誰よりも強いひと:1
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オールキャラ、シリアス短編(全3話)です。
尖ったものが身体に刺さる描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
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『グアアァーッ!!』
とうに言語という形を失った元ヒト――そして現化け物の声が、昼下がりの空に響き渡る。そのおぞましい咆哮にごくりと唾を飲み、王女フィールーンは自身が展開している防護壁ごしに空中を見つめた。
「こんなモンかよ、半端野郎!」
ケモノじみた叫びに答えたのは、余裕を孕んだ声。細長い身体の至るところからトゲを生やした化け物――“半端竜人”の相手をしている青年だった。
「その物騒なトゲは飾りか? 趣味悪ィだけだぞ」
不敵な笑みと共にそう言ってのけた彼もまた、立派な“ヒトならざる者”である。紺碧の鱗をまとった逞しい身体に、上機嫌に揺れる太い尾。乱雑に跳ねた黒髪の間から広がった翼は正確に風をとらえ、その身を空に縫いつけていた。
「ホワード、油断するなッ!」
「してねェよ、騎士サマ。それより地上のザコはそっちに任せてんだ、とっとと掃除しやがれ」
フィールーンの前方で剣を振るっている側付騎士リクスンが、上空をキッと睨みつけて吠える。
「何だとッ! 勝手に空中へ竜人を引っ張っていったのは、貴様で――」
「はいはい、戦闘中のよそ見も喧嘩も厳禁ねー。口より手を動かすコト」
リクスンに飛びかかろうとしていた猿型魔獣の一体が、突如発生した炎に包まれる。続けて炎は魔獣の群れの一部を焼き払い、その巨体を塵へと還した。
「ったく、キリないねえ。あの半端竜人の力かな……どう見る? フィル」
魔力で創り出した炎を指先に遊ばせ、王女の師である竜アーガントリウスがこちらを見る。
「はい、アガト先生」
その紫の瞳にうなずきを返し、フィールーンは空中で交戦する半端竜人へ目を遣った。
「この魔獣たちは本来、ここまで好戦的ではないはず。でもあの半端竜人が自身のトゲを打ち込んだ瞬間に、異様な魔力の高まりを見せました」
「さっすが俺っちの弟子ちゃん。そう、一見あのヒョロ長い半端クンは弱そうだけど、おそらくその魔力のほとんどをそれぞれのトゲに溜め込んでいる」
師の言葉に導かれ、フィールーンの視線が木立の合間を埋め尽くしている魔獣へと移る。皆身体の一部に、件のトゲが深々と刺さっていた。
「トゲから流れ出る魔力はまるで毒のように、獲物の身体と神経を侵す。竜人由来の魔力だ、普通の魔物なんか抵抗できるワケがない」
「うへぇ、こわいっす……。最初に野郎が周囲にトゲをぶっ放したのは、そういう狙いがあったんすか」
「フィルとアガトさんが咄嗟に魔法で防いでくれなかったら、あたしたちもこの魔獣みたいになってたのかしら」
恐々とした仲間の声に、王女は顔を傾けて背後を見る。旅荷と馬を守るように立っているのは商人タルトト、そして竜人セイルの妹であるエルシーだ。
「そゆコト。まあこれくらいの数なら俺っちとリンちゃんで処理できそうだし、女の子たちはそこで楽しくお茶でもしててよ」
ひらひらと揺れた細い指先が緑の光をまとい、どこからか烈風を喚ぶ。師が強力な魔法を繰り出すその姿を目に焼きつけねばと思いつつ、フィールーンは不安げな瞳で空を見上げた。
「お兄ちゃんなら大丈夫よ、フィル。ほら、もうクレアシオが紅く光ってる」
「そう、ですね……」
昼空がカッと真紅に染まり、青年が振り上げた巨大な戦斧が眩い光を放つ。竜人に引導を渡す時に繰り出す攻撃だ。決着が近いと肌で感じているのに、王女の心はなぜか奇妙に揺れていた――嫌な予感がする。
「! そこの木の上、誰かいるっす!」
「えっ!?」
甲高い獣人の叫び声に、フィールーンの身体が大きく跳ねた。仲間の小さな指が示す先を慌てて見ると同時、樹上の葉がガサリと揺れる。
「子供だわ!」
エルシーの狩人の目が捉えた通り、潜んでいたのはヒトの子供だった。森でかくれんぼでもしていたのだろうか、簡素な着物姿の少年は幹にしがみつき震えている。
「フィル、魔法を解いて! 保護しに行くわ」
「ま、待って下さいエルシーさん! 私から離れると、トゲを防ぐほどの強度を保った壁が展開できません」
「そうだけど! アガトさんは、リンさんの防御をしてるし」
弓を背にしまい、端正な顔をした少女は駆け出す体勢へと移行しながら続けた。
「あなたはここでタルトちゃんと荷物を守って。今、あの子にトゲが届いていないことだって奇跡なのよ。やっぱりあたしが行――きゃっ!?」
「っ!」
バチチ、と魔法の壁が爆ぜる。数体の魔獣が、身体へのダメージを無視して壁へと押し寄せていた。集中して魔法を維持できれば中へ侵入されることはないが、この状況ではとても解除などできない。
「姫様ッ!」
事態を見て駆けつけてくれたらしい騎士の声が耳を打つ。同時に一部の魔獣が斬り伏せられ、その間に見慣れた金髪頭が覗いた。
「今しばらく、ご辛抱を――」
「丸焦げになりたくなかったらそこ退いてね、リンちゃん?」
涼しげな声を聞いたリクスンは青ざめた顔になり、即座に身を翻す。刹那、彼が立っていた草地と魔獣たちを包み、ふたたび炎が舞い踊った。
