第9話 代理参戦

 そして、翌日――


《《今日はたくさん小説書けるかなー。ねーねー、何人くらい参加するんだろうねー》》

(さあ……)


 朝から元気な幽霊――紫子ゆかりこを連れて、雷斗ライトは電車に揺られ、ノベルバトルの大会が行われるという都内のゲームセンターを訪れていた。

 カラオケやボウリング場も一体となった大型アミューズメント施設として知られるその場所は、ただの休日とは思えない熱気に満ちていた。


《《わー、すごいすごい。あれみんな大会に参加する人かな?》》

(いやー……見に来ただけの人も多いと思うけど……)


 大会が行われるエリアはすぐにわかった。昨日の駅前広場の特設ステージと似た大画面の下で、大会のスタッフと思しきスーツ姿の人達がせわしなく動き回っている。そして、そのステージの周囲には既に多くの人が集まり、今か今かと開会の時を待っているようだった。

 男もいれば女もいる。ほとんどが若者だったが、中には三十代以上と見える大人もいた。


(マジか……。小説にキョーミあるヤツが世の中にこんなにいるのかよ)

《《やー、お姉さんは安心したよっ。こんなゲームが流行ってるくらいだし、むしろわたしの頃より小説の人気って盛り返してるんじゃない?》》

(ふーん……よくわかんないけど……)


 パーカーのフードをぐいっと引っ張って顔を隠し、雷斗は人だかりの中を縫って歩いた。

 大会のエントリーはどこでするんだろう、とキョロキョロ周りを見ながらゲームセンターの中を進んでいると、「NOVEL BATTLE」と書かれたゲームの筐体きょうたいがずらっと並んだエリアがあった。薄型の画面と、仮想バーチャルキーボードの投影台、超指向性パラメトリックのスピーカーなどが一席ごとに備え付けられている。

 並んだ筐体はその半分ほどが客で埋まっていた。大会前の練習なのか、通りがかりのプレイなのかは知らないが、誰もが真剣な顔をして仮想バーチャルキーボードを叩いている。


「……すげー」


 その光景に気圧けおされて雷斗が思わず声を漏らすと、一番近くの筐体に座っていた女子が、ちらりと顔を向けてきた。

 紺色のカーディガンを羽織り、ショートボブに赤い眼鏡を掛けた、大人しそうな女子だった。年齢は雷斗と同じか少し上くらいだろうか、一瞬雷斗と目が合った彼女は、恥ずかしそうに顔を背けてまた筐体の画面に向き合っていた。


《《あの子も大会出るのかな?》》


 紫子の声を背後に聞きながら、雷斗は何の気なしにその女子の筐体に近付き、そっと画面を覗いてみた。画面の上部には「オンラインモード」と出ており、昨日の特設ステージでの対戦と同様、互いの打った文章からキャラクターが飛び出してきてプレイヤーのライフゲージを削り合っている。


(へぇー……。『ワンテーマバトル』?)


 画面の中心には「弁護士」と書かれた金色のカードが表示されていた。昨日の戦いは、メジャーワードとマイナーワードという二つのお題に沿って書く形になっていたが、こちらは一つのお題だけで書くルールのようだ。

 眼鏡の女子は雷斗に背中を向けたまま、かなりの速さでキーボードをタイプし続けていた。


《《へー、見て見てライト、すごいよ、この子。ちゃんと法律用語とか使ってるっ》》

(なになに?)


 ライトはもう少し近寄って画面を見てみた。対戦相手の文章からは黒スーツのガラの悪い男が、こちら側の文章からは灰色スーツの地味そうな男が現れ、互いにバシバシと金色の火花をぶつけ合っている。



【「弁護士せんせいよぉ。ここまで付き合って貰って悪いが、これ以上あんたを巻き込む訳には行かねえ。俺は一人で逃げるぜ。孤島でも外国でも構わねえ、とにかく時効が来るまで身を隠してりゃあ……」


  霧野きりのは血の滲む足を引きずり、そう言った。


 「よく聞け、霧野六郎ろくろう


  黒島くろしまは脱獄者の両肩に手を添え、真剣な眼差しでその目を覗き込んだ。 】



 対戦相手の文章はこんな感じだった。対して、眼鏡女子が一心不乱に打っている文章は――。



【「ウチが証人になったら、ホンマに旦那あのひとは刑務所に行かずに済むん?」

 「絶対とは言えませんが、そうなる可能性は高いと考えられます。奥さんの証言は、被告人に帰る場所があること、健全な社会復帰を促してくれる身内がいることを裁判官にアピールする大事な情状じょうじょう証拠になるんです」


  昼田ひるたマコトがそう説明すると、被告人の妻は煙草の煙を吐き出し、「それなら、なるわ」と承諾した。

  昼田は彼女が情状証人を引き受けてくれたことに安堵して、礼を述べ、被告人のアパートを出た。 】



(全然わかんねー……)


 両者の文章を見て、雷斗は片手でひたいを押さえた。何の話をしているのかさっぱり分からない……。


(どっちが勝ってんだ、コレ……?)


