第3話 平成の紫式部


 ――ねえ、キミ、生きてる? 大丈夫? 今が何年なのか教えてよっ――


 ――お前、誰だ? 何で、オレの頭の中で声が――


 ――わたし、作家の左京さきょう紫子ゆかりこ。って言っても、もう死んじゃったんだけどね――


 ――作家? 左京ゆかりこ……?――


 ――うんっ。そこそこ有名だったんだけど、聞いたことないかな?――


 ――知らねーよ、本なんか読まねーもん。ってか、お前、マジで幽霊なのか?――


 ――マジで幽霊だよっ。ずっと、この世に蘇るチャンスを待ってたんだ――


 ――蘇る? 何のために――


 ――そんなの決まってるじゃん。小説を書くためだよ――




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆




「――はっ!?」


 雷斗ライトが目を覚ますと、そこは知らない大部屋の畳の上だった。

 いや、知らない部屋……ではない。ここは修学旅行で泊まっていた旅館の大部屋だ。しかし、周りには誰も……。


「起きたか、あらた雷斗ライト


 野太い声にぎょっとして布団から飛び起きると、部屋の入口にはジャージ姿の担任教師が腕組みして立っていた。頭髪にうっすら白髪しらがの混ざりかけた、大柄な国語教師である。


「センセー。あれ、皆は?」

「皆はもう自由行動に行ったよ。お前、身体はなんともないんだろうな」

「……はぁ、まあ」


 雷斗は畳の上に立ち上がり、自分の身体を見下ろしてみる。

 確か、自分は昨晩、ショウと一緒にこの部屋を抜け出して、逢魔おうまヶ池がいけで幽霊と出会って……。


(夢……じゃねーよな……?)


 土の上に倒れて汚れたからか、服は体操服に着替えさせられていた。きょろきょろと見ると、部屋の壁際にその私服が適当に畳んで置かれてあった。

 とりあえず、身体のどこにも痛みはないし、気持ち悪さもない。

 おずおずと担任の顔を見て、雷斗は言った。


「……大丈夫だと思う」

「そうか。じゃあ心置きなく。――このバカモノォ!」

「ひいっ!」


 部屋に鳴り響いた担任の大音声だいおんじょうに、雷斗はびくっと身を縮こまらせた。

 さすがに平成のドラマみたいに拳骨げんこつが飛んでくることはなかったが、担任はずいずいと雷斗の目の前にやってきて、険しい目で雷斗を見下ろして続ける。


「夜中に宿を抜け出すなんぞ言語道断だ! 危険な目に遭ったらどうする!」

「ご、ゴメンナサイ、もうしない、もうしない」

「当たり前だ! しかもお前、角谷かどやショウを無理やり連れて行ったそうだな」

「別に無理やりってことは……」

「アイツがお前の居場所を先生達に伝えてくれたんだぞ。いいか、自分一人で危険なことをするのもダメだが、人を巻き込むなんぞ輪をかけてダメだ。次やったら内申書はメタメタだからな!」

「も、もうしないって、本当。ゴメンナサイって」


 背中に冷たい汗がダラダラ伝うのを感じながら、雷斗は担任の前でぺこぺこと腰を低くして両手を合わせた。

 担任は「来なさい」とだけ言い、くるりときびすを返して廊下を歩き始める。


「センセー、ショウのヤツは?」


 付いて行きながら尋ねると、担任は当然のように「自由行動に行った」と答えた。


「そーなんだ。じゃーオレも合流……」

「バカモノ、お前は皆が戻ってくるまでここに居残りだ。旅館の人が特別に食堂を貸してくれたんだからな、感謝しろよ」

「ええぇ、居残りぃ!? そんなぁ」

「夜間抜け出しのバツとして、漢字の書き取り100ページだ」

「ええぇぇぇ!!」


 びしっと担任が指差した先には、雷斗の分らしき朝食のお盆と、その横に漢字練習ノートが何冊も積み上げてあった。


「飯食って歯磨いたら始めろよ。先生も一緒に残ってやってるんだからな」

「マジっすか……」


 雷斗は派手に肩を落とした。自業自得とはいえ、せっかくの修学旅行で自由行動を取り上げられた上に、漢字の書き取りバツなんて……。

 離れた席でガサガサと紙の新聞を広げ始める担任を横目に、今時よくあんなものを読むなぁと思いながら、雷斗はひとまず朝食の席に着いた。

 ご飯に味噌汁、焼鮭に卵焼きのオーソドックスな和朝食だ。いただきます、と雷斗が口元で呟いた、そのとき――。


《《わー、美味しそう。わたしも食べたいなー》》


 ふいに、


「はぁ!?」


 椅子をガタッと鳴らして雷斗は振り向く。例の紫の着物を来た美女の幽霊が、にこにこと笑って雷斗の手元を覗き込んでいた。


「何だ!?」


 担任がぎょっとした目で雷斗を見てきた。なんでもないよっ、と慌てて誤魔化して、雷斗は平静を取り繕って朝食に向き直る。


(お前……マジでオレに取り憑いて……!)


