第9話 爆裂!復活のライズヘラクレス(1)

 最悪なことに、日没と同時に雨まで降り始めた。人が追ってこられない険しい山の洞穴に逃げ込んだまではよかったが、先程の戦いと今の飛行で咲良は体力を使い果たし、力なく洞穴内の岩壁に背中を預けることしかできなかった。

 乱れに乱れて滅茶苦茶になったショートヘアの毛先をふと指先でつまんでみる。改めて、この一日で色々なことがありすぎて、身体も精神こころももうキャパシティが限界といった感じだった。


「こっちに来い。身体を冷やすとよくない」


 少し離れて座る焔の前では、いつの間にか赤い炎がぱちぱちと音を立てて燃えていた。手際が良すぎて、何をどうしたのか咲良には全くわからなかった。


「……なんでも出来るんですね、レッドさん」

「まあ、色々あったからな」


 彼に手招きされ、咲良は素直に火の近くに身体を寄せた。

 洞穴を照らす炎を挟んで、三角座りで焔と向かい合う。この人がヘンな目で自分を見たりしないのはわかっているが、それでもやっぱり、スカートじゃなくてよかったと思った。

 そんなどうでもいいことを考えられるのは気持ちに余裕が戻った証だろうか。そう思うと、自然に愚痴が口をついて出た。


「……あの人達、ほんっとムカつく。確かにわたしじゃ力不足かもしれないですけど、助けてもらってあんな言い方ないじゃないですか」

「あんなものだ。慣れろ」


 焔はさらりとそう言い、どこで拾ったのやら、雨に濡れていない木の枝を焚き火にくべ入れた。


「……俺の親父は自衛官だった。災害派遣で被災地に行ったとき、現地の人達から散々、役立たず呼ばわりされたそうだ。来るのが遅いとか、物資が少ないとか、助からなかった者がいるとかな」

「え……」


 咲良は膝を抱えたまま、彼の話に吸い寄せられるように顔を上げた。話の内容もさることながら、彼が身内の話などをするのがなんだか意外だった。


「だけど、親父は言ってたよ。『そんな人でも守るのが俺達の仕事だ』……とな。こんな時、俺がいつも思い出すのは親父のその言葉だ」

「……立派ですね。お父さんもレッドさんも」


 神殿の人々にあれこれ言われてあの場を辞した彼だが、きっと、本当に巨大怪人があの街を襲ってくれば、その時は迷わず彼らを守って戦うに違いないのだろう。

 それに引き換え、自分は。


「……わたし達、無事に帰れますかね」


 少しの沈黙の後、ぽつりと咲良は言った。この世界の時間の流れが、元いた世界と違うことは何となくわかっていたが、それでも、そろそろあちらでも何時間かは経過しているはずだ。

 光璃達は今も、不十分な戦力で街を守って戦い続けているのだろうか。


戦闘員ザコどもが出てきたってことは、あのトラックツクモもここに来ているはずだ。俺達をこの世界に飛ばしたあの怪人を倒せば、奴の力の効力が切れて戻れる可能性は高い。九年前も、俺とルナ……初代ピンクは、そうやってこの世界から帰還した」


 焔の口からその名前が出ると、とくん、と咲良の心臓は変な方向に脈打った。

 あの気難しいバジリスクをも手懐けていたという初代ピンクライザー。神殿の人達が口々に讃えていた、勇者・焔と釣り合う立派な戦士……。


「……素敵な人だったんでしょうね、初代ピンクさん。わたしと違って」

「比べられるものじゃない。ルナはルナ、咲良は咲良だ」


 焔は咲良の目を見て言ってくれたが、その励ましの言葉さえも、彼女に追いつくことは到底できないから諦めろ……というふうに曲解して捉えてしまう自分が恨めしい。

 バジリスクにも、お前は彼女と違うとか何とか、散々言われたものだったっけ。


「でも、その人だって最後は、誰かと恋して居なくなっちゃったんでしょ。……わたし、そこだけは負けませんよ」


 張り合えるとしたらそのくらいしかないと思って、咲良は言った。だが、焔から返ってきたのは予想と全く違う一言だった。


「いや。彼女は死んだ」

「えっ――」


 平坦な口調で告げられたその一言に、ずきん、と心臓に杭を打ち込まれたような痛みが走る。

 思わず口元を手で押さえた咲良の前で、ふっと切なげな息を吐いて、焔は続けた。


「ルナは、いにしえの戦士の血筋を現代に伝えるただ一人の巫女みこだった。幻聖獣の声を聴いて、俺や初代ブルー達を選び出し、現代のアニマライザーを結成したのは彼女だ。……そして彼女は、この時代の戦いにおける最初の殉職者でもあった」


