ある日の彼ら〜仁義なき手合わせ〜:4

「……」

「でやああッ!」

「しついこいねえ、お前たちも」


 鈍い音と火花を上げ、戦斧と剣が結界に振り下ろされる。アーガントリウスは木の間を移動しつつ、のんびりとその得物の持ち主たちを見た。


「そんなに殴ったって、もう意味ないってば」

「これしかやることがない」

「言うな、ホワード! 虚しくなるではないか」


 なかば自棄のような会話を交わす若者たちだが、その太刀筋は鈍っていない。有り余る若さを目にして微笑む知恵竜だったが、霧が立ち込める白い森を見回して言った。


「ねえ、女の子たちも一緒に遊ぼうよー? むさくるしい戦士の相手ばっかじゃ俺っち、つまんないんだけど」

「真面目にやりなさいよ!」


 よく通る少女の声と共に訪れたのは、ずどんという重い衝撃音。見れば、七色の防壁に見事な焦げ跡が作り出されていた。アーガントリウスの足元に、粉砕された矢が乾いた音を立てて散らばる。


「や、エルシーちゃん。そこにいるの?」


 矢が飛んできた方角にある木々を見つめるも、ガサリという音をひとつ立てて気配は消えた。樹から樹へ飛び移るとは、相変わらず身軽な射手である。視界はほぼ役に立たないが、複数のヒトの気配は濃い。


「タルっち、いる? あとどれくらいかな」

『いるっすよー! 湖がある方角に控えてやすんで、そっちへの攻撃はご遠慮くだせえな。えーっと、時間は……ラスト2分くらいでやんすよ!』

「本格的に時間ないみたいだけど。どーすんの、お前たち?」


 刻限が迫っていることを知らしめると、さすがに青年たちも顔を見合わせた。しかし結局他の手は持ち合わせていないのか、さらに腕力に訴えはじめる。


 奮闘するセイルとリクスンを結界越しに眺めつつ、知恵竜は霧の中に声を投げた。


「それとエルシーちゃん。この木立をさっきの野原みたいに穴だらけにすんのは無しだからねー?」

「わ、わかってるわよ! あたしも木こりなんだから、樹は傷つけたくない。さっきのところだって、あとでちゃんと修復するわ」

「良い子、良い子」


 少女の声が聞こえた方向をちらと見遣る。近い――こちらに接近してきている。真上からの攻撃にも気を払っておかねばと、アーガントリウスは自身にもっとも近い立派な樹を見上げた。


「フィールーン、目眩しはもういい。時間がない、加勢しろ」

「は、はいっ! 今、降りますので――」

「お?」


 ガササ、と頭上から葉が擦れる音がする。どうやら愛弟子が潜んでいた樹の真下を通りかかったようだ。もう隠す気がないのか、セイルとリクスンも霧に覆われた樹上を見上げている。


 剣先を下げた側付騎士が、琥珀色の瞳を不安そうに細めて進言した。


「姫様、お待ちください! 視界が悪い中で動くのは危険です」

「で、でも! もう時間が――きゃっ!」

「姫様ッ!?」


 ずる、という不吉な音と、何かを必死で引っ掻くような音。刹那、見上げていた霧を裂くようにして中央から濃い人影が現れた。怯えたように丸められた細い背、その服は見慣れた深緑色――。


「フィルッ!」


 ほとんど無意識だった。即座に結界を解き、アーガントリウスはローブの袖を翻して天へと手を伸ばす。魔法に頼らずにヒトを受け止められるだろうかと一抹の不安がよぎったが、落ちてきた少女は無事にすとんと腕におさまった。


「ふー……」


 冷や汗が首筋に浮かんだが、とりあえず安堵の息を落とす。よほど怖かったのか、腕の中で大人しく身体を縮めてうつむいている少女を見下ろした。


「だいじょぶ? まったく、危ないじゃないの。フィ――」

「悪いわね。知恵竜さま」

「!」


 凛とした声が耳を打ち、アーガントリウスはハッと息をのんだ。ゆっくりとこちらを見上げた少女の髪色は、明るい緑。整えられた前髪の下で、可憐だが勝気な顔がにんまりと笑みを広げている。


「降ってきたのが可愛い愛弟子じゃなくて、がっかりした?」

「エルシーちゃん!? ――ッ!」


 愛弟子の服をまとい降ってきたのは、エルシーだった。その正体に気づかされると同時に、彼女と懇意にしている精霊たちがわっと両脇に躍り出る。さまざまな色――属性の光を放つ精霊が、こちらを威嚇するように明滅していた。


