第7話 レイナの屈辱

 バトルの決着は、雷斗ライトが拍子抜けするほど呆気なかった。


『――春風はるかぜレイナ、ライフポイントゼロ。挑戦者チャレンジャーの勝ち……』


 会場に静かなざわめきが広がっていく。画面左側のレイナのライフポイントゲージは確かにゼロを示し、甲冑かっちゅう姿の織田信長は既に煙のように消えてしまっていた。

 誰もが呆然として声も出せない様子だった。AIの黒人DJも、ステージを囲む観衆達も、そしてレイナ自身も……。


(え……。何だよ、この空気……)


 自分側の画面に煌々こうこうと輝く「WINNER」の文字と、口を半開きにしたまま固まるレイナを交互に見て、雷斗は「あの」と思わず口に出していた。

 彼女のほうに一歩だけ近寄り、声を掛ける。


「……なんか、悪い。大丈夫か……?」


 すると、じっと画面を見上げていたレイナは、初めて雷斗の存在を思い出したように、キッと鋭い目をこちらに向けてきた。


「!」


 彼女のその動きで、会場の全てが我に返ったようだった。


『……挑戦者チャレンジャー、キミは一体何者なんだい』


 画面内からDJが尋ねてくるのと同時に、周りの観客達もざわざわと口々に声を上げ始める。


「何なんだ、アイツ」

「レイナちゃんを負かすなんて只者じゃねーぞ」

「キミ、名前は!」


(――やべっ!)


 雷斗は慌てて足元のスポーツバッグを引き掴み、ステージから駆け下りた。あれこれ問い詰められたら、たまったものじゃない。


「ノベルバトルが初めてってのはウソか!?」

「インチキに決まってる! 何かイカサマしてんだろ!」

「おい、名前くらい名乗って行けよ!」


「ゴメン、オレ急いでるからっ」


 口々に騒ぎながら周りを取り囲んでくる観客達を振り払い、雷斗は駅に向かって走った。さすがに本気で追いかけてくる人までは居ないようだった。

 ミラホをかざして改札を通り、発車間際の満員電車に駆け込む。誰も付いてきていないことを確認して、雷斗はようやくふうっと息を吐いた。


《《ねー、別に逃げなくてもよかったんじゃない?》》


 雷斗が目の前の吊革を掴んだところで、幽霊が後ろから言ってくる。雷斗がぶんぶんと首を横に振ると、隣のサラリーマンが怪訝そうな目を向けてきた。


(いやいや。オレ、小説のこともあのゲームのことも何にも分からねーんだから、捕まって問い詰められても困るだろっ)

《《えー、でも。チューバーだっけ? 配信でお金持ちになりたいんでしょ? 名前を売るチャンスだったじゃん》》

(あ……)


 幽霊に言われ、雷斗は初めてその発想に思い至った。

 そうか、幽霊コイツの文才を使えば一攫千金も……。いやいや、でも、自分自身の力じゃないことで目立っても、どこかでボロが出てバレるかもしれないし。


《《ねーねー、ライト、小説書くの楽しかったでしょー? これからもわたしに身体使わせてよー》》

(言い方がコワイんだよ!)


 声が出そうになるのをギリギリ抑えて幽霊にツッコミを入れつつ、雷斗は先程の光景を思い出していた。

 幽霊の作品のパワーを前に、呆気なく削られていった春風レイナのライフゲージ。あれほど自信満々だったレイナの、呆然と目を見開いて固まった姿……。

 正直、勝利の爽快さなど味わいようもなかった。雷斗の胸には、歯がゆい気まずさが残るばかり。


(……お前さあ。勝ち負けは関係ないとか言いながら、あんな、オレと同い年の子をさくっと負かしちゃって……。大人げないんじゃないの?)


 周囲の乗客の姿と溶け合った幽霊の横顔を見やり、雷斗が口を尖らせると、幽霊は「うーん」と首をひねって答えた。


《《まあ、大丈夫じゃない? そんなに差がつかないように書いたつもりだし。ホラ、こっちのライフもだいぶ削られてたから、接戦の感じは出てたと思うよ》》

(初めてやるゲームで、よくそんな器用なことを……)


 確かに、言われてみれば、レイナが先に序盤の文章を書き上げて先制攻撃を仕掛けてきて以降、互いのライフを巡る攻防はずっと一進一退だったような気はする。少なくとも、レイナが前のプレイヤーにしていたように、圧倒的なワンサイドゲームでねじ伏せるといった感じではなかったような。


(……じゃあ、そんなに心配しなくてもいいのか?)