 バクバクと鳴る心臓を押さえながら、雷斗は傍らの幽霊を睨んだ。

 真っ白な肌に真っ黒な髪、そして街ですれ違えば誰もが振り返りそうな大人の美貌。しかし、彼女の姿はやっぱり雷斗にしか見えないようで、担任はただ怪訝そうな目で新聞の端から雷斗を見ているだけ。昨夜のショウがそうだったように、幽霊の声もまた雷斗以外の人間には聞こえていないようだ。

 大人っぽい顔立ちと裏腹に、子供みたいに無邪気な表情をして、幽霊は雷斗の顔と手元の朝食を交互に見てくる。


《《いいなー、生きてる人はご飯が食べられて。わたしもう食べられないもん》》

(何なんだよお前。な、なんでオレに取り憑いたんだよ)

《《えー? あなたが呼んでくれたんじゃない。未練があるなら聞いてあげるぞーって》》


 幽霊は自分の口元に指を当てて、露骨に「きょとん」という顔を作ってきた。


あらた、お前さっきから何見てるんだ? 蚊でもいるのか?」

「な、なんでもないって。さあ食べよー」


 担任の目をなんとか誤魔化し、雷斗は食事を口に運んだが、すぐ隣で幽霊が見ている状況では落ち着いて味わえるワケがない。

 もごもごと居心地の悪い食事を終え、雷斗は旅館の人にぺこりと頭を下げてお盆を返却口に返した。

 歯磨きをするために流し台へ向かうと、幽霊もひたひたと律儀に後を付いてくる。


(……お前、小説が書きたいとか言ってた?)


 夢だか現実だか分からない闇の中でそんな会話をしていた気がして、雷斗は歯ブラシを動かしながら問うた。

 幽霊はぱあっと顔を輝かせて、「うんっ」と声を弾ませる。


《《わたし、まだまだ全然書き足りなくて、あのままじゃ死んでも死にきれなかったの。あなたの身体を使って書かせてくれるなら嬉しいなっ》》


 さらっと「あなたの身体を使って」とかコワイことを言ってきた……。雷斗はゾッと震えながらも、口をゆすいで、心の中で幽霊に言い返した。


(だったら、オレなんかやめて他のヤツに憑いたほうがいーぜ。オレ、国語の成績ゲキヤバだもん)

《《そうなんだ? うん、確かに、あんまりアタマ良さそうには見えないねー》》

(何だとこのヤロ!)


 幽霊のくすくす笑う姿を見たとき、ピンと雷斗の頭に閃くものがあった。


「そうだ――」

《《おっ、何かいいこと思いついた顔だねー、少年》》

「ああ、お前に書かせてやるよ、小説」


 我ながらナイスアイデアを思いついた。そう確信した雷斗は、足早に食堂に戻り、担任の前に立った。


「センセー。実はオレ、小説書けるんだけど」

「は? 何だって?」

「小説だよ、小説。センセー前に言ってたじゃん、今時の若い子は文学の一つも知らないからダメだって。だからさ、センセー」


 食卓の上に用意してあった漢字練習ノートを広げて、雷斗は言った。


「今からオレがセンセーの前で小説書いてみせるからさー。上手く書けたら、バツを免除して自由行動に行かせてよ」

「お前……」


 担任はひたいに手を当て、呆れたような声を出した。


「やっぱり昨夜アタマを打ってたのか……。こりゃ医者に連れてかんと……」

「いやいやいや、ガチだから! ガチ! ほら、たぶん、何だっけ、左京ゆかり? ゆかりこ? くらいは上手いと思うぜ」

「お前なあ。左京紫子ゆかりこって言ったら、平成の紫式部って言われた天才作家だぞ」

「えっ、マジ!? コイツそんな凄いヤツなの!?」

「何だ、コイツって……」


 雷斗がちらりと傍らの幽霊を振り向くと、彼女はそれを待っていたように、えへん、と小振りな胸を突き出して得意げな笑みを浮かべた。


《《だからそう言ったじゃん? わりと売れっ子だったんだぞー、わたしはっ》》

(マジか……)


 そこで、担任がガサガサと新聞をたたみ、雷斗の目を見てくる。


「じゃあお前、そこまで言うなら、『雪国ゆきぐに』を題材に簡単な短編か何か書いてみろ」

「ゆきぐに?」

「ああ、文学と言ったら雪国だろ。出だしの部分だけでいいから。本当にお前が小説書けるんなら、とーぜん漢字練習なんか免除してやるよ」

「よっしゃ!」


 担任の言質を受け、雷斗は喜び勇んでノートに向かった。

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