第ニ話

 そうして数日が過ぎた。放課後は部活だけではなく、文化祭の準備も入ってきた。二日間の文化祭で、柚月は、一日目はクラスの模擬店の当番で、二日目は写真部の当番。一日目の隙間時間に、適当に別のクラスの模擬店やら発表を見にいくつもりだ。


 その日の放課後は、模擬店で出す予定のペーパードリップの練習をしていた。クラス内は模擬店で出すカフェのメニューの考案と、飾りつけやらで忙しない。マーカーを求める音。ハサミが小気味よく画用紙を切っていく。各々が準備を楽しんでいる。


「柚月、ちょっと協力してくれよ」


 隣で同じようにペーパードリップの練習をする松崎が切り出してきた。


「何をだ」

「何をって、決まってんじゃん! 雨宮小夜子と仲良くなることだよ!」

「……まだ言ってたのか」


 こめかみを揉みたくなる。二学期になってそれなりに経つのだから、何か行動を起こしているのかと思ったら違った。中学の時の手の速さ……ではなく、行動の速さからすると、亀のように遅い。


「なんでまだ何もやってないんだよ。さっさと話しかけるなり告白するなり手を出すなりすれば良いだろ」


 それでさっさと玉砕すればいいのだ。その方が、雨宮にとっても松崎にとっても良い。松崎は速やかに次の恋に行ける。中学の時の松崎は、手酷く振られた数日後には、別の女の子の背中を追いかけていた。今回だってそうなると思っていたのだが。


「いや、それがさ。話しかけようとするといないし、んで、こないだ1組に行った時、入野にちょっと呼び出してもらおうとしたんだけど。あいつ、関わりたくないのかあんまりいい反応しねえんだよ」


 松崎は神妙な顔をする。

 入野は確か、サッカー部のレギュラーだった気がする。面識がなく、松崎の話にたまに出てくるだけなので、人となりを柚月は知らない。


「……はぁ。なんでだろう」

「わっかんねー。最初、完璧に美人すぎるから触れないとかそんな感じかと思ったんだけど、どうも違うんだよ」


 ありのままで仮面を被ることを知らない。だけど容姿だけは飛び抜けて美しい。彼女の言動から、別に浮いていても構わないような雰囲気だけは読み取れる。他人にどう思われてもいいのだろう。

 ならば他人は彼女をどう感じているのだろう。


「どんな感じなんだ?」

「一言で言えば、無視。つーかハブ? 入野に聞いても適当にはぐらかすだけなんだよな。結構前に、軽音部のパイセンが告って手酷く振られたっていう話もあるみたいだし。で、調子に乗るなっつって、女子連中がまずハブ。男子はハブられたクラスメイトにかかわりたくないから、スルー。でもさぁ、別にいいじゃん、本人が嫌だったらフっちゃっても。それでハブとか、ブスの僻みかよ」

「……まあ、そうだよな」


 松崎の口の悪さはとにかくとして。柚月はその軽音部の先輩に、心の底から同情した。彼女の頭には「夜の神」しかいないのだ。見た目に惹かれたのだろうが、好きになる相手を完全に間違えている。

 話ながらも、松崎の手はドリップポットで均一にお湯を注いでいる。「アートカフェ」の提案者は松崎だった。丁寧に注いでいるのを見ると、彼は結構コーヒーが好きなのかもしれない。柚月は親友の意外な一面を見た気がした。淹れ終わった松崎のコーヒーを味見をしてみると、柚月が練習したものよりも普通に美味かった。


「……お前、美味いんだな」


 柚月は感嘆の声を上げた。自慢げに松崎が笑う。


「だろ? 練習した甲斐があったわ」

「話変わるけどさ、なんで「アートカフェ」なんて提案したんだ? コーヒーなんて淹れる柄じゃないだろ」

「えー? 文化祭って、一応生徒全員参加が基本じゃん? もしかしたら雨宮小夜子がうちのクラスやってきて、注文するかもしれないじゃん? その時に美味いコーヒーでも淹れて「この美味しいコーヒーを淹れるあの人素敵!」って、思われたいわけよ。お前にうまい豆を買わせに行った甲斐があったわ」


 出し物はホームルームの時間に、多数決で決まった。昨今カフェブームというのもあるようで、松崎の提案はクラスメイトの女子から多数の支持を受けた。まさかそんな邪な理由で提案されたものとは皆知らないだろう。その事実を知らないクラスメイトに、少しばかり同情した。