 互いのポイントのゲージを見ると、「ライティングポイント」は僅差で対戦相手がリード、「ストーリーポイント」も同じく対戦相手が優勢。そして「キャラクターポイント」は倍以上もの差で相手の勝ちとなっていた。


「何だよ、負けてんじゃん……」


 無意識に声に出してしまってから、雷斗はあっと慌てて口を押さえた。時既に遅く、女子はぴくりと肩を上げ、タイピングの手を止めてそっと雷斗を振り返ってきた。


「いや、ゴメン、その」

「……キミ」


 大人しそうな顔にかすかな驚きの色を浮かべ、女子はまっすぐ雷斗の顔を見上げてくる。


「ひょっとして、昨日レイナちゃんと戦ってた、あの……?」

「! ヤバっ!」


 雷斗は咄嗟にフードをずり下げて顔を隠そうとしたが、既にバレていては意味がない。

 女子はじっと雷斗を見て、目をパチパチとしばたかせていた。そうしている間にも、画面内では相手の文章が書き進められ、黒スーツの男キャラが火花を撃ち出してきている。



【「今の日本には時効なんて無えんだ。仮にあったとして、警察サツに指紋もDNAも取られてるお前が、その怪我でどうやって何年も逃げ隠れするつもりだ? お前が生きて彼女に会うには、法廷に出て無実を証明するしか無えんだよ」

 「……ざけんな。今更になって裁判にかかれだと!? わかってんのか、なんだぞ。んなモン、どうやって証明すんだよ。真犯人ヤツの超能力を裁判官に認めさせねえと、俺の無実は――」

 「心配すんな。俺が何て呼ばれてるか知ってんだろ? やみ弁護士、ブラックレオン様に不可能は無えよ」


  黒島の言葉に気圧けおされ、霧野が黙ったところで、水路の入り口の方から犬の鳴き声と数人分の足音が聴こえてきた。警察の追っ手が遂に二人を追い詰めてきたのだ。 】



 相手のキャラクターポイントとストーリーポイントがさらに少し伸び、対するこちらのライフゲージは相手の攻撃で削られていく。既にライフは残り僅か、制限時間のカウントもあと数分に迫っていた。


「あの、アンタ、続き書いた方が」

「……あっ。そ、そうだね」


 女子はたちまち顔を赤くして、再び画面に向き直り、キーボードを叩き始めた。



【「さて、次の電車まで二十分か……」


  駅のホームに辿り着いた昼田は、自販機で缶コーヒーを買い、ベンチでスマホを眺めた。この後は簡裁かんさいで損害賠償請求の弁論べんろん期日きじつがあるが、今回は尋問は予定されておらず、書面を供述するだけの簡単なお仕事だ。

  それが終わったら事務所に戻り、来週の離婚事件の起案きあんを進めなければならない。それと、残業代請求の件の内容証明も打たなければ……。


 「街弁まちべんってのは難儀な商売だよ、全く」


  昼田の小さな呟きを聴いた者は、誰もいなかった。 】



 規定の文字数ギリギリでそこまでの話を書き終え、女子はふうっと息を吐いた。しかし――。


(どーよ、センセー)

《《弁護士さんの日常感は出てるけど、キャラが弱くて『引き』がないかなー。あと一息って感じ》》


 紫子がのんびり首を傾けて言うのと同時に、相手のキャラの攻撃がこちらの最後のライフポイントを削り、ゲージは呆気なくゼロになってしまった。

 画面に大きく表示される「YOU LOSE」の文字。女子はわかりやすく肩を落としていた。


《《でもでも、あの歳でちゃんと知識があるのはすごいよ。ライトとは大違い》》

(どーせオレは国語の成績2だよ)


 女子が恥ずかしそうな顔で三たび振り向いてくる。せめてもの励ましと思って、雷斗は紫子の言葉をそのまま口に出した。


「弁護士さんの日常感?がよく出てるってさ。この歳でちゃんと知識があるのはスゴイ?って」

「……どうして伝聞でんぶん調?」


 彼女は指先で眼鏡を直す仕草をし、控えめの声でぽつりと言った。


「あの……キミも大会に出るの?」

「あ、ああ、そのつもりで来たんだけど。受付ってどうすんのかな」

「あっちだよ」


 筐体の椅子に座ったまま、彼女はすっと雷斗の後ろを指差した。振り返ると、確かに店員のいるカウンターがあった。

 ありがと、とお礼を言って、雷斗はカウンターに向かったが――。


「当日参加は1,000円お願いします」


 女性店員に料金を告げられ、げっ、と雷斗は硬直した。

 カウンターに置かれた大会のチラシに反射的に目をやると、前日までの事前エントリーは500円、当日の飛び入り参加は1,000円と書いてある。


「お金要るのかよ……」

《《調べてなかったの!?》》


 ばりっと財布を開けて見てみたが、わざわざ確認するまでもなく、そこには十円玉や百円玉がジャラジャラと入っているばかり。携帯ミラホの決済は親が電車代しか設定してくれてないし……。