 彼の目は咲良を見ていながら、その実、どこか遠くを見ているようでもあった。咲良の知らないルナの顔が、彼の視線の先には浮かんでいるのかもしれなかった。


「その頃の俺は、一人の戦士としても、戦団のリーダーとしても未熟だった。当時のジンダイ……ツクヨミを倒すため、巫女の力を持つルナが自らの命を捧げるのを、俺は止めることができなかった。せめて俺にもっと力があればと、何度悔やんだかわからない」

「……」


 どういう相槌を打つのが正解かわからず、咲良は黙って彼の顔を見つめていることしかできなかった。

 その程度の力ではこの先の戦いを生き残れない、などと言って自分を厳しく鍛えてくる彼の言葉が、ふと脳裏に思い出された。

 ……今の厳しく暑苦しい彼を作ったのは、その辛い経験なのかもしれない。


「……好きだったんですか? レッドさん。その人のこと」


 重たい空気の中、そんな疑問がぽつりと口から出たことに咲良は自分で驚いた。

 焔がぱちりと目を見開く。いけない、怒られる、と思って咲良が謝ろうとしたとき、


「なっ。何をいきなり」


 焔は少し慌てたような顔になって、何かにむせるように咳払いを繰り返した。

 あれっ、と咲良は思う。図星だったとかどうとか、そういうことより、彼の反応が意外すぎて。


「好きとかそういうのじゃなく、俺は大事な仲間としてだな」

「え……でも」


 そして自分も、意外なほど自然に次の言葉が出た。今の今まで生き死にの話をしていたことなど忘れ、まるで友達と喋っているかのように。


「今のレッドさんの目、なんか、昔の恋人か何かの話みたいな」

「違う。俺がいつそんな目をした!?」


 ムキになったように否定しにかかる彼の反応は、いつもの、歳の離れた大人の彼とは全く違っていて。

 いつの間にか、くすりと笑みを漏らしている自分に咲良は気付いた。

 この人でも、こんな反応をすることがあるんだ――と。

 初めて、彼のことが、三十路のおっさんという別の生き物ではなく、同じ世界のノリで話していい人間のように思えたのだ。


「ですよね、アニマライザーは恋愛しちゃダメですもんね。じゃあ、コクらずじまいですか、レッドさん」

「うるさいな。子供に聞かせる話じゃない」

「あ、ひどい! 自分で喋っといて!」

「とにかく、大人にしかわからん話があるんだ」


 そう言って誤魔化す彼の前で、咲良は抱えた膝に顔を乗せ、ぷくりと頬を膨らませてみせる。


「どうせわたしは子供ですよ。でも、こういうのは女の子のほうが察しが良かったりするんですよ。……それに、お付き合い未経験って言うならレッドさんもそうじゃないですか」


 む、という顔をして焔は押し黙った。……あれ、今のは流石に言ってはいけなかったかな、と思い、咲良が今度こそ謝ろうと顔を上げると、彼は落ち着いたトーンになって「そうだな」と呟いてきた。


「実際、歳は若くても君は立派だ」

「へ?」


 ふいに真剣な目で褒め言葉を投げてきた彼に、咲良は思わず身構える。こちらの緊張など構わず、彼はド直球で言葉を続けてくる。


「戦艦ツクモとの戦いの時、君は俺の自爆を止めてくれた。俺のことを嫌いだと言っていたのにだ」


 気恥ずかしい記憶をいきなり引き出され、顔が熱くなる。


「あの時、たとえ君がバジリスクを呼び出すことができなかったとしても、俺はもう頭の中で自爆作戦を思いとどまっていた。『この人を死なせたくない』――君がそう言ってくれるのなら、死ぬわけにはいかないと思った」