「わああん! リスの丸焼きなんて美味くねえっすよお、知恵竜さまぁー!」
「お、落ち着いてくださいタルトトさん。先生は、魔獣だけを攻撃して下さってます」
「わああーんっ!」
説明も虚しく、恐怖に裏返る悲鳴がこだまする。しかしその声が仲間のものでないことに気づき、フィールーンはハッとして顔を前方へ戻した。
「そんな!」
泣き声の主は、樹上の子供だった。恐怖で声も出ないものだと思っていたが、今は火がついたように泣いている。そして最も早く行動を起こしたのは、上空の敵――半端竜人だった。
『ガアアッ!』
ひ弱な獲物を見定め、半端竜人は放たれた矢のように急降下した。ひときわ大きなトゲを蓄えた腹が不気味に波打っている。今にも数十本の凶器が放たれそうなその動きを見、フィールーンは絶叫した。
「駄目ッ!」
叫びで敵の動きを御せるわけもない。気味の悪い液体の尾を引いて発射されたトゲは迷いなく、ぐしゃぐしゃに泣き濡れた顔で硬直した少年を目指した。
「っ!」
少年の細い身体に風穴が開く想像をしてしまい、思わず目を閉じかける。しかしフィールーンのまぶたが降りる直前に、紺色の影がその視界を切り裂いた。
「無視してんじゃねェよ、このクサレトゲ野郎」
翼と腕を左右に広げ少年をかばったのは、もう一人の竜人――セイルだった。その身体の至るところにトゲが深々と刺さっている。しかしそのヒトならざる者は、牙が覗く口を大きく吊り上げて言った。
「そろそろ背負ったモンが重くなってくる頃だろ? 楽になれよ」
『ガッ……ア、ァッ』
半端竜人の背で、真紅に燃える戦斧がずっぷりとその刃を埋めている。瞬く間に赤い亀裂がその身を駆け、哀れな存在を打ち滅ぼした。
黒い塵だけが揺らめく空中で、竜人はくるりと方向転換して少年を見る。
「刺さってねェな? よし、そこから動くなよチビ。ま、今日のことは運が悪かったと思って――」
「……の」
絶え間なく揺れていた紺色の尾が、ぴたりと止まる。師の手助けのおかげで魔獣の群れを退けたフィールーンの耳にも、少年の震える唇がこぼしたその言葉がはっきりと届いた。
「ばけもの」
その言葉を最後に、少年の身体がふらりと後方へ傾ぐ。恐怖の頂点に達したのか、気を失ってしまったようだ。フィールーンが手を伸ばして風を喚ぶよりも早く、その小さな体を逞しい二本の腕が優しく受け止める。
「可愛くねえガキだな」
少年を抱いたまま竜人は呟き、音もなく地面に着地する。そっと草地に寝かせると、走ってきた妹に振り向いた。
「お兄ちゃん!」
「心配すんな、一本たりとも刺さっちゃいねェよ。こいつを頼む」
「わかったわ。でも、お兄ちゃんは……」
「こいつが目覚めた時、俺はいないほうがいい」
ふたたび両翼を広げ、竜人はふわりと宙を踏んだ。続く妹の制止も聞かず、その姿はヒトが届かない高さへと浮上する。その身体から鮮やかな赤い筋が滴り落ちているのを見、フィールーンも急いで口を開いた。
「セイルさんっ! トゲは」
「ちょっと熱いくらいで問題ねえよ。だが離れたところで、ちっと昼寝させてもらう……あとの魔獣共のこと、頼んだぜ」
「ま、待って――!」
長い前髪と鱗に隠れて竜人の表情は見えない。しかし今は独りで行かすべきではないと感じたフィールーンは、仲間を呼び止めるための言葉を探した。
「くそ、残党がまだこんなに!」
臣下の声に木立を見ると、敵意を剥き出しにした魔獣の姿が浮かび上がった。
「ひえぇ。親玉は死んだってのに、まだ変なままでやんす」
「それほど強力な毒ってコトね。フィル、悪いけどリンちゃんと俺っちはもっと前に出る。エルシーちゃんと子供たちを頼める?」
「こ、子供扱いしないでくだせえよ! 姐貴、あっしも手伝いやす」
いつもならば迷いなく、師の期待に応えたいと思っただろう。しかし王女は胸の前で拳を作り、空の彼方へ飛び去る群青の背を見上げていた。
「はあ。多感な乙女を弟子にするといつもこうだって、分かってるけどねえ」
「すっ、すみません! すぐに魔法――を」
師の呆れ声に慌てて振り向いたフィールーンの前に、突如水の塊が出現する。ぐるぐると渦巻く水流はやがて編まれるようにしてまとまり、すらりとした猫を創り出した。
「これは……」
その丸く透明な瞳が、創造主である大魔法使いを見る。王女と目が合うと、老竜は肩をすくめて言った。
「セイちゃんとよく手合わせさせている子だよ。アイツの魔力を辿れるし、俺っちから話しかけることもできるから、ついていって」
「アガト先生! でも、この場が」
「あたしからもお願いするわ。フィル」
凛とした声に振り返ると、少年を介抱しているエルシーが力強くうなずく。
「この広場の魔獣は倒したし、トゲを飛ばしてくる攻撃ももうなさそう。あたしと精霊で十分だわ」
「そうっすよ。幸い、旦那が飛んで行ったのは群れの残りと反対方向だ。きっと安全な場所が見つかるはずでやんす」
仲間たちの後押しを受け、フィールーンはもう一度師を見た。
「ひとりだから、戦闘以外での竜人化はナシ。追跡は自分の足でだ。それでも行く?」
「……はい!」
音もなく駆け出した猫を追い、フィールーンも地を蹴る。その背後では面白がるような、諦めたような呟きが落とされていた。
「
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