第三話
理科室は事件現場には使われなかったらしい。それでも何かが残っているかもしれないという願望を込めて、理科室の扉を開いた。
理科室の棚には、置き去りにされた実験道具が詰め込まれていた。いくつかのフラスコはヒビが入ったり欠けたりしている。人体模型は可哀想なことに一本腕がもげている。骸骨模型と思しきものは、骨が全てバラバラになって床に落ちていた。頭蓋骨だけが拾われたように、実験用テーブルの一つに置かれていた。事件より後からこうだったのか。それとも、犯人か被害者のどちらかがバラバラにしておいたのだろうか。
三つの実験用テーブルには流しが付属されている。試しに捻ってみるが、当たり前だが水は出てこなかった。
大量のホルマリン漬けも詰め込まれている。カエルのホルマリン漬けは液体が半分以上なくなって、露出した部分に白いカビが生えている。多分頭だったところだ。大量のホルマリン漬けに混じって――
その中に、ささやかな小指が保存されている。
これは被害者の指だろうか。それとも授業にも使われていた教材だろうか。記事には書かれていなかった。発見されなかった残骸の一つだろうか。今ではどちらか判別がつかなかった。同じぐらい、ホルマリン漬けの液体は日に焼けて茶色くなっていたからだ。
かつての現実だったもの。今では現実であったことも風化して、忘れ去られたまま歪な空間を作り出している。
その様子をシャッターに収める。
図書室も同じように、ボロボロの世界名作集が収められていた。カビと埃で粘ついて、ページを捲るのすら困難なものに成り果てている。かつて知識の宝庫だったところ。腕が抱えていたのは、ホーソンの『緋文字』だったらしい。
学校で撮るだけ撮って、昇降口を出る。時間は三時を回っていた。二階だけしかないのに、随分とたっぷり回ってしまったようだ。
昇降口を出ると、昼下がりでは快晴だった空にイワシ色の雲が現れるようになった。iPhoneの天気アプリでは、一応午後から夜にかけても晴れになっている。それでも分厚い雲を見ると、ざわざわと嫌な予感がした。山の天気は変わりやすい。持ってくれよ、と心の中で念じる。
時折麦茶で喉を潤した。ステンレスボトルの中の氷は、ありがたいことに溶けていなかった。香ばしくも冷たい茶が滑り落ちていく。
「用意がいいのね」
「こういう時に持ってこない方がおかしい。……飲む?」
「悪い冗談ね」
雨宮の白い顔には、玉のような汗が額に浮かんでいる。荷物らしい荷物がないということは、水も何もないということだ。雨宮は蕎麦屋で水を飲んで以来、まともに水分を取っていないはずだ。
そんな彼女に、柚月は少し不安を覚えた。
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