第8話 ラブコメ流脅迫術

「こら、ライト! あんた旅先で悪さしたんですって!?」


 自宅のマンションに帰り着いた雷斗ライトを待っていたのは、稲妻のような母の怒声だった。


「担任の先生から電話があったわよ。夜中に抜け出して先生方に迷惑掛けるなんて、お母さん恥ずかしくて外も歩けないわ」

「センセー達にイヤってほど叱られてきたよ……。もういいじゃん」

「よくありません! もうチューバーは禁止! それから、今度の定期テストで平均50点以上取れなかったら小遣いナシですからね!」

「うぇえええっ」


 スポーツバッグを床に取り落とし、雷斗は頭を抱えた。


 それから、冷めてしまった夕食を平らげ、親に言われるがまま雷斗は風呂場へと向かった。

 自業自得で招いたこととはいえ、本当に散々な一日だった。明日から週末で学校も休みだし、せめてゆっくりお風呂に浸かって癒やされるか……と考えながら服を脱いでいると、例によって幽霊がマイペースに話しかけてきた。


《《平均50点って……。ライトってホント、そういうレベルで勉強苦手なんだ》》

(うるせーなー。だからそう言ってんじゃん)

《《国語と社会くらいなら、わたし教えてあげれるよ?》》

(そのかわり小説書かせろって言うんだろー)

《《よくわかってるじゃん》》


 脱いだものを洗濯機に放り込み、雷斗は何の気なしに振り向いて――そして。


「ウワアァァ!!」


 マンション中に響き渡るほどの声で絶叫した。

 幽霊が――誰もが振り向きそうな美貌の女性である彼女が、ごく当たり前のように紫の着物の帯を解き、するすると着物を脱いで白い柔肌を雷斗の眼前に晒していたからだ。


「なに、どうしたの!」


 母が慌てた形相で脱衣所に飛び込んでくる。雷斗は咄嗟にバスタオルを引っ掴んで前を隠し、「なんでもないっ」と必死に手を振った。

 雷斗の身体を上から下まで見て、母はホッとした様子で溜息をつく。


「お母さん心臓止まるかと思ったわよ。オバケでも見たの?」

「そ、そーそー、そんなとこ」

「心霊配信とか、バチ当たりなことやってるからよ。さっさとお風呂入っちゃいなさい」


 それだけ言って母は出ていった。からりと脱衣所の扉が閉まるのを見届けて、雷斗はタオルで前を隠したまま目を伏せて言う。


(お前、なんで服脱いでんだよ!)

《《えー? お風呂入るんなら、幽霊といえど一応、形にはのっとろうと思ってー》》

(マジでカンベンしてって。てゆーか、お前までお風呂入って来なくていいじゃん、外で待ってろよっ)

《《そんなの寂しいよぉ。わたし、誰かと話し続けてないと死んじゃうー》》

(もう死んでんだろ!? じゃあ、入ってくるのはいいから、服着ろ、服っ)


 はぁっと胸を押さえて心臓の鼓動を鎮めようとする。血流が落ち着くのを待って、雷斗はタオルを置いて浴場の扉を開けた。


《《まあ、着物も全部幽体だから、濡れないんだけどさー。なーんか味気ないよねー、せっかくのお風呂なのに》》


 雷斗が閉めた後の扉をすいっとすり抜けて、幽霊は浴室に入ってきた。

 カンベンしてくれよと思いながら、石鹸で身体を洗い、シャワーで流して、静かに湯船にダイブする。幽霊は言われた通り着物を着直して、洗い場のバスチェアにすとんと腰を下ろしてこちらを見ていた。


《《でも、さっきみたいなシチュエーション、平成のラノベでよくあったよね。今もあるの?》》

(知らねーよ。本なんか読まねーし)

《《ダメだぞ少年、本を読まなきゃ賢くなれないぞー》》


 幽霊の声は雷斗の頭に直接届いているはずなのに、なぜか、風呂場特有のくぐもった響き方になっていた。

 もう彼女は服を着ているのに、澄んだ目で見つめられると無駄にドキドキする。幽体とはいえ自宅の風呂場に絶世の美女がいるというシチュエーションが、雷斗の心拍数を容赦なく引き上げているようだった。


《《あ、いいこと思いついた》》

「何だよっ」


 雷斗が目を逸らすと、彼女はわざわざ雷斗の前に――つまり湯船の中に回り込んで、彼の顔を覗き込んできた。

 着物が濡れるようなことはなく、ただ彼女の身体は透けて浴室の景色と溶け合っているだけだったが、すぐ眼前に美人の顔があることの威力は、彼女いない歴イコール年齢の雷斗の意識を金縛りにするには十分だった。


「ひっ――」

《《少年、わたしに小説を書かせなさぁい。さもないと幽霊のたたりがあるぞよ》》

(な……何だよ、祟りって)

《《小説を書かせなければ、少年は毎夜毎晩、美女の裸を見て悶絶することになるであろー。夜も眠れなくなって学校の勉強にも支障が出るであろー。畢竟ひっきょう、テストの点数も上がらず、お小遣いを止められてしまうであろー》》

(っ……!)


 雷斗のすぐ目の前で、幽霊が着物の胸元を両手で掴む。黒い髪と対象的な真白い胸元が、少しだけあらわになった。


(お、お、お前っ、恥じらいとかねーのかよっ)

《《べつにー、もう死んでるし。お子様相手に何とも思わないしー》》

(く……!)


 胸元を開けたままずいっと迫ってくる彼女の圧力に耐えきれず、雷斗はとうとう頭の中で叫んだ。


(わかったわかった! どーにかするからっ! 小説書けるようにするからっ!)

《《素直でよろしい》》


 幽霊は、にまっと笑って、ようやく雷斗の前から離れてくれた。

 ふーっと隠すべきところを隠して息を吐く雷斗を、彼女は横からくすくすと笑って見ている。


《《じゃー、そのかわりに、教えれる勉強はお姉さんが教えてあげましょー。苦手な国語で100点取れるようになったら、先生もお母さんも褒めてくれるんじゃない?》》

(もー、なんでもいいっす、はい……)


 雷斗はあらゆる反抗を諦め、ぶくぶくと湯船に顔を沈めた。


《《意外と使えるなあ、ラブコメ流脅迫術……》》


 幽霊のふざけた声が、くぐもって頭に届いた。




 疲れを癒やすどころではなかった入浴を終え、雷斗は自分の部屋のベッドにもぐり込んだ。

 枕元の充電コードに繋いだ携帯ミラホを布団の中で操作する。幽霊が横からブルーライトが何たらと言いかけてきたが、すぐに「今はそういうのもないのかな」と一人で納得して言葉を引っ込めていた。


(つっても、紙とペンで小説書くのはマジでキツイからさー……。やるなら、あのノベルバトルってヤツじゃないと)

《《うん、わたしは書ければ何でもいいよー》》


 幽霊は、一人用の小さなベッドにまでは流石に入ってくることはなかったが、そのかわり、雷斗の枕元にちょうど顔が来るように床にちょこんと座り込んで、じっと彼の顔を覗き込んでいた。


(幽霊って寝なくていいのか?)

《《わかんない、初めてだもん。たぶんライトが眠ったらわたしも眠るんじゃない?》》

(ふーん……。あっ、なんか、ちょうどイベントやってんじゃん)


 雷斗の検索に応え、ミラホのAIは明日の土曜日に開催されるというイベントの情報を画面に表示してくれていた。あのノベルバトルというゲームの大会が、都内のゲームセンターで行われるらしい。


(とりあえず、これ連れてってやるから。それでいーだろ?)

《《うんっ。楽しみすぎて夜しか眠れなさそうっ》》

(……何それ。昔のギャグ?)


 そういえばコイツ、若いお姉さんみたいな見た目だけど、もし生きていたら自分の親くらいの年齢なのか……。と、不思議な感じを覚えたところで、雷斗はふと思いついた。


(そーだ。お前のことも調べてやれ)

《《え、わたし? うん、調べて調べてー。平成の紫式部と呼ばれた稀代の天才、左京さきょう紫子ゆかりこ様とはわたしのことだよー》》

(そーゆーの、自分で言うかね、フツー……)


 呆れた目で幽霊を見てから、雷斗はミラホの検索画面に彼女の名前を打ち込んだ。


(ふーん……2018年没、享年25歳? ってことは、今年で45歳? マジで母さんと同じくらいじゃん……)

《《いやいや、その計算はおかしいからっ。わたし今でも25歳のままだからっ》》

(まあ何でもいいけどさ……)


 百科事典サイトの画面をスクロールしていく中で、雷斗はふと気になる記述を見つけた。


(作家として人気絶頂にあった2018年、突如、逢魔おうまヶ池がいけで……何これ、何て読むの)

《《んー? あぁ、溺死体できしたいとなり発見される、だね》》

(……。警察は彼女の死を自殺と断定したが、現場から遺書などは発見されておらず、死の理由は謎に包まれている……。へー、お前ってそんなミステリアスなヤツだったんだ)

《《……まーね。すごいでしょ》》

(それで、なんで死んだの?)

《《まあ、それはいーじゃん。いつか教えてあげるよ》》


 彼女の声は、その時だけ少し切なげだった。


(ふーん……。まあ、いいけど……)


 雷斗はミラホを手放し、ごろりと上を向いた。

 幽霊――左京紫子の死のことが気にはなったが、彼の心身を襲う眠気は、彼にそれ以上考え続けることを許さなかった。

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