第8話 激動!異世界の戦い(2)

(レッドさん――!)


 彼の姿を見た瞬間、今までと違う涙がじわりと胸の奥から意識を侵掠しんりゃくしてきた。その叫びは声にならなかったが、焔はしっかりと自分の目を見て頷いてくれた。

 張り詰めていた恐怖が一気にほどかれ、冷たい絶望が安堵の炎で溶かされていく。


「彼女は俺と同じ世界から来た仲間だ。すぐに解放しろ」


 追いすがってくる看守に険しい声で告げ、鉄格子の解錠を待つ間も、彼はずっと咲良に声を掛け続けてくれていた。聞き慣れた暑苦しい声で、怪我はないか、とか、助けに来るのが遅くなってすまない、とか。

 そうした彼の言葉のあれこれを、咲良はぐちゃぐちゃになった意識で必死に咀嚼し、こくこくと頷きを返した。その間、咲良の心を占めていた彼への感情は――、

 世の人が、信愛とか呼ぶものなのかもしれなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 あれよあれよという間に咲良は牢から連れ出され、拘束を解かれた上で、焔とともに何人もの男性達に囲まれて大広間に招き入れられていた。神殿か聖堂か何か知らないが、白い柱が何本も立ち並び、外からの陽光が明るく差し込む空間だった。真っ白な石段の上に設けられた祭壇の上では、巨大な犬のような白い像が荘厳な雰囲気を放っている。


「申し訳ありません、サクラ殿。勇者ホムラ様のお仲間とはつゆ知らず、大変なご無礼を」


 豊富な口ひげを蓄えた初老の男性が咲良の前に歩み出て、うやうやしくお辞儀をしてきた。周りの人々もそれに続いて頭を下げる。彼らは皆、トーガと言うのだったか、世界史の資料集のギリシャとかローマとかのページで見たような一枚布の装束を纏っていた。

 どう見ても日本人ではないが、不思議と言葉は通じる。それもまた、現実とは異なる世界に来てしまったことの証なのだろうか。


「ここのところ、敵国の諜報活動が活発になっていたため、スパイの恐れありとして、正体不明のあなたをやむなく拘束した次第でして」


 上質そうなトーガを纏った男性達に次々と頭を下げられ、咲良はかえって恐縮してしまった。自分の置かれた状況を整理することで頭の容量はいっぱいで、とても彼らに怒るほどの余裕はなかった。


「……まあ、それはいいですけど……」


 身体の節々には縄の食い込んだ痛みが残っているし、頭もまだ変な薬のせいでくらくらしていたが、それより何より咲良には気になることがあった。


「あの、何なんですか? レッドさんが勇者様って」


 その疑問を咲良が口にすると、一同はたちまち「えっ」と驚いたように息を呑んだ。大の大人達が揃ってきょとんとした目で咲良を見てくる。そんなにおかしなことを聞いてしまっただろうか、と咲良が思ったとき、横から焔が顔を向けてきた。


「前にこの世界に来たときに、色々あってな」

「えっ! 前にも来てたんですか!?」


 反射的に声を上げると、周りを取り巻く男性達が何やら顔を見合わせてひそひそと話し始めた。この娘、勇者様の仲間ではないのか……行動を共にしていながら勇者様のことを何も知らぬのか……とかなんとか、彼らがこちらに聞こえないつもりで喋っているらしいその声を、咲良の耳はしっかり捉えてしまう。


「……悪かったですね、レッドさんのこと何も知らなくて」


 咲良が彼らに向かって小さく呟いたとき、それと時を同じくして、男性達が広間の入口に向かっておおっと声を上げた。彼らにつられて咲良も振り向くと、そこには、丈夫そうな木の杖をつき、従者らしき若い人を伴って広間に入ってくる、白ひげの老男性の姿があった。


「長老!」


 男性達が次々に老人に駆け寄っていく。彼は、杖を使いながらも確かな足取りで、まっすぐ焔の前までやって来て、しわだらけの顔に嬉しそうな笑顔を浮かべてこうべを垂れた。


「お久しゅうございます、ホムラ殿。かつてあなた様に命を救って頂いたオボロスにございます」

「ああ……あの時の少年。立派になって」


 焔が当たり前のようにそんな応答を返すのを、咲良は何が何だかわからないまま見ていた。これほどの老人に向かって、少年、とは……?