 困り顔の店員に「あはは」と笑って誤魔化して、雷斗はすごすごとカウンターを後にした。


(ワリぃ。そういうことだから、参加ムリっぽい……)

《《そんなぁ……。せっかく楽しみにしてきたのに、くすん》》


 紫子は目に見えて意気消沈していた。着物の袖を目元に寄せて、よよよ、と泣き真似をする彼女を見ると、そもそも脅されて小説を書くのを約束させられたことも忘れて、流石に雷斗もチクリと胸が傷んだ。


「……エントリー、できた?」


 筐体のほうに戻ると、眼鏡の女子が小さな声で尋ねてきた。


「いや、それがオレ、お金要るって知らなくて」

「えぇ?」

「まあ、今回は見学してくよ。どーせ、このゲームのこともよくわかってないしさ」


 雷斗が言うと、彼女は少し考え込む素振りを見せてから、「あの」と続けて声を掛けてきた。


「よかったら……わたしの代わりに出る?」

「えっ。そんなこと出来んの」

「わたしの名前でキミが代わりに出たらいいよ。……わたし、高一の花里はなざと松葉まつば、松の葉って書いてマツバ。この名前なら、男の子でもバレないと思うから……」


 赤いフレームの眼鏡越しに雷斗を見上げてくるその目は、冗談を言っているふうには見えなかった。


(だって。どうす――)

《《出たいー! 出たい出たい! でも、この子に悪いよ。ホントにいいの?って聞いてっ》》


 たった今の落ち込みぶりがウソだったかのように、紫子はぴょんぴょんと飛び跳ねんばかりの勢いで身を乗り出している。


「あー……。ホントにいいのか? アンタだって楽しみにして来たんだろ」

「うん……でも、わたしが出ても、どうせすぐ負けちゃうし……。それより、わたし、レイナちゃんに勝ったキミの力が見てみたい」

「いや……昨日のアレはマグレだから。ていうか、見てたの?」

「ネットでちょっと話題になってるよ。謎の中学生現る……って」

「マジで!?」


 雷斗が目を見張ると、松葉と名乗った眼鏡女子は、初めてくすりと笑った。


「……じゃあ、まあ、そういうことなら……。マツバさん?の振りして出るよ」

「よかった。……あの、キミ、名前は?」

「オレ、あらた雷斗ライト。ネットで言いふらさないでよ」


 有名チューバーを夢見る雷斗ではあるが、小説のことでヘンに有名になってしまったら困るという思いがあった。紫子が居る間はまだしも、この幽霊だっていつ成仏してしまうか分からないのだし……。

 松葉はこくりと頷くと、小さなポシェットを漁り、一枚の名刺を雷斗に差し出してきた。白地にオレンジ色の印字がされた、手作り感溢れる名刺だった。

 記された名前は、ふりがな付きで「花里はなざと 橘香きっか」とある。


「キッカ?」

「うん……。本名は女の子っぽくなくて、あんまり好きじゃないの。だから、ネットではこの名前使ってて……」


 ほおを染めて語る彼女の言葉を聞いていると、紫子がひょこっと名刺を覗き込んで言った。


《《花散里はなちるさとの連想で橘香なの? ステキなペンネームだねー》》

「ハナチルサト?」

《《たちばななつかしみ時鳥ほととぎす、花散る里をたづねてぞふ……だよ》》


 雷斗が脳内にハテナマークを浮かべていると、目の前の松葉が「わかるの!?」と声を裏返らせ、がたっと椅子から立ち上がっていた。


「へ?」

「さすがレイナちゃんに勝つほどの人……。あの、源氏物語だと誰が好き?」


 裏返ったままの声で詰め寄る彼女に、雷斗は面食らうばかり。


「えぇ、なんだっけそれ、ギオンショージャの鐘の声?」

「……ジョークはあんまり得意じゃないんだ」

「悪かったな!」


 背中にヘンな汗を感じる雷斗をよそに、紫子は松葉の周りにぱたぱたと纏わりつきながらテンション高く言っている。


《《あぁぁ、この子と話したいなー。わたし、源氏物語なら一週間寝ずに語れるよ!》》

(お前……そんなことしてるから早死にするんじゃねーの)

《《ねーえー、ライトー、通訳してよー。喋りたい喋りたいー》》

(ムリだって!)


 雷斗が紫子を静めるように手を振ると、松葉はきょとんとした顔で首をかしげた。

 小説に詳しい幽霊が憑いてるなんて言ったら、流石にこの松葉という高校生だって自分にドン引きしてしまうだろう。


『――皆様、お待たせ致しました。これよりノベルバトルの公認大会を開始します』


 ちょうどそこで、館内放送が大会の開始を告げた。


(ホラ、始まるぜ)


 果たしてどうなることやら、と思いながら、雷斗は人だかりの中へと足を踏み出した。

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