第4話 雪国って何?
(
ニヤリ笑いを抑えられないまま、
少し離れた席では担任が腕を組み、興味半分、
(いけるよな、幽霊)
《《うんっ。やるじゃん、キミ。任せてねー、わたしがバッチリ先生を唸らせてあげるっ》》
早くも待望の小説を書けるとなり、幽霊も美しい顔に弾けるような笑みを浮かべていた。
くるりと手元でシャーペンを回し、はて、と雷斗は彼女に問いかける。
(でも、何だっけ、雪国って。なんか聞いたことあるような気はするけど)
《《えぇぇ、基本教養じゃん。『国境の長いトンネルを抜けると雪国だった』って知らない?》》
幽霊が本気でビックリした顔をしてくるので、雷斗もぎょっとした。
確かにそんなフレーズを聞いたことがあるような気はしたが、ああ、あの文章のタイトルが「雪国」なのか……。
(だから、国語の成績ヤバヤバなんだってオレ。何だっけそれ、渋沢栄一?)
《《渋沢栄一は実業家でしょ》》
(あれ、でも、一万円札の人じゃん?)
《《あ、ふぅん、今はそうなんだ? あれ、結局今って何年なの?》》
(2038年だよ。令和20年)
《《ふーん……。平成の次の元号、レイワになったんだ》》
シャーペンを手元でぶらぶら揺らしながら幽霊と話していると、担任が「おぉい」と半笑いで声を掛けてきた。
「まだ書き始めないのか、作家先生」
「書くよ、書く書く! 見てろよセンセー」
シャーペンの先をぴたりとノートの紙面に付けて、雷斗は心の中で「早くっ」と幽霊を急かす。
《《あの先生は川端康成が好きなんだよね。じゃあ、うん……こんな感じかな。現代版雪国。いいっ、わたしの言うとおりに書いてね》》
(オーケー、よっしゃ来い!)
幽霊はぴしっと人差し指を立てて、今考えたらしい文章を
《《『最後のトンネルを抜けると美しい街が近付くという。文豪が綴った夜の底の白さは今も昔も変わらぬようであった』》》
彼女の
(えー、最後のトンネルを……抜けると……。……ブンゴー? ってどう書くんだっけ?)
たった一行目で雷斗の手は止まってしまった。幽霊が呆れた声で教えてくれる。
《《……。文章の文に、豪華の豪だよ》》
(ゴーカのゴー? ってどんな字?)
《《……もういいや。『偉人が綴った』にしといて》》
(イジン……ってどう書くの)
《《えぇぇぇ……》》
幽霊はたちまち白い手で
(なんだよー、しょうがねーじゃん。国語の成績2のオレでも書ける字でやってよっ)
《《いいよ、じゃあ、『大作家が綴った』って書いといて。なーんか締まらないけど》》
(ツヅルって平仮名でいいのか?)
《《うん……》》
(……大作家がつづった、夜の底の白さは……。なあ、夜の底が白いってどういう意味?)
《《いいの、そこは、雪国のパスティーシュだから。あの先生、多分そういうの喜ぶよー》》
(……?)
「ねー、センセー。なんかパスタとティッシュでセンセーが喜ぶって」
「はぁ? 何だそりゃ」
「わかんない。トンネルを抜けたら夜の底が白いんだってさ」
「ほぉ。何だお前、ちゃんと知ってるんじゃないか」
担任が意外そうに目を丸くしたので、やりぃ、と雷斗は拳を握った。
「それで、何行書けたんだ?」
「まだ二行だよっ」
再び幽霊をちらりと見る。彼女はふふんと笑って、「じゃあ次の行いくよ」と雷斗の頭に声を響かせてきた。
が――。
《《『新潟駅の真新しいホームに……』》》
(……お前、オレが国語ダメって知ってイジメてんだろ)
《《えっ、何が?》》
(ニーガタのガタの字とか書けねーから! 『読めるけど書けない』の代表みたいなやつじゃん!)
《《ウソでしょ、県名だよ!?》》
(書けねーモンは書けねーの! もっとこう、簡単な県にしてよ、秋田とか岩手とか)
《《いや、『雪国』の舞台が新潟だからなんだけど……》》
幽霊の溜息が聞こえた。雷斗がふてくされてシャーペンを手元で回していると、彼女は少し自分の唇に指を当てて考えてから、「ま、いっか」と呟いた。
《《地名は出さずに暗示するだけにしよ。いくよー、『駅の真新しいホームに新幹線が滑り込み、他の乗客達に押し出されるようにして私は生涯二度目のその地を踏んだ』》》
(駅の……ホームに……。押し出されるようにして……私は……。なあ、ショーガイのガイってどんな字)
《《……サンズイにガンダレに土、土だよ》》
「サンズイに……ガンダレって何」
《《そういうレベルで国語がダメなの!?》》
「だからそう言ってんじゃんっ」
《《……いいや、『人生二度目の』でいいよ》》
「何をさっきからブツブツ言ってるんだ」
知らない内に声が漏れていたらしく、担任が怪訝な目をして身を乗り出してくる。あははと笑って誤魔化して、雷斗は幽霊の述べた続きを書いた。
(人生二度目の……その地を踏んだ、っと。次は?)
《《改行して、『目的地に着けば最早電車になど用はないとばかりに、我先にと改札へのエスカレーターを下ってゆく
(えーと、目的地に着けば……)
《《あっ、『コート』のところは『
(お前わかって言ってんだろ!? ガイトーとか、この流れでオレが知ってるって思うのかよ)
《《じゃあ『コート』でいいよっ》》
《《つぎ、『白と紺の
(コンってコン色のコン? どんな字?)
《《糸へんに甘いだって》》
(糸へんに甘いで紺、と……。イロドリって何? 鳥?)
《《普通は彩色の彩って書くとこだけど、ここは敢えて色に取るって書いてほしいかなっ》》
「え、何? 色に取る?」
「だーから、何をブツブツ言ってるんだ」
「あはは、何でもない!」
(車両の名の……。え、トキイロって何? ていうかトキって何? 鳥?)
《《うん……漢字は朱色の朱に》》
(シュイロって何だよ)
《《
「知らねえよっ」
《《えっと、特殊の殊の右側っ》》
「あーもう、直接オレの手を動かして書けよっ!」
《《それが出来たらやってるよ!》》
パニックになってシャーペンをぐわっと振り上げたところで、目の前に担任が立っているのに気付いた。
「
「……ですよねー」
へへへへ、と笑って雷斗は頭をかいた。
《《こんなにっ……こんなに国語がダメな人に憑いちゃうなんてっ……!》》
幽霊がしゃがみ込んでメソメソと泣き出す中、深く深く溜息をつきながら、雷斗は漢字の書き取りを始めたのだった。
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