第四話

 廃校を後にした柚月と雨宮は、その足で町を歩き回った。廃校を中心に、からだのあらゆる部分が近隣にぶち撒かれたのだ。ポイントを一つづつ巡っていく。犬が見つけた、手が埋め込まれた畑。裏手の神社の鎮守の森には、四本の手足がぶら下がっていたらしい。

 イワシ色の空は少しずつ面積を広げていった。歩き続けて、流石に足に疲労を訴えてくる頃、大体回り終わった。


「……目的のものは撮れた?」


 駅に向かいながら放たれた雨宮の問いに、柚月は何も返せなかった。悪くはない。理科室の写真は気に入っている。雨宮に協力してもらった一枚もだ。しかし、デジタルカメラの中に保存されているものを確かめても、「これ」という確信の持てる一枚が撮れない。雨宮の写真を抜かして。


「君も、何か手がかりは見つかった?」


 雨宮は緩やかに首を振った。顔が平常よりお青白く、唇が紫色になっている。少し呼吸が荒い。


「……早く会いたい。こんなに望んでいるのに」


 今日は移動が多かった。彼女が普段どれだけ活動をしているのか知らないが、体力は人並み以下だろう。男子高校生として平均的な体力を持つ柚月も、それなりに疲労を覚えていた。疲れは、人を気弱にさせる。雨宮が落ち込んでいる姿を、柚月は初めて見た。


「……まぁ、望み続ければいつか会えるんじゃないの? ……多分」


 柚月には女兄弟もいなければ、女友達もいない。中学の時もだ。クラスメイトの女子とは普通に話せるが、それだけだ。十六年間、女性を慰める、という出来事に無縁だった。気に入っている女子に告白して、手ひどく振られて落ち込んでいる松崎に、塵よりも軽い慰めを言った事は何度もある。塵よりも軽いのは、松崎が惚れっぽく、振られた後の立ち直りの早さを知っているからだ。


「本当かしら?」

「望めば会えるかもしれないけど、望まなければ始まらないから。確率がゼロじゃないなら、やらないよりマシだろう」


 だが今回は、彼女の根幹に関わる。下手を言って傷つけても責任は取れない。かといって上辺だけの言葉で彼女の気持ちをたち上がらせるほど、柚月は器用ではない。

 これが柚月の言える精一杯だった。


「本当にそうだといいわ。……気を使わせてしまったわね」

「別に」


 気にするな、と続けようとした。

 柚月の言葉と被るように、空が一瞬光った。雨宮の顔が引き攣る。


「何か鳴った?」

「……鳴った。これは」


 雨宮が怯えるように柚月に訪ねてきた。肯定する。できれば否定したかった事実だ。イワシ色の空の向こうから、不吉な音が鳴ってくる。

 鼻先にぽつりと水が当たった。……嫌な予感が的中した。


「雨だ」


 一滴、二滴と体を濡らし、段々と降ってくるペースが早くなる。風は急に強くなり、横殴りにのたうちまわった。


 山の天気は変わりやすい。わかっていたつもりだった。

 つもりではだめだった。


 廃校よりも、終点の駅の方が近い。雨宮は、突然の大雨に驚いて呆然としている。動けずにいる雨宮の手首を掴み、バックパックを抱えて柚月は走り出す。デジタルカメラが入っている鞄は極力濡れてほしくなかった。傘を出している時間が惜しい。いや、使ったとしても、役に立たない。傘が一つ、使い物にならなくなるだけだ。

 駅に着く頃には、柚月も雨宮も全身がずぶ濡れになっていた。




 駅内の薄暗い待合室で、雨宮が長椅子に腰をおろす。柚月は慣れた手で服を絞った。水に濡れるのは、今年二回目だ。


 時刻表で次の電車を確認する。一時間後のようだ。ここで待っていようかと決めていたら、車掌が駅員室から出てきた。そして、発車は見送りになったと教えてくれた。


「このまましばらく見送ろうと思う。この列車は渓谷沿いを走るから、この雨だと危険すぎて動かせないから。もしかしたら運休になるかもしれない」

「…そうですか」


 流石に絶望的な気分になった。車掌は柚月に、ここから動かない方がいいですよと言って駅員室に引っ込んでいく。木造の駅舎に、豪雨は容赦なく打ち付けてくる。ここまで降ってくるとは思わなかった。iPhoneの天気アプリを起動させようとする。豪雨の影響で圏外になってしまっていた。

 待合室の長椅子に座っている雨宮に電車の様子を教えた。彼女は一言、そう、と言っただけだった。


「雨宮?」


 呼吸が荒い。手足がだらんとぶら下がっているように見えた。全身は雨に濡れて、足元は泥にまみれている中、月のペンダントだけが変わらずに綺麗だった。


「平気よ。少し疲れただけ」


 力なく項垂れる。白い顔がより蒼白になっている。当たってほしくない不安も的中している。


「失礼」


 柚月は一言添えて、脈拍を測った。だいぶ早い。額に手を当てると、平常よりも熱く感じられた。雨宮のこれまでを分析する。真夏だというのに、ろくに水分補給もしていなかった。真っ黒の熱を吸収しやすい服。体力がなさそうな白い腕。


「頭は痛い?」

「割れそう……。気持ちが悪い」

「体が重かったりする?」


 雨宮が頷いた。脱水と疲労か。加えてこの雨だ。女性は気圧に影響されやすい。

 駅内の自動販売機でスポーツドリンクを買って雨宮に渡した。とにもかくにも、水分だ。それも、アミノ酸と塩分があるものが一番いい。


「とりあえずこれでも飲め。少しは違うから」

「……あなた、医者でも目指しているの?」

「面白い冗談だけど、違う」


 このぐらいの基本的な知識は、保健の授業で習った筈だ。そうでなくてもこの顔色と様子を見て、何も感じ取れない方がおかしい。雨宮はキャップを回して一気に半分ぐらい飲み干した。口の端からスポーツドリンクが溢れる。目を瞑って項垂れる。頭痛がきついようだ。


 どうするか。電車は発車が見送りにされた。外は豪雨。連れは体調不良で動けない。柚月自身もずぶ濡れで、下手したら共倒れだ。そうならないために、柚月は頭を巡らせる。交番は少し遠い。雨宮はそこまで歩けるか? 無理そうだ。救急を呼ぶ。事情を話して、母に迎えにきてもらう。どちらも時間がかかりそうだ。電波。さっきも圏外。今も変わらない。待て。電波が圏外ということは、救急も呼べないのだ。


 お手上げか。電車が動くまで、ここで待つしかないか。そもそも、運休の可能性も高い。

 待合室の長椅子に座り込んで出口を見つめる。豪雨で一寸先も見えない、わけではなかった。


 雷雨に隙間。一瞬見えた文字に、柚月は膝を打つ。


 バケツをひっくり返したような雨の中。改札出口から見える、崩れそうな店。三蔵法師の旅の終着地。



 目の前の珈琲屋の、「ガンダーラ」の表札は「商い中」になっていた。



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