第14話 一蹴(1)

「……ウソだろ、レイナちゃんが」

「一度ならず二度までも……」


 まばらに漏れる観客の声と、空気を読まずピカピカと光る画面上の「WINNER」の文字。

 雷斗ライトの側の「ストーリーポイント」のゲージはMAXを振り切り、対するレイナのライフは呆気なくゼロを示していた。ナース型ロボットに代わって画面に現れた入院着姿の歌手型ロボットは、どこか戦いを哀しむように、切なげな表情でステージを見下ろしているように雷斗には見えた。

 レイナは糸の切れた人形のように膝から崩れ落ち、こうべを垂れていた。両膝の上で握られた白い両手が、かたかたと小刻みに震えていた。


「レイナちゃん……」


 女性マネージャーがステージに上がり、彼女に寄り添って何か言っていたが、レイナは顔を伏せたままふるふると首を振るばかりだった。そのたびにツインテールが乱れて揺れるさまが、雷斗の心にもざっくりと痛かった。

 マネージャーの他、誰もレイナに声を掛けようとする者はいなかった。観客もスタッフもしぃんと静まり返り、ステージに携帯ミラホを向けていた者達すら次々にその手を下ろすほどだった。


《《……手加減なんて、この子は望んでなかった》》


 ぽつりと紫子ゆかりこが言った。


(だからって、お前……。ここまでテッテー的にやらなくても……)


 バトルの最中、ずっと紫子の講釈を聞かされていたので、レイナの敗因は雷斗にも分かっていた。叙述トリックとやらで読者をビックリさせるだったレイナの文章を、この幽霊は、仕掛けが知れてもなお読者の胸を打つ作品でぶった斬ったのだ。

 それがもはや対等な勝負の次元ではないことは、この場の誰もが察しているはずだった。


(大人げねーって……。もっと、ちょっとの差で勝つなり負けるなりして、バトルの後にでも教えてやればよかったじゃん)

《《ムリだよそんなの。ライトの言葉じゃ説得力持って教えてあげれないでしょ。作品を通じて伝えるしかなかったの》》

(……だけどさあ)

《《大丈夫。レイナちゃんなら自分で気付いてくれる》》


 紫子はそんなことを言うが、雷斗にはとても納得がいかなかった。

 どうあれ、あんなに自信満々で、あんなに努力を誇っていたレイナが、その自信と努力をあっさり打ち砕かれて目の前で肩を震わせている……その光景を直視することは雷斗には耐えられなかった。


「……アンタ、すげーって」


 雷斗はレイナに一歩近寄って声をかけた。レイナはマネージャーに支えられ、顔を伏せたままだった。


「この歳でそんなに書けるなんてさ。だから、オレのことは気にしないでよ。オレなんかホントにただの素人で……今のバトルもインチキみたいなもんだし……。アンタのほうがずっとスゴイって」


 思いつくままに励ましの言葉を並べたが、レイナは一度も顔を上げてはくれなかった。


《《ダメだよ、ライト。今は何を言っても……》》

(……)


 マネージャーが代わりに雷斗の顔を見て、そっと首を横に振ってきた。


「……オレ、帰るよ。……あの、会場の皆さん、ネットで拡散とかしないでね」


 重たい気持ちを引きずり、雷斗はステージを後にした。観客は遠巻きに様子を見ているばかりで、誰も追いかけてはこなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 マネージャーにそっと手を引かれ、ステージから離れたベンチに力なく腰を下ろしてからも、レイナの目の前はずっと真っ白のままだった。ステージでは大会の決勝戦が始まり、タンクトップ姿の男性と別の男性がバトルを繰り広げているようだったが、今のレイナにはどんな光景も頭に入らなかった。


「レイナちゃん、飲みたいものない? 温かいお紅茶買ってきましょうか」


 マネージャーの柔らかい言葉が耳に届いたが、心にまでは届かなかった。レイナが返事をしないでいると、諦めか気遣いか、マネージャーもそれ以上は言葉を掛けてこなくなった。



