コーヒーと七朔

「利久村提督、すこしお時間よろしいですか」


 声の主は、コーヒーのカップを持った野村大尉だった。コーヒーは極限まで大量に注がれている。彼女の息は少し乱れていた。私は少し混乱する頭を黙らせて応じる。


「ああわかった、休憩室で話そう」


 私がそう言うと、野村少佐はこちらをじっと見た。


「わかりました」


 そう言った野村少佐は、休憩室に入る。先客はなく、コーヒーの香りだけが充満していた。


「座ってくれ」


 そう言いながら席に座り、卓上の缶に入った菓子の中からクリームモナカの個包装を二つ取り出す。片方を開けてモナカを口に放り込んだあと、コーヒーを茶でも飲むかのようにすすりながら野村少佐が目の前の席に座るのを観察していると、野村少佐はそっと私の目の前に七朔を置いた。


「七朔は瑠都ると八洲やつしま列島にある朔日さくじつ島で発見された柑橘で、それが非常に美味しいことが分かるまでの二百年間は単に見た目が美しく実が大きいだけの観賞用の植物でした」


「ああ、それは聞いたことがあるな。確か飢饉の際に多くの民衆の命を救ったことで食べられるとわかったらしいが……」


 野村少佐は大きくうなずいて、しばらく黙ったあと言葉を発する。


「私の目から見ると、七朔と利久村提督は似ているように感じますね」


「どういうことだ」


「それは……その」


「何が言いたいかはっきりしてくれ。私だって心が読めるわけではなくて、空気がよく読めるだけだ」


 私がそう言うと、野村少佐は少し考えてから言葉をなんとか紡ごうとして更に考えた。


「すみません、やっぱり何でもありません」


「そうか」


 私はそう言って、野村少佐のマグカップを見る。カップには「中央情報処理室」と書かれたテープが貼られていた。中央情報処理室からここまで来るには長い廊下を十分ほど歩かなければならないし、ここから見える範囲に来て角を曲がっても私が立っていた場所まで歩けば四十秒はかかる。


「先ほど、君に声をかけられる前に後ろを見た時には誰もいなかったんだが、君は一瞬で私の後ろに回ったのか?」


 野村少佐に尋ねると、彼女は頷いて言った。


「ええ。角を曲がったところで提督に気づきましたので、走ってここまで来ました」


 私は驚きつつも確認する。


「つまり全力疾走した上でほんのわずかに呼吸を乱しただけ、しかもマグカップになみなみと注がれたコーヒーを一滴も零さず走ってきたわけだね?」


 彼女はただ一言「はい」と答えた。私は完全に驚愕した。そんなことを平然とやってのけるあたり、流石は情報局所属の少佐だといえよう。


「すごいな……五十メートル走のタイムは?」


「二秒三四です」


「戦闘民族か何かかな?」


 私がそう言うと、彼女は首を横に大きく振った。


「私のあだ名はご存知ですか?」


「いいや」


「情報局のエスパー、です」


 彼女のあだ名には一片でも真実が含まれているのかもしれない。そう思って、冗談めかして聞いてみる。


「もしかして超能力者だったりするの?」


「まあ部分的には」


 そんな回答を聞いたことはこれまでに一度もない。ただ、何処かで予想はしていたような気がした。


「詳細を教えてくれますか?」


 思わず敬語になってしまった私に、野村少佐は少し考えてから答えた。


「いいでしょう。もう凍結した計画ですし、機密解除もされていますからね。まあメディアには箝口令が出てますが……」

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