「あ、あの、はい」


 焔の瞳はどこまでも真剣だった。目を背けることはとてもできず、咲良はひたすらにぱちぱちと瞬きを繰り返す。


「そして、君にも生きて戦いを終えて欲しいと思った。もちろん、仲間の誰一人として死なせるわけにはいかないが、君に関しては特に強くそう思えた。……君がいつも噛み付いてくるからなのか、どこか守りたくなる目をしているからなのか、それとも、それ以外に何か心を惹き付けるものがあるのか……俺自身も理由がわからないが……」

「ちょっ、ちょっとまって、まってまって。追いつかないです!」


 つらつらと言葉を並べ続ける彼に、咲良は思わず両手を突き出していた。それ以上はとても脳の処理能力が追いつかなくなりそうで。


「え、何ですかそれ、コクってます!?」

「なっ。だから、そういう話じゃないと言ってるだろう! 茶化すな!」


 言いながら自分でも恥ずかしくなったのか、焔はぶんぶんと首を横に振っていた。彼がそんな仕草を見せること自体が新鮮で、気付くとまたくすりと笑いが漏れていた。


「何を笑ってるんだ。あのな、大体、俺は三十なんだぞ。高校生に告白するわけないだろう!」

「あ、それひどい、やっぱりわたしのこと子供扱いしてる。自分だって彼女いない歴イコール年齢のくせにっ」

「それは、二十歳でアニマライザーになったんだから当然だろう! いいか、俺は彼女が出来ないんじゃなく、作ろうとしたことがないだけでな」

「モテる人は十代で付き合ってますー」

「……そんな風紀の乱れた奴のことは知らん!」


 くすくす笑いながら言い合っていると、最後は焔はそんな滅茶苦茶を言ってぷいと横を向いてしまった。

 焚き火の作る影がゆらゆらと揺れている。彼とこんな会話ができることにびっくりしながら、気になっていたことを聞いてしまうなら今しかないと思い、咲良はなるべく軽い冗談に聞こえそうな口調で切り出してみた。


「ていうかレッドさん、光璃さんとデートしてたんじゃないんですか」

「なに!? 違う、あれは、それこそ君が知る必要のない事情があってだな」

「じゃあ、光璃さんとはそういう関係じゃないんですか?」

「ない! まったく、何を考えてるんだ、君は。……大体、光璃とだって八歳も歳が違うんだぞ」

「そのくらい許容範囲だと思うけどなあ……」


 冗談めかして言い合いながら、咲良は密かにバクバクと鳴る胸を押さえていた。当人に尋ねることもできず一人で気を揉んでいた自分が、途端にバカらしく思えてくる。聞けば、彼はこんなに堂々と「違う」と教えてくれるのに。

 だが、その答えにどうして自分は安堵しているのだろう。別に、彼が光璃と想い合っていないからといって、かわりに自分がその位置に入りたいわけでもないはずなのに。


 ……と、その時、せっかくだから彼ともう少し話していたいと思った咲良の気持ちを邪魔するように、遥か彼方から、があんと何かの爆音が耳を叩いた。


「っ!?」

「奴が出たか……」


 焔はドラゴンのエレメントクリスタルを取り出し、輝きを失ったそれを恨めしそうに握り込んでいた。焚き火の炎に照らされたその顔は、もういつもの戦士の顔だった。


「咲良、行けるか? 疲れは全く癒えていないと思うが‥…」

「……んー、なんか、大丈夫ですよ」


 うぅんと伸びをしてみると、なんだか本当に行けそうだった。焔の言う通り、休息など少しも取れていないはずだったが。


「なんか、喋ってたら元気になっちゃいました」


 案外、そういうものなのかもしれない。超自然のエネルギーなんて。


 焔とともに洞穴の入口に立ち、変身携帯アニマフォンを突き出してピンクライザーのスーツを纏う。かつてルナという人が纏っていた力を、今は自分だけのものとして。

 風雨の中、召喚に応えて飛来したライズフェニックスの翼を前に、咲良は焔の顔をまっすぐ見て言った。


「わたし、たぶん……レッドさんのこと、そんなに嫌いじゃないです」

「そうか。なら、一緒に生きて帰るぞ」

「はい!」


 そして、咲良は天を舞うフェニックスと一体化し、その背に焔を乗せて、火の手の上がる街へと突っ込んでいった。

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