第九話

 小さい頃から、わたしは学校があまり好きではありませんでした。小さい子供は、集団から外れたものをからかい、いじめる傾向があります。自分の髪の毛が気に入っていないと言ったら嘘になりますが、色素の薄い茶色い髪は、黒い海の中では明らかに浮いていました。わたしを顧みずに離婚をした両親が恨めしく思います。


 大きくなるにつれて、背丈が伸びる以外にわたしに変化が訪れました。肌は粉雪のごとく白く突き抜け、なんとも言い難い透明さを生み出すようになりました。瞳は黒目がちに浮いて、茶色い髪は艶やかさを増して、要するに、わたしは月読のように美しい生き物になって行ったのです。自分の変化に、わたしは戸惑いを隠せませんでした。わたしの髪をからかっていた同級生は、顔立ちが美しくなると、今度は私を腫れ物のように扱いはじめました。


「あなたはあなたのままなんだから、もっと堂々としていればいいの。大体、綺麗なことの何がいけないの」


 母はそうわたしに言いますが、それは母が一般に埋没する髪の色を持っていたからです。それなりに整っているだけで平凡な母が、わたしと同じ立場になっても同じことが言えるのでしょうか。


 夜の神も同じ思いをしていたのかもしれません。金いろの瞳。異常に整った顔立ち。彼もまた、集団に馴染めずにいたのです。


「でも無理して馴染むより、自分のいたいようにいた方が気が楽だろう。相手にしたくない人は相手にしないし、話したい人とだけ話す。教員は学問を教えてくれればそれでいいし、無駄な感情に煩わされたくない」


 その言葉を言った時だけ、彼は月ではなく太陽のように眩しく感じられました。わたしは同じことを言えなかったからです。


 教室で、クラスメイトと机をくっつけあって給食を食べるのが嫌いでした。廊下を歩くたびに、舐め回すように見られるのが嫌いでした。知らない男子に「好きだ」と言われるのが嫌いでした。仲が良くなりたいわけではありませんが、同性から無視されるのはたまらなく苦痛でした。


 どんどん、どんどんわたしの中で、学校の「嫌い」が増えていきました。

 学校に行くのが怖くなったわたしに、彼はこう言ってくれました。


「俺が守るから。行きたくなかったら行かなくてもいいんだよ」


 その言葉は水になって私のからだに浸透していきました。


 彼がいなくなったあと、部屋に篭り切るわたしに、母は学校には行かないとだめだと強く言い募りました。彼がいない。それだけでもわたしにとっては大事だったのに、濁った水槽の中になんて入りたくはありません。行きたくない理由を話しても、完全に理解はしてくれませんでした。義父は特別教室とか保健室登校とかあるから、と言いますが、そういう問題ではないのです。誰とも話すのが嫌になったわたしは部屋に鍵を掛け、布団に潜ったまま一日を過ごすようになりました。


 頭の中で、あの人が出してくれた音を思い浮かべます。


 それだけが幸せで、頭の中の音は徐々に明確化されていきました。まるで本当のピアノで奏でられているように。


 それがわたしのあるがままなら。


 わたしはいつだってあの人のことだけ考えてればいい。濁った水槽の中でも、綺麗な月は思い浮かべられる。水槽の底に沈澱して、時間がきたら浮かびがればいい。


 そうするうちに、きっとあなたまでたどり着けるはずです。




 ……その日、あなたを探して以来、初めてあなたの存在を近くに感じました。旅の仲間と訪れた山の麓。廃校や町を歩くうちに、わたしは疲れ切って動けなくなってしまいました。雷が怖くて怖くてたまりませんでした。旅の仲間が休ませてくれたところで、ものすごく拙く、けれど優しい『月の光』が、私の耳の周りに漂ってきたのです。


 懐かしさを感じました。あなたが初めて弾いてくれた曲。

 握ってくれた手の感触。


 そこにあなたがきてくれたのでしょうか。そして、わたしの無事を確認して、再びどこかに行ってしまったのでしょうか。


 手のひらの厚さ。ピアノを弾いていた人間特有の、関節の太さ。何よりもその温かさが、あなたそのものだったのです。





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