノイド病棟に一人の患者が入院し、私はその看護を命じられた。
局長によれば、それは当該患者に対する看護であると同時に
私に対するリハビリテーションの意味合いを持つらしい。
愛情を知らずに育った私に、人間らしい感情を取り戻させるのが目的というが、
その手段が対人ヒューマノイドとの接触というのは、何とも皮肉である。
当該患者の名は
歌唱パフォーマンスに特化した対人ヒューマノイド、いわゆるロボット歌手だが、
筐体側の動作制御中枢に固有のバグがあり、治療を要するのだそうだ。
AI側に異常はないので直ちに別筐体に置き換えれば稼動継続は可能なのだが、
「ファンの人達と触れ合ってきた『この身体』を大事にしたい」
というのが本人の希望であるらしく、身体を捨てず入院と相成ったらしい。
私は当該患者と引き合わされ、互いに挨拶と自己紹介を交わした。
「これからよろしくね」と私に微笑みかける彼女の姿は、
私よりずっと人間らしく見えた。
彼女と接することで、本当に私は人間らしくなれるのだろうか。
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