「覚えていて下さいましたか。よもや生きて再びお会いできようとは、恐悦至極に存じます」


 まるで神様にでも会ったかのように、老人は嬉し涙を光らせながら焔の手を取り、積年の思いを噛みしめるように語るのだった。


「あなた様がこの世界を去ってから九十年。未だ周辺の都市国家ポリスとの争いは絶えませんが、街はかつての災禍さいかが嘘であったかのように復興を果たしました。ぜひ見ていって下さい」

「それは良かった。……だが、この世界に長く留まるわけにもいかない。別の世界が危機に晒されているんだ」

「なんと……。ご大儀たいぎにございます」


 老人はそっと焔の手を放し、改めて彼の姿を見上げて言った。


「ルナ殿もご息災であられますか」

「……ルナは、今は居ない。彼女が俺の今の仲間だ」


 焔がさっと手で自分を示してくるので、咲良は思わずびくりと居住まいを正した。


「さ、咲良です」


 声を裏返らせて名前を名乗ったが、老人はちらりと咲良を見て、ほう、と唸っただけだった。

 やっぱり、新顔の自分のことは戦士とも何とも認めてくれないのか……。咲良が少しシュンとなったところで、ふいに、広間の外からガンガンガンと何かの大音が鳴り響いてきた。この金属質の音は、鐘か何かを叩いているのだろうか。


「敵襲! 敵襲ーッ!」


 鐘に被せるように外から響くその声に、広間の男性達の空気が一気にぴりりと引き締まる。


「デクシアの軍勢、推定二千!」

「騎兵団、弓兵団、迎撃準備かかれ!」

「非戦闘員は私に続いて退避を!」


 駆け込んできた兵士からの報告を受け、指示を下す者。ばさりとトーガをひるがえして広間を出ていく者。他の者達の避難を誘導する者。たちまち騒がしくなった周囲の動きを、咲良はオロオロと見ていることしかできない。


「なになになに、なんなの!?」

「敵が来ているのです」

「敵って!?」

「隣の都市国家ポリスの連中です!」


 近くに居た男性が切羽詰まった声で答えてくれた。焔が咲良を見下ろして、俺のそばを離れるな、と告げてくる。

 建物の外に続々と集結してくる兵士達に向かって、男性の一人が怒鳴った。


「この神殿には決して敵を入れさせるな! クリスタルを守るんだ!」


 オオッと答える兵士達の声に、咲良はまたびくりと身を震わせる。


「勇者ホムラ様。我らをお守り頂けますか」


 リーダー格らしき男性が真剣な目で焔を見ていた。だが、焔は低い声で言い返すだけだった。


「俺は、人間とは戦わん」

「……しかし、クリスタルの片割れが敵の手に渡れば、敵は必ずやケルベロスを呼び覚まし、破壊の限りを尽くすでしょう」

「そうです! クリスタルをまつるこの神殿だけは守り抜かねばならんのです!」


 男性達は焔を取り囲み、口々に戦いへの助力を求めてくる。焔が「だが……」と言いかけたとき、鎧をがちゃがちゃと言わせて、一人の兵士が慌てた顔で広間の入口に駆け込んできた。


「元老様! 敵の様子が変です!」

「なに?」

「敵軍は我が街に攻めてくるのではありません。のです!」

「何だと!?」


 何も出来ず聞いていた咲良もその報告は気になった。一体何から――?


「咲良、行くぞ」

「えっ?」


 何かを察したように焔が言い、咲良の手を引いてくる。彼に連れられるがまま、咲良は人々の間を縫って屋外へと出た。この神殿の建つ高台からは、白亜の街を一望することができた。

 眼下に広がる広大な街。その外周を囲む城壁の向こう、敵軍らしき兵士達が必死の形相でこちらの軍勢と押し合いへし合いしている。その敵軍の背後には――


「あれって……!」


 棍棒を振り上げ、敵軍の兵士達を追ってくる何百何千もの異形の影。ゴミ袋とダンボールを貼り付けたような、戦闘員ツッキーの大群の姿があったのだ。


「やはり、ツクモーガもこの世界に来ていたか!」

「そんなっ!」


 咲良の視界の先で起きているのは人間同士の戦争ではなかった。見る間に追いついてきた戦闘員の群れにより、敵軍の兵士も、こちらの兵士も、等しく阿鼻叫喚の声を上げて薙ぎ倒されていく。

 はがねの鎧を着て剣を持っていようとも、生身の人間ではあの戦闘員ザコにすら立ち向かえないのだ。


「誰か、彼女の変身携帯アニマフォンを持っていないか!?」

「それでしたら、こちらに!」


 焔の声に答え、トーガの男性の一人が咲良にアニマフォンを差し出してきた。それを受け取り、焔の顔を見上げる。彼の真剣な目が、行くぞ、と咲良を促していた。


「勇者様! 我らの街をお守りください!」


 周囲の人々の目が焔と自分に注がれている。焔には神にすがるような視線が。自分のほうには、この娘で大丈夫なのか、と値踏みするような白い視線が。


「……わたしだって、アニマライザーだもん」


 いつまでも無力な女子ではいられない。彼がドラゴンの力を失ってしまった今こそ、自分がその分まで戦わなければ。


「俺は変身できない。咲良――」

「はいっ」


 焔は生身のまま、片手に可変剣ライズカッターを、片手に海竜神リヴァイアサンの蛇腹剣を握り締めていた。


「背中は任せたぞ!」

「もちろん!」


 彼がそう言ってくれるのが嬉しかった。彼と並んで駆け出し、咲良はアニマフォンを突き出す。


幻獣変身アニマライズ!」


 痛みも恐れも塗り潰して噴き上がる闘志を、風を纏うスーツに包み――ピンクライザーは異世界の戦場に飛び出した。

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