「それに、こういうの飲めば、クラスでハブになっても少しは気が紛れるだろ? 出し物は話題になって俺は好きな子に近づけるかもしれない。いいこと尽くしだろ」


 柚月は、雨宮がこの模擬店に来る確率は高いようには思えない。文化祭に参加する彼女が想像できないのだ。松崎の思惑は空振りに終わる確率が高い。

 それでも一人の女性のためにここまでできる行動力には驚嘆せざるを得ない。惚れっぽいのもたまには悪くはないのかもしれない。


「松崎って結構いいやつだよな」

「そういうことで褒めるなら、俺にちったあ協力してくれ!」


 ペーパードリップの練習を終えた松崎は、サッカー部に顔を出しに行った。サッカー部も何か文化祭で出し物をするらしい。幽霊部員のくせに、こういうイベントだけなぜかノリがいい。


 一通り練習を終えて、クラスメイトに断って写真部の方に顔を出すと言って支度をする。写真部は二人しかいないのに、岩永にだけ全て任せてしまうのでは悪い。写真集は印刷所に注文済みだ。他の準備は……。前日に展示準備をすれば終わるものばかりだ。そういえば、廃病院のピアノの写真をやたらと岩永は気に入っていて、


「勝手にコンクールに出しといた」と最悪な事後報告を受けた。


 思い返したら腹が立ったので、やはり全てを任せて帰ろうかと思った時だ。


「このクラスに、遠野柚月ってやついる?」 


 知らない顔の生徒が、教室の入り口で突然柚月を呼んだ。遠野、客だよと模造紙をいじっていた中野が叫んだ。……居留守してさっさと去ろうとしたのに。

 柚月はその生徒に話をかけた。ガタイがよく、気の強そうな男子生徒だ。剣道着が似合いそうな雰囲気をしている。


「俺に何のようだ?」


 面識のない生徒に呼ばれるなんて、嫌な予感しかしない。用件だけ聞いて終わらせようとした。

「ああよかった。いなかったらどうしようかと思った。俺、河口って言うんだけど君に頼みがあって。これを保健室まで届けてほしいんだ」


 河口に手渡されたのは指定の学生鞄だった。やけに軽い。教科書やノートの存在が感じられなかった。


「……誰の鞄だよ」

「あいつだよ、あいつ」

「だから、誰だって聞いてるんだ」

「……雨宮」


 声に出すのも嫌な様子の、乱暴な口調だった。


「あいつ、授業中にぶっ倒れたんだよ。音楽の授業中。んで、うわごとで何か言ってやがんの。よくよく聞いたら、君の名前みたいだって、木本が言ってた。うちのクラスの連中は、あれを気味悪がって近寄らないんだよ」


 柚月は雨宮からは名前を言われたことがない。「あなた」と誰にでも使える呼び方で呼ばれていてる。「ツクヨミ」と「ゆづき」を間違えたのだろうか。……間違えようがないと思うのだがそれよりも。


「気味悪い?」


 弱者を村八分にする農村の形態を考える。松崎以外の他人から初めて聞いた雨宮小夜子の話は「近寄り難い」でも「美人だ」でもなく、「気味が悪い」だった。


「……ここまで持ってきたなら、君が保健室に持っていくのとあまり変わらないだろ。ほら」


 俺に頼まないで自分で持って行け、と遠まわしに伝える。鞄を返して終わり。しかし川口は断固として拒否をする。


「嫌だ。俺もあいつとあまり関わりたくない。それじゃあ頼んだ」


 河口はさっと背を向けた。

 ……その腫物でも触るような態度から湧き出たのは、胃の中を暴れまわる不快感だった。


「待て」


 柚月は河口が肩にひっかけた鞄をつかんでその足を止める。河口は少し意外そうな顔で振り向いた。柚月は細い見た目に反して指の力は強い。――ピアノの練習による副産物だ。

 釈然としない。河口がわざわざ鞄を持ってきたのも。そんな少しの用事すらも関わるのを避けて他者に預けてくることも。河口も、おそらくそのクラスの他の生徒も、それに対して何の罪悪感も持っていないであろうことも。


 柚月は釈然としない不快さを腹に押し沈めて、口の端だけで笑顔を作った。雨宮曰く、人様に決して意図を探らせない、しかし好印象を与える完璧な笑顔だ。


「雨宮について、詳しく話してくれないか。君のクラスの勝手な事情を押しつけられるんだ。そのぐらい許して貰えるだろう」



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