 ――レイナちゃん、出版おめでとう――


 アイドルグループの小規模な握手会で、名も知らぬファンの男性が掛けてくれた言葉が、ふとレイナの脳裏をよぎる。

 沢山の人が自分の作家デビューを祝ってくれた。の後を継ぐ大作家になってくれと、レイナちゃんなら必ずなれると、多くの人達が異口同音に言ってきた。

 そうなる未来を自分も信じて疑わなかった。積み重ねてきた努力に見合う才能が自分にはあると。それを保証してくれたのは、誰あろうルーベル賞作家の父だったのだから。


 ――レイナは、物語を書くのが楽しいかい?――


 父がそう聞いてきたのは、レイナが小学校に上がったばかりの頃だったろうか。


 ――うん。たのしいですわ、おとうさま――

 ――よかった。いいかいレイナ、作家に一番必要なのは、何より、書くのを楽しむことだよ――


 記憶に焼き付いた父の笑顔が、レイナのまぶたの裏でぐにゃりと歪む。


(お父様……わたくしは……)


 膝の上で握り締めた拳がまだ震えている。マネージャーがそっと手を添えてくれた。


(わたくしは……本当に、お父様みたいな作家になれるの……?)


 胸の奥からこみ上げそうになる嗚咽おえつをレイナは必死に抑え込んでいた。ここは人の目がある。アイドル作家の自分が人前で涙を流すわけにはいかない……。真っ白な頭の片隅にギリギリ残った理性が、彼女に涙をこぼさせなかった。


「……あ。決着、付いたみたいよ」


 マネージャーの言葉と時を同じくして、ステージのほうから観衆のワッと騒ぐ声が聞こえてきた。ノベルバトルの公認大会が終わったらしいが、今の自分には、そんなこと、どうでも……。


『じゃあ、優勝者のタカオカさんに今のお気持ちを聞いてみましょう』


 スタッフの声がマイクを通じてスピーカーから溢れている。レイナはぼんやりとステージを見た。優勝者としてマイクを受け取っているのは、自分が到着したときにあのライトという少年と対戦していた、タンクトップの男性だった。


『言いたいことは一つに決まってる。俺とも勝負しろ、春風レイナ!』

「……え?」


 男性は、ベンチに座るレイナにステージ上から暑苦しい視線を向けてきていた。ざわっと観衆の注目もこちらに集まる。


『俺も叙述トリックで勝負だ。お前の実力がハリボテだってことを皆の前で証明してやるよ!』


 レイナは二秒ほどポカンとしていたが、皆の視線が集まっているのを見て、やむなく立ち上がった。


「あなた、誰ですの?」


 ステージの傍まで近付いてレイナが問うと、男性はフンと鼻息荒く答えた。


「去年のWEB小説賞で受賞するはずだった男だ。お前が出来レースで割り込んできたコンテストでな!」

「……出来レースなんて」

「違うと言うなら俺と戦えよ。あのガキにも負けて、俺にも負けて、無様な姿をネットに晒して筆を折りやがれ!」

「……」


 こんな人の相手をしていられる心境ではないのに……。

 しかし、レイナが自ら望んで背負ったアイドル作家の看板は、衆目の前で敵に背を向けることを許さなかった。


「じゃあ、わたくしに負けたら、あなたが筆を折りますの……?」

「……お、おう。いいぜ、賭けてやるよ。エコヒイキ無しの勝負なら、俺がお前なんかに負けるわけがねえ」


 ざわざわと観衆が騒ぐ中、レイナは沼地を歩くような足取りでステージへと上がった。

 男性が意気揚々とスタッフに試合の設定を告げている。モードハード、2,500文字クォーター・ショート、テクニカルオーダーのリクエストは「叙述トリック」……。


「いいか!? 皆、聞いたよな! 今日がアイドル作家春風レイナの命日だ!」


 男性は一方的に息巻いていたが、レイナの気持ちは沈んだまま盛り上がるはずもなかった。

 勝とうが負けようがどうでもいいかな、とも思った。こんな人にまで負けてしまうくらいなら、確かに自分がペンを持っている価値などないかもしれない、とも。


(……)


 残り二枚のお題が画面に表示され、試合開始の合図と共にタイムカウントが減り始める。キャラクターオーダーは「メンヘラ」、ストーリーオーダーは「嫉妬」……。

 こんな暗いテーマが今の自分にはお似合いかもしれないと思うと、人前にもかかわらず自嘲めいた笑みが自然に漏れた。

 冷めた気持ちのままキーボードを叩き始める。タイトルは……『令和20年(は)第108号 殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件』。そして本文は……。


「うおっ、速ぇっ……」

「一方的じゃん……」


 観客達が驚嘆の声を漏らすのを横目に、レイナは目を上げもせずキーボードに指を走らせる――。

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