第9話 爆裂!復活のライズヘラクレス(2)

 上空から見下ろす街はまさに地獄絵図だった。都市国家ポリスを囲む白亜の城壁はもろくも打ち破られ、風雨に泥濘ぬかるむ地上には逃げ惑う人々の怒号と悲鳴が木霊する。夜闇に災火さいかを照り返す邪悪の巨人が、この世界の人々が知らない内燃機関エンジンの響きを唸らせ、警笛音クラクションの咆哮を上げて街を蹂躙じゅうりんする。

 飛翔するライズフェニックスの視界を通じ、咲良はその惨状をしっかりと目に焼き付けていた。

 建物の屋上に陣取った弓兵達が一斉に矢を射掛けるが、巨大な怪人はそれをものともせず進撃する。投石機の放つ飛礫つぶても、夜空を染める大砲の砲撃も、敵の巨体に傷一つ付けられない。


「――見ろ、あの娘のフェニックスだ!――」

「――ふん、今さらあの娘如きに何が出来る――」


 兵を指揮する人達のそんな声が、風に乗り、仮面マスクの下のこの耳に響いてくる。

 だが、どれほど悪辣な言葉を耳にしようとも、咲良の心はもう折れなかった。


 ここはわたしを拒絶した世界。わたしの救いを求めない世界。

 それでも戦う。だって、それが、彼の教えてくれた戦士の使命だから。


 フェニックスの搭乗空間コクピットの中、強化スーツを纏った全身に戦意が満ちる。過労に倒れてもおかしくないこの身体に、これまでにない熱量でエネルギーが流れ込むのを感じる。


「行くぞ、咲良!」

「はいっ!」


 フェニックスの背の上で凛々しく武器を構える焔の姿が、一瞬閉じたまぶたの裏に見えるようで。

 ――彼が付いていてくれるなら、いつだって、どこまでだって翔べる!


「振り落とされないでくださいよ、レッドさん!」


 球体に意志を込め、ぎゅおん、とフェニックスを急降下させる。大型トラックの怪人がこちらに気付き、排気ガスの噴煙を放って応戦してくるが、


「ウインディ・シールド!」


 咲良の言霊ことだまで解き放たれる疾風のエレメントが、フェニックスの巨体を風の防壁で包み、敵の攻撃を無力化した。


「やるな、咲良。――リヴァイアサンブレード!」


 焔の声が風の中に響き、蛇腹の剣が敵目掛けて伸びる。敵が力任せに振るう巨腕を、彼の狙いはあやまたず捉え、


「ハッ!」


 縛り上げられた怪人の腕を支点にして、彼の身体はフェニックスの背から飛び出し宙に舞っていた。


「ライズショット!」


 研ぎ澄まされた焔の射撃が敵に殺到し、敵が怯んだその瞬間――


「今だ、やれっ!」


 焔は蛇腹剣で敵の腕を縛ったまま、街を囲む城壁の上にずざっと着地し、咲良フェニックスに向けて叫んできた。

 雨風の中、剣の巻き付いた敵の片腕からバチバチと火花が散っている。物理法則を超えた聖なる力が、巨大な敵の動きを封じているのだ。

 この機を逃すわけにはいかない。咲良は空間に満ちるエレメントの力を球体に集中させ、フェニックスの翼に鋭い風を纏わせた。


「ウインディ・カッター!」


 咲良の叫びにフェニックスの叫びが重なり、翼に宿る風の刃がすれ違いざまに敵の巨体に叩き込まれる。夜空に爆炎が咲いて、敵の背負った鋼鉄の荷台の一部がすぱりと斬り落とされた。だが――


「グガァァッ!」


 理性なき怪人はそれだけでは怯まなかった。排気ガスの噴煙が再びこちらを狙ってくる。咲良はフェニックスを加速させ、一気に反転して、羽ばたきからの風の一撃を撃ち返す。

 唸りを上げる疾風が敵の噴煙をかき消し、その前進を阻んだ。

 その瞬間、地上から激しい声。


「そこだ! 撃てぇっ!」


 地上に並べられた大砲が一斉に火を噴く。咲良が目を見張るいとまもなく、無数の砲弾が怪人の巨体を捉え、がんがんと音を立てては弾き返されていく。


「よせ、無駄だ!」


 城壁の上から焔が叫んでいたが、兵士達はそれが聞こえているのかいないのか、次から次へと砲撃を放ち続けていた。その砲弾は怪人に少しも損傷を与えてはいなかったが、心なき怪人の怒りの矛先を咲良達から地上の人間達に再び向けさせるには十分だった。