「動かないで。森中から、全属性の精霊たちを集めてきたのよ。何か魔法を使っても、その子たちが相殺するわ」

「へえ、そりゃすごい」


 素直な所感を口に出し、アーガントリウスは少女を心配するように飛び回る精霊たちを見回す。その命令主が、意外そうな声で言った。


「え……使わないの、魔法? アガトさんならこの中でも」

「んなコトするより、美少女を抱える名誉にあずかってたいからねえ」

「あっそ。じゃあ遠慮なく――お願い、フィルっ!」


 エルシーが上空に向かって叫ぶと、アーガントリウスの胸の前を一陣の風が吹き抜けた。すぱっと乾いた音が響き、麻紐から分断された水晶玉が落下する。


「やった! お兄ちゃんっ」


 すかさず玉を奪ったエルシーが、その煌めきを惜しげなく投げた。正確な放物線を描いて宙を舞ったそれをぱしりと受け取り、木こりの兄は騎士と共に駆け出す。


「よし、急げホワード! 小箱に入れるまでが条件だ」

「わかってる」

「なるほど。ここまで作戦だったわけね」


 その姿を見送りつつ、アーガントリウスはゆるりと顔を上げた。使い手の集中が解けたからだろう、濃霧は今や目眩しの役目を果たしていない。太い枝の上に浮かび上がったのは、見事な風の刃を作り出した弟子――フィールーンだ。


「せ、先生」


 しっかりと樹の幹にしがみついている王女は、こちらを見下ろして申し訳なさそうに黒髪頭を垂れた。


「あの、すみません……。落ちてなくて」

「愛弟子の無事を喜ばない師匠がいると思う? いいねえ、似合ってるじゃん。その服も」

「ここ、これはっ!」


 当然ながら、王女はエルシーの服を身についていた。ショートパンツからのぞく肌色がまぶしい。いつもより露出が多い服の中でもじもじと身をよじるその姿に癒されつつ、大魔法使いはからりとした笑い声を上げた。


「くくっ……あっはっは、やられたわー! なーに君たち、どこまでも純粋無垢な子供かと思ってたのに――なかなかズルいコト思いつくじゃない」

「それ、褒められたって思っていいのよね?」

「もちろんよ。こんなに面白い手合わせは初めてだわ」


 丁寧にエルシーを草地に下ろしてやると、少女は得意げに腕組みをして破顔した。しかしすぐに気が抜けた顔になると、胸元の白いシャツのボタンに指をかける。


「ああ、緊張した! フィルじゃないってバレて受け止めてくれなかったらどうしようって思ったら、すごい汗かいちゃったわ」

「落ちてくる女の子なら誰だって受けとめるよ、俺っちは。脱ぐの手伝おうか?」

「結構よ。でも少し暑いから一番上だけ開けさせてもらうわね、フィル」

「は、はい! ……私はどちらかというと、肌寒いですが……」


 残念だという意思を込めて唇を尖らせていると、少し先から騒がしい声が渡ってくる。闘牛のように突っ込んでいった青年たちから飛び退いたタルトトが悲鳴を上げていた。


「わきゃあッ! ちょっと、あっしを踏み潰すつもりでやんすか、おふたりとも!」

「いいから小箱を出せ」

「尻尾の中になんか埋まってねえっすよ旦那、っていうかアンタわざとでしょう! もう結界は消えてるでやんす。ほら、そこに」

「あったぞ、これだ! 早く収めろ」


 わしゃわしゃと尻尾を撫でるセイルのとなりで、生真面目な騎士が小箱を掴み上げて開く。ビロードが張られた上品な内部に、木こりはぞんざいに水晶を投げ入れた。


 カチンと蓋が閉まる音を聞きつけ、若者たちから一斉に歓声が上がる。


「よし、確保したぞッ!」

「やったああっ! タルトちゃん、時間は!?」

「うーん、まだビミョーに落ち切ってないっすかねえ」

「さっ、最後まで油断しないでください! みなさん」

『んがっ』


 その奇妙な声に場が凍りついたのは、フィールーンが警告を飛ばしたのとほぼ同時だった。続いてガチャン、とけたたましい音が響き――


「なっ――なんだ、箱が勝手に!」


 ぎょっとしたリクスンの一瞬の隙をつき、宝石箱がその手から飛び出した。四つ足で器用に草地に着地を決める。まるで獣のようにがばりと上下に蓋を開くと、あろうことかペッと中身を吐き出す。