《《まあね。それにホラ、あの子のレベルなら多分、わたしのアドバイスをちゃんと受け取ってくれたはずだよ》》

(ふーん……)


 なんだかよくわからないが。

 とにかく、もう小説はコリゴリだ……と、雷斗は改めて思ったのだった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 自分を負かした少年が逃げるように立ち去ってからも、春風レイナはずっとステージに立ち尽くし、勝敗の付いた大画面を見上げていた。身体の小刻みな震えを抑えるように、その右手は知らない内に自分の左腕を強く掴んで握り締めていた。


「まさか、レイナちゃんが負けるなんて」

「あの相手の子、何者なんだ……」


 客席からざわざわと上がる声を意識の片隅に聞きながら、レイナは画面右側に表示された対戦相手の文章を何度も読み返していた。試合規定レギュレーションの2,500文字を使い切りすらしない、僅か1,500文字足らずの字数で綴られたその短編は、あの謎めいた少年と自分との力の差を厳然とレイナに見せつけていた。


(わたくしには……あんな作品は書けない)


 そもそも、2,500文字クォーター・ショートの文量で書けることなど限られている。こうした短い文字数のノベルバトルにおいては、連載作品の第一話という体裁で「つかみ」のインパクトを強調したり、派手な戦闘シーンなどの一エピソードを切り取ってキャラと文章力を見せつけるのがセオリーだった。

 だが、あの少年が即興で綴った物語は、そうした発想の何枚も上を行っていた。与えられたお題に沿って安直に織田信長を異世界転生させた自分を嘲笑あざわらうように、彼は転生と信長というテーマをメタ視点の発想で掛け合わせ、たったあれだけの文字数で読み応えのあるコメディに仕立ててみせた……。

 観客達には僅差の負けに見えたかもしれないが、直接向き合った自分にはわかる。あれは戦いなんかじゃない。あれは……。


「レイナちゃん、大丈夫?」


 横からの声にハッと顔を向けると、マネージャーのレディススーツ姿があった。


「さあ、帰りましょう」

「ええ……」


 力なく彼女に答え、観客達からのねぎらいの声に静かに手を振って、レイナはステージを後にする。

 スモークガラスのワンボックスカーの座席に収まり、レイナがシートベルトを締めると、マネージャーはすぐに車を発進させた。


「負けたって言ったって、ほんのちょっとの差じゃない。たまたまよ」


 二人きりの車内で、マネージャーはそう言って慰めてくれたが、レイナはふるふると首を横に振っていた。


「違いますわ。あの子の書き方は、そんなレベルじゃない……」


 バトルの光景が何度もレイナの脳裏で繰り返される。

 自分と同じ中三だというあの少年。ノベルバトルは初めてだと言っていた。とても普段から小説を読み書きしているようなタイプには見えず、現にキーボードのタイピングもそれほどスムーズではなかったが……。

 しかし、その外見や言動からは予想も付かない、あの力。


「あの子は、わたくしの筆力を測っていた……」


 ゴスロリワンピースの膝の上できゅっと握った手が、小さく震えている。

 あれは戦いなんかじゃない。あれは――指導だ。


「同じペースで書き進めながら、文章を通じて無言のアドバイスを送ってきたんですわ。このテーマはこう掛け合わせたらいいんだよ、コメディはこんな風に書いたらいいんだよって。プロの先生が教え子に対してするみたいに!」


 ばん、と自分の手が無意識に座席を叩いたことにレイナは気付いた。驚愕と混乱と屈辱に囚われ、彼女の思考回路は悲鳴を上げそうだった。


「あの歳でどうしてあんな力を。一体何者なんですの、あの子……!」

「考えすぎよ。レイナちゃんと互角に戦える中学生なんかいるわけない。まして、レイナちゃんに教えるほどの筆力なんて……」


 車のルームミラーにはマネージャーの困ったような顔が映っていた。

 レイナ自身だって、そんな中学生がいるはずがないと思う。仮に居るとしても、あんな初心者めいた少年では絶対にないと。だが、しかし、先程起きたことは、紛れもなく現実で……。


「ホラ、ちょうどが出てるわ。レイナちゃんはルーベル賞作家の令嬢なんだから、自信持たなきゃ」


 マネージャーがすっと片手でカーナビの画面を示した。テレビに切り替わったその画面には、誰あろうが映っていた。


『ライバルと思う作家、ですか?』


 上品な和装に身を包んだ父が、テレビ局のスタジオに呼ばれてインタビューに答えている。鋭い眼光を宿した瞳に少しの遊び心も浮かべ、父は余裕の笑みで語っていた。


『それは当然、文壇の全員がライバルですよ。これから来る人達も含めてね』


「お父様……」


 レイナは後部座席から身を乗り出して、その小さな画面に釘付けになっていた。日本人として史上四人目のルーベル文学賞受賞者となった父の存在は、レイナの努力と自信の源泉であり、また遠き憧れの目標でもあった。


『だけど、そう――。がもし生きていれば、私が当代一の作家なんて呼ばれることは無かっただろうと。今もそう思っている相手が、一人だけ居ます』


 画面の中の父は遠い目をしていた。レイナは自分でも何故か分からないままに、画面から視線を逸らし、車の窓へと目をやっていた。

 父と互角に名声を争いうる作家が居たことなど信じたくなかった。同世代で自分を負かせる者がいることを信じられないように。


『先生、それは?』

『平成の終わりとともに世を去った稀代の天才……左京さきょう紫子ゆかりこ


 父の声は、静かにレイナの鼓膜を揺らした。

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