「ウゥゥガァァ!」


 咆哮とともにリヴァイアサンブレードの束縛を断ち切り、怪人が地上の人間達に向かって巨大な歩を踏み出す。


「だめっ!」


 考えるより先に咲良は叫んでいた。その意志を受けてフェニックスが風を切り、巨大な怪人と人々の間に滑り込む。怪人のエンジンが一際けたたましく唸り、その巨腕ががしりとフェニックスの両翼を掴んできた。

 動きを封じられたフェニックスに、排気の噴煙が容赦なく浴びせられる。


「っ――!」

「咲良っ!」


 焔の叫びが耳をつんざいた直後、搭乗空間コクピットの中にも噴煙がなだれ込んでくる。フェニックスの苦しそうな咆哮が、自分自身の苦悶の声と重なる。


「――おい、あの娘、やられそうだぞ――」

「――だから言ったのだ! あんな小娘に頼っても無駄だと!――」


 地上の人達の勝手な声が聞こえてくる。ふざけるな。自分が庇わなければあなた達は――

 消え入りそうな意識の中、素の自分の心が訴えてくるそんな悪態を、咲良はふるふると頭を振って打ち消した。

 違う。そうじゃない。

 伝説の勇者とか、そんなのはどうでもいいけど。

 わたしは、一人の戦士として――。


「あなた達が……どれだけ、わたしのことバカにしてたって……」


 バジリスクの暴風の中で自分の手を掴んでくれた彼の言葉が、咲良の脳裏に鮮明に蘇る。


「……この目に映る命の一つだって……、絶対、見捨てたりしない!」


 瞬間、凄まじい衝撃が搭乗空間コクピットを揺らした。敵がフェニックスの体を宙に跳ね上げ、頭突きの一撃で弾き飛ばしたのだ。

 巨大なフェニックスの背が力なく地面を削る。ばちりと爆音が爆ぜて、咲良はその内部から弾き出された。翼を出す間もなく地上に叩き付けられると同時に、光に包まれて変身が解除され、血の味が口の中に広がった。

 篠突しのつく雨が素顔を打ち、服に染み込む泥水が冷たく背中を濡らす。


「咲良!」


 兵士達の群れをかき分け、焔の駆け寄ってくる足音が聞こえた。大丈夫か、と自分の上体を抱え起こしてくれる彼に、咲良は咳き込みながらなんとか頷く。

 周りの人々は誰も彼も呆然とした様子で、遠巻きにこちらを見ていた。

 フェニックスを倒したことに満足したのか、巨大な敵はゆらりと咲良達に背中を向け、新たな破壊を求めて戦火の中を歩き出す。その行く手の建物が次々と打ち壊され、新たな悲鳴が街を覆ってゆく。