「ぶ」

「セイルさんっ!」


 勢いよく飛び出した水晶玉は真正面にいたセイルの額を直撃し、大空高く跳ね上がった。しかし、なかなか落ちてこない。


「箱だけじゃない――水晶も動いてるわ!」

「せ、先生の“からくり魔法”ですっ!」


 イタチのように素早い動きで草むらへと消えていった小箱と、滑らかに空を飛び回る水晶玉。まるで生命を宿したかのごとく奔放に活動しはじめた道具たちを満足げに見回し、知恵竜は指を立てて紹介した。


「からくり魔法、ナンバー112と354。“何も入れられない宝石箱”と、“自由を愛する水晶玉”ちゃんよ。可愛いっしょ?」

「何に使うモンっすか、それ!?」


 驚愕する商人に悪戯っぽい笑みだけを返し、アーガントリウスは場の混乱を見守った。赤くなった額を押さえつつ、草むらへと駆け出したのはセイルだ。


「オレは小箱を捕まえる。お前は玉を追え」

「命令するなッ! 言われずとも――って、おい、水晶はどこだ」

「き、きゃああっ!?」


 するどい女の悲鳴に、騎士は何事かと跳ね上がった。アーガントリウスのとなりに立つエルシーが、みずからの身体を抱いて膝をついている。


「どうした、ホワード妹!?」

「なっ……うそ、こんな……っ! あっ、だめ!」


 顔を赤くして身体をよじる少女にかける言葉が見つからないのか、リクスンは困り果てたように固まっている。アーガントリウスはくすくすと笑みをこぼしながらも、助言を授けてやることにした。


「そゆ服を脱がせる時はね、まず背中の紐をほどいてあげんのよ。リンちゃん」

「んなっ!? あっ、アーガントリウス殿! な、何を言っ――」

「だって早くしなきゃ、ホントに時間切れになっちゃうよ?」


 その言葉に騎士は再度、真っ赤になっているエルシーを見た。荒い息をしつつ、少女は蚊の鳴くような声で申告する。


「す、水晶がっ……ふ……服の中に……!」

「は――はああああ!? は、早く取れッ! 俺は断じて触らんぞ!」

「無理言わないでっ! くすぐったいし、動きまわるしっ……きゃ、あっ、もうっ! あぅっ、そこ、もう無理っ」

「妙な声を出すなーッ!!」

「あ、あのリン、もう一度霧を発生させたほうが……?」

「姫様も、神妙な顔をなさるのは止めてくださいッ!」


 しかし事態の混迷が最大に達した時、ついに“その時”が訪れた。


「はい、終了ォーーっ!!」


 鐘のように響き渡ったタルトトの声に、全員がぴたりと動くのをやめる。注目を集めた商人は、こほんと勿体ぶった咳をひとつ。


「あー皆さん、お疲れ様でやんした! ただいまきっちり30分経ちやしたぜ」


 空気を読んだかのように、エルシーの衣服の中からころりと水晶玉が転がり落ちる。商人はそれを確認してうなずき、続いてちょうど茂みから立ち上がった人物を見上げた。がじがじと小箱に腕をかじられている木こりは無表情だ。


「ご覧のとおり、小箱の中に水晶は収まっていやせんね? てことで、この手合わせ――知恵竜アーガントリウスさまの勝利でやんす!」


 しかしその見事な決着宣言にぱちぱちと拍手を送ったのは審判だけだった。ほとんど勝利を確信していたのだろう、挑戦者たちはそろって呆然とした表情を浮かべている。


「さーてと。これでわかったっしょ?」


 そんな若者たちを見回し、悠久の時を生きる竜は最上の笑顔をおくった。



「お前たちが思ってるより、ずっとずっとタチが悪いってことよ――オトナってやつはね」





―ある日の彼ら〜仁義なき手合わせ〜 完―



***

お読みいただきありがとうございました!本編ではもっとちゃんとシリアスに戦ったりしております笑 よければ遊びにいらしてくださいませ〜♪

https://kakuyomu.jp/works/1177354054979513362


また、今回は若者を煽るアガトのイラストを描いております。近況ノートに貼っておりますので、よかったら覗いてみてください(((o(*゚▽゚*)o)))

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