「……戦わなきゃ」


 焔の腕に抱えられ、咲良は無意識にそう呟いていた。

 敵の煤煙を吸って朦朧とする意識の中、血の滲む手を、傍らに落ちた変身携帯アニマフォンへと伸ばす。


「守らなきゃ……みんなを」

「無理をするな、咲良」

「無理なんかしてません。……わたし、あなたと一緒に、もっと……」


 そのあとは咳き込んで言葉にならなかった。焔の熱い手が、自分の頭にそっと載せられるのを感じた。


「君は十分戦った。立派な戦士だ」


 彼がそう言ってくれるのは嬉しかったが、でも――


「――第三騎兵団、全滅しました!――」

「――助けて! 誰か助けて!――」

「――お母さんが、まだ家の中に――」

「――勇者様は、勇者様は来てくれないの!?――」


 街のあちこちから響く悲愴な声が、強化聴力を通じて咲良の耳を叩く。

 まだ戦いは終わっていない。自分はまだ何も守れていない。

 十分頑張ったからあとはもういいなんて、そんなの――。


「勇者ホムラとやら!」


 その時、ひしめく兵士達の後方から、野太い男の声が張り上げられた。

 焔と一緒に咲良が振り向いた先には、神殿にいたトーガの男性達と、縄を打たれたままの敵国の将軍の姿。

 兵士達が一斉に身を引いて道を開ける中、敵将が数人の男性達に取り囲まれた状態で前に出る。


「伝説によれば、ケルベロスは赤き勇者のしもべとなり、魔物をはらうそうだな」


 焔の前に立ち、敵将は鼻息荒く言った。


「我がふところにクリスタルの片割れを忍ばせてある。アリステラの連中には死んでもくれてやらんが、貴様が本当に勇者なら、これを託してもいい」

「……」


 焔は咲良の身体を抱えたまま、無言で彼の目を見上げていた。トーガの男性達が途端にざわめき出し、何故それを我々に引き渡さないのか、などと敵将に詰め寄っている。

 敵将は彼らの言葉をフンと鼻で笑い、それから、ちらりと咲良を見下ろしてきた。


「その娘の見せた啖呵たんか、見事だった。ならば、その娘を育てた貴様も本当の勇者なのであろうよ」


 えっ、と咲良は思わず声に出してしまった。このふてぶてしい敵の将軍の口から、まさかそんな言葉が出るとは思っていなくて。

 トーガの男性達は尚も彼に詰め寄り、口をとがらせている。


「勇者殿に委ねるまでもない。我々がケルベロスを蘇らせ戦えばいい!」

「そうだ。捕虜となった貴公の所持品は、我らが接収する権利がある!」


 一触即発のその空気を、咲良がハラハラした気持ちで見上げていると、


「無駄じゃよ。ケルベロスを扱えるのはホムラ殿だけじゃ」


 途端にざわりと空気が変わった。長老と呼ばれたあの老人が、従者に付き添われて歩み出てきたのだ。

 皆の視線が集まる中、その皺だらけの手が、焔と咲良の前で開かれる。老人が差し出したのは、深い漆黒に染まった、三頭犬ケルベロスの姿が描かれた結晶体の片割れだった。

 あれは間違いなく、エレメントクリスタル――!


「我らに黙ってクリスタルを持ち出したのですか!?」

「長老オボロス殿とはいえ、そんな勝手は――」

「何を言うか。ケルベロスは元々、ホムラ殿がこの世界に遺されたものじゃぞ」


 男性達の反論を制止し、老人は焔の前に膝をついて言う。


「彼らの無礼をお許しくだされ、ホムラ殿。そしてどうか、今一度、この世界のために」

「少年……」


 焔はしばし老人と周囲の人々に視線を向けていた。人々は誰も老人と焔の間に割って入ることができず、少しの間を置いて、一人また一人と諦めたように頷いていった。


「……確かに、敵将殿の言う通り、我々はその娘を見くびっていたようですな」


 リーダー格の男性がそう言いながら歩み出てきた。はっと目を見張る咲良の眼前で、男性は敵将とちらりと視線を向け合い、囚われの彼の懐から、紐に吊るされたクリスタルを取り上げた。


「役立たずのそしりを受けながら、それでも赤の他人の我らを守るために命を賭けるとは。……サクラ殿が気付かせてくれました。我らの思い上がりを。たとえこのクリスタルを手中にしようとも、我らでは、あのようには戦えますまい」


 そして男性は老人の隣に並び、敵側のクリスタルを焔に差し出してくる。その目は焔だけでなく、咲良にも確かに向けられていた。


「改めてお願いします、ホムラ殿、サクラ殿。この世界をお救いください」


 先程まで伝説の勇者には頼らないなどと息を巻いていた人々が、今や、一縷いちるの望みを込めたような目で一様にこちらを取り囲んでいた。

 焔は深く息を吐き、咲良の肩にそっと手を載せてから、ゆっくりとその場に立ち上がった。


「どこまでも勝手な奴らめ」


 彼は一同にぎらりと鋭い視線を向け、それから、老人と男性の手からそれぞれクリスタルの片割れを取り上げる。


「だが……俺の思いは、彼女の言葉と同じだ」


 咲良は彼の横顔を見上げた。その黒い髪が、濃い眉が、吹き付ける風雨に濡れている。そんな中でもかき消えない正義の炎が、熱く凛々しい瞳に燃えていた。


「名誉も見返りも求めず、目に映る全ての命を守る――それが、俺達アニマライザーだ!」


 瞬間、彼の手中に握られた二つのクリスタルの片割れが、かっと漆黒の輝きを放ち、一つのクリスタルとなって宙に飛び出した。彼の、咲良の、人々の眼前に、三つの頭を持つ大いなる犬の紋章がまばゆく浮かび上がる。

 変身携帯アニマフォンにクリスタルを叩き込み、焔は叫んだ。


「現れよ! 幻聖獣ライズケルベロス!!」


 大自然の精霊に呼びかける神秘のメロディが、天地を貫いて響き渡る。

 街を蹂躙する巨大な怪人が、何かに気付いたように足を止め、神殿の建つ高台をゆらりと仰いだ。咲良が人々と一緒に目を向けたとき、世界を撹拌かくはんするような巨大な地響きが大地を揺らした。

 神殿の地面が隆起して割れ、崩壊する建物の下からの影が姿を現す。濛々もうもうと上がる土煙を払い、強靭な四肢で大地を踏み締めて、三つの首で雄々しく咆哮を上げるその影は――。


「あれが……ケルベロス……!」


 金属質の光沢を放つ暗灰色ガンメタリックの体躯。その巨体からほとばしるエレメントの奔流。咲良がその全容を目に捉えたと思った瞬間、聖なる獣は鋭く大地を蹴り、迫り来る巨大な怪人へと飛び掛かっていた。

 怪人の上げる内燃機関エンジンの叫びをもかき消すように、猛犬の苛烈かれつな咆哮が空をびりびりと震わせる。鋭く風を切る爪の一撃が、怪人の巨体に裂傷を刻み、苦しげな呻きとともに後退させていた。

 地鳴りを上げて戦火の街に降り立ったライズケルベロスが、三つの頭で悠然とこちらを見下ろしてくる。そして、獣は一声唸ったかと思うと、倒れて動かなくなったフェニックスを目掛けて、六つの瞳から真紅の光線を放射してきた。

 離れていても肌を焼くようなエネルギーの熱流。その直撃を受け、フェニックスの瞳にぼうっと明るい光が宿る。


「っ……!」


 咲良の持つフェニックスのクリスタルもまばゆ浅紅せんこうに輝いていた。力を使い果たした巨体に再び聖なる命が宿り、フェニックスが気高けだかく咆哮を上げて夜空へと飛び上がる。


「力は有り余っているようだな、ケルベロス。こっちで九十年も眠っていたなら当然か」


 ふっと強気に笑う焔の横顔に引き寄せられるように、咲良も泥濘ぬかるみの中に立ち上がっていた。

 見ているだけじゃ終われない。もう一度戦うのだ。彼と一緒に!


「行きますよ、レッドさん!」


 再びピンクライザーのスーツを纏い、咲良は天を舞うフェニックスと一体化した。焔もまた、エレメントクリスタルをセットしたアニマフォンを天に突き出し、生身のままケルベロスの頭部へと吸い込まれる。

 邪悪の怪人が唸りを上げて向かってくるが、咲良には恐れるものなど何もなかった。

 猛々しく敵に食らいつくケルベロスを援護し、風の一撃で敵の行く手を阻む。猛犬の牙が敵の片腕を食い千切り、直後、怯んだ敵に急降下の翼の連撃を叩き込む。

 敵が背中を向け、噴煙を撒き散らして逃走を試みる。けたたましく警笛音クラクションを鳴らして爆走する敵を追い、焔の熱い魂を乗せたケルベロスが地を駆ける。


『咲良――』


 幻聖獣のテレパシーを通じ、焔の声が直接耳に届く。それを聞くより早く、咲良は既にフェニックスを加速させていた。


「わかってます!」


 音をも追い越す速さで天を駆け、敵を一瞬で抜き去って前に出る。今なら何だってわかるような気がした。焔が自分に何を求めているのか、何を期待してくれているのか。

 ぎゅおんと旋回し、迫り来る敵を正面から見据える。今の自分なら光璃にもルナにも負ける気がしない。


「エレメンタル・ブラスト!」


 天にひるがえる翼が風をはらむ。全身をエレメントが吹き抜けるこの感覚は、フェニックスファンで風を起こすあの瞬間と同じ。これも彼が教えてくれたものだ。


「はぁぁっ!!」


 フェニックスの翼から激しく撃ち出される暴風が、向かってくる敵の巨体を真っ向から捉え、その動きを中空へと押しとどめた。

 大型トラックを象った敵の全身から激しく火花が爆ぜる。土煙を上げて追いついたケルベロスが、敵の両肩に、首筋に、三つの牙で容赦なく食らいつく。

 轟々と渦巻く風の中、咲良は見た。敵の受けた損傷と連動するように、夜空にこじ開けられた暗黒の渦が不気味に唸り、地上の建物を巻き上げていくのを。

 あの渦をくぐれば、元の世界に戻れる――!


「ホムラ殿!」


 遠く離れた地上から、戦いを見上げる長老の叫びが届いた。


「ケルベロスをあなた様の世界へ連れて行ってくだされ! 巨大な力が消え去れば、我らも無駄に争わずに済みます!」


 老人の言葉は咲良にもありありと伝えてきた。あの二つに割れたクリスタルを巡り、この世界にどれだけ多くの血と涙が流されてきたのかを。


「確かにな。あんなクリスタルなどなければ、我らもどこかの時点で手を取り合えていたのかもしれん」


 そう呟く声は敵の将軍だった。フェニックスの視界で見下ろす地上には、その言葉に同調し、次々に頷く人々の姿。

 中でも、上等のトーガを纏ったリーダー格の男性は、ケルベロスよりも、咲良フェニックスを見上げているように見えた。


「サクラ殿のような戦士を、我らも必ずや育ててみせます」


 彼が発したその言葉に、咲良はふっと自分の口元が緩むのを感じた。

 この世界であったことを全て許せるわけではない。だけど……きっと、もう、この世界は大丈夫だ。


「次に来る誰かには……もっと優しくしてあげて」


 地上の人々にそう伝え、咲良はフェニックスの翼をひときわ大きくはためかせる。

 藻掻もがく敵に食らいついたまま、焔のケルベロスが素早く地面を蹴った。しゅうしゅうと唸る天上の渦を目掛けて。


「ホムラ殿、サクラ殿……末永くお元気で」


 長老のその祈りが、異世界で聞く最後の